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植民地の拡大と順番

最初に植民地化した場所を足掛かりにして(植民地拡大の協力をさせて)周辺の地域や国に植民地を拡げていったと思うのですが、具体的にどの地域・国をどのような順番で植民地化したのでしょうか。 食糧などの物資だけでなく兵の調達もしたのでしょうか。 先に植民地化された所と後から植民地化された所にしこりは残っているのでしょうか。

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noname#224207
noname#224207
回答No.2

>最初に植民地化した場所を足掛かりにして(植民地拡大の協力をさせて)周辺の地域や国に植民地を拡げていったと思うのですが、 戦争などの結果としての領土の拡大と植民地とは概念上ことなります。 橋頭堡となる地を確保して周辺へ領土を広げるという概念は、植民地の拡大という概念からは外れます。 文字通り民を移植するという意味であれば、ギリシャ、ローマ時代からあります。 大航海時代以降のスペイン、ポルトガル、などの方式考え方と帝国主義時代の植民地とでは大きく違います。 >具体的にどの地域・国をどのような順番で植民地化したのでしょうか 何時の時代のどの国の方式かで異なります。 帝国主義時代には方式は下記のような手順が多く取られました。 1.領事裁判権や租借地・租界設定条約による治外法権の確立。 2.外交権や駐軍権のみを獲得し内政は先住民による統治に任せて原則として干渉しない保護領。 3.現地の王侯や部族長を通じて支配する間接統治。 4.本国から総督や民政長官、軍政長官などを派遣して支配する直接統治。 5.本国が外交と防衛のみを担当し内政は現地住民によって民選された政府・議会に委ねる自治植民地。ただし「自治」とはいっても、参政権は本国出身者に限定されたり、先住民の参加を認めても公用語(本国の言語)習得や一定額以上の納税などの条件を付けて、事実上の参政権が著しく制限されることが多い。 6.自国領への併合(この場合も従来の現地住民について、市民権や国籍上の地位に区別が設定されたり、併合領土での立法・行政権など統治形態が異なることがある) 詳しくは下記サイトを御覧下さい。 植民地 - Wikipedia ja.wikipedia.org/wiki/植民地 >食糧などの物資だけでなく兵の調達もしたのでしょうか。 食糧を調達するのではなく、経済資源や経済的権益を獲得するのが目的です。 その時代に宗主国が必要とする資源(金銀銅、綿、ゴム、石炭、鉄etc)の獲得を目的とします。 コーヒー、砂糖、お茶、香辛料などは、食糧として獲得するのではなく商品(経済財)として獲得します。 大航海時代以降労働力としての商品として人間も調達しました。すなわち奴隷貿易です。 自国に対する愛国心、忠誠心のない人間を戦場に投入する訳にはいきません。 戦争遂行に必要な物資の供給(兵站)に必要な労働力としては、古くから使っていました。 日中戦争に続く第二次世界大戦の時にも、日本軍が朝鮮の人達を兵員として徴収したのは戦争末期です。 >先に植民地化された所と後から植民地化された所にしこりは残っているのでしょうか。 宗主国の意向に従って官僚として後から植民地化された地域に関与した場合には残っています。 現在のベトナム((仏領インドシナ)と周辺国との凝りは現在でもあります。

okeydonkey
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 もっと力づくで有無を言わせずといったイメージがありましたが、そうでもないんですね。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.1

最初に植民地化した場所を足掛かりにして(植民地拡大の協力をさせて)周辺の地域や国に植民地を拡げていったと思うのですが、具体的にどの地域・国をどのような順番で植民地化したのでしょうか。 ↓ インドが典型 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A9%E7%8E%8B%E5%9B%BD その起源は、18世紀初頭に、ムガル帝国の皇帝アウラングゼーブが死亡して、帝国が分裂したのち、独立した州やその周囲にあった諸領邦のうちで、イギリス東インド会社と軍事保護条約を結び、同盟関係にあった諸国である。 以上引用 インドシナでは フランスがベトナム人を使ってカンボジア統治とかをしていた

okeydonkey
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。