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天皇の側近、重臣について、
昭和初期のキングメーカーにして“最後の元老”西園寺公望(昭和15年死去)や軍拡財政への道を拓いた高橋是清(昭和11年暗殺)が戦後まで生きていたら、戦犯指名されていましたか?
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- TANUHACHI
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No.2です。ミスタイプがありましたので訂正します。 >浜口裕孝 は浜口雄幸でした。 なお西園寺公望ですが、パリ講和会議の全権委員として会議に出席しもしている人物です。そのパリ講和会議の成果がヴェルサイユ条約ですから、西園寺も戦犯に問われる可能性は少なくともありません。 軍部大臣の現役武官復活制、この問題も広田弘毅自らの内閣で行った問題ですから、それと高橋是清ならびに西園寺公望との関係はどこにもありません。 ヒトラーを首相に任命したヒンデンブルグ大統領に似ているからといって、それが別の事象とも本質的に重なるとお考えになるのは早計ともいうものです。 当時(終戦近くの状況)の状況を知るには『木戸孝一日記』などの一次史料を当たることも肝要です。
- eroero1919
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西園寺公望公のことはあまりよく知らないのでコメントはしませんが、高橋是清に関していえば、他の方も指摘しているように軍港に強硬に反対したので二二六事件で殺されたのです。だから高橋是清が生きていてかつ大蔵大臣にいる限り軍拡と日米開戦はあり得なかったでしょう。というのも、いかな精強な軍隊といえどお金がなければ横のものを縦に動かすこともできないからです。 前提条件としては、「共産党が自衛隊を軍隊にすることに賛成したら?」くらいあり得ないことでござる。
- ithi
- ベストアンサー率20% (1972/9602)
sindengen9さん、こんばんわ。 広田弘毅は2.26事件以後の人心刷新のため、陸軍の人員整理を行いましたが、その代わり、陸軍からの支持を取り付けるために大幅な予算増加とある意味無定見に軍部大臣現役武官制を復活させました。その結果、どうでしょう。宇垣一成が内閣を組閣しようとしたとき、陸軍の方から大臣を出さすことを断ったため、流産しました。 この横暴ぶりは終戦まで終わりませんでした。また、日中戦争を始めた当時の首相であること、出身地である福岡であるため極右団体玄洋社の関係者と深い縁故があり、彼も極右ではないかとGHQに疑われたことなどが、彼の不運を生んだと思われます。 もともと新英米派であった西園寺はもう宇垣一成を指名した時点でもう自分はお役に立たないと内大臣の奏選した人を追認する形だったということからも彼自身が戦犯になる可能性は少ないと思います。 高橋是清がインフレ財政に踏み切ったのは世界を襲った世界恐慌のせいです。別に軍拡を目的としていたわけではありません。その証拠にそろそろこの政策がインフレを起こすと予見した段階で、政策をやめようとして軍事予算を削減しようとしたら、2.26事件で暗殺されたという経緯があります。 詳細は下記のURLを参照してください。 西園寺公望 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%9C%92%E5%AF%BA%E5%85%AC%E6%9C%9B 高橋 是清 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E6%98%AF%E6%B8%85 広田弘毅 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E7%94%B0%E5%BC%98%E6%AF%85
お礼
明けましておめでとう御座います。 そして回答どうも有り難う御座いました。 西園寺さんがあと2年長生きしていたら、東条内閣はなかったでしょうか?私にはどうも西園寺氏が思想信条はちがえど、ヒトラーを首相指名したヒンデンブルク大統領(決して本意ではない)の役回りとダブってしまうのですが・・
- TANUHACHI
- ベストアンサー率31% (791/2549)
逆です。高橋是清は軍事予算の増額に反対したから、「2.26」で暗殺される結果となりました。浜口裕孝にしても然りです。 高橋是清が意図したのは金融恐慌からの脱出を目的とする財政政策及びヴェルサイユ条約に基づく海軍の軍縮です。 むしろターゲットとなるべきは普通選挙法の裏で治安維持法を成立させた加藤高明でしょう。大正デモクラシーといっても、その中身を吟味することが大切です。 戦争に携わった者全てがその責を問われて然るべきで国民といえども例外ではありません。
- Saturn5
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歴史に「たら・れば」は無いのですが... 西園寺公望は戊辰戦争以外に軍事とは無縁です。 高橋是清は軍事路線と言われますが、列強が後進国を侵略していた時期で、 国費の半分を日本を守るための軍事費に使い、残りの半分を産業開発に 使った有能な政治家だと思います。もし、列強の侵略が無ければ、 産業開発に8割を回したのではないかと思われます。 ということで、戦犯指名は無かったと思います。 両名は山本五十六と同じで海外生活が長く、列強の力が 「坂上の雲」であることを実感していたので、生きていれば山本五十六と 同じで開戦には反対しただろうと思います。
お礼
回答感謝します。 軍部大臣現役武官制を復活させた広田さんは絞首刑になりました。
お礼
ご回答有難う御座います。 西園寺氏がヒンデンブルク氏に似ているとは言っておりません。西園寺氏はその家柄に縁らずリベラルな国際感覚を持ち合わせた英米協調主義者。ヒンデンブルク氏はナチスを押さえ込むため大統領独裁・帝政復活・軍事政権でドイツの難局を乗り切ろうとした保守帝政派。両者は期せずして憲法を守ろうとしたようですが・・・