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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:伊勢物語 深草の女)
伊勢物語 深草の女
このQ&Aのポイント
- 伊勢物語123)深草の女
- その昔、一人の男がいた。深草に情を交わしに通っていた女がいたのだが、次第に愛情も冷めてきたのだろうか、こんな歌を詠んだのだった。
- もしあなたが出て行って草ぼうぼうの野原となったなら、私はウズラとなって鳴いていることにしましょう。そうすれば、私に逢うためではないにせよ、せめて狩りをするためだけにでも、きっとあなたは来てくれるでしょうから
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1.誰と云う事はありません。只、深草に住んでいる女性と云う事だけです。 2.深草は京都市伏見区の深草です。 昔は広い練兵場が(飛行場としても使われた)あった平坦な草深い土地でした。 ネットに色々解釈をしている方々もいらっしゃいます。 鶉の雌は鳴かないのにこの女性の返歌はおかしい・・って? 伊勢物語が書かれた当時、鶉の雄は鳴くが雌は鳴かないって生物学研究の結果が世間に発表されて、その事が人口に膾炙してたんかいなぁ?とチャチャを入れたくなります。(^^) 鶉と憂面を掛けた 鳴きと泣きを掛けた かりは仮と狩を掛けた と云う解説も見られます。う~~~んハテ?。 まあ平安時代初期の物語ですから、男女の仲は結婚しても通い婚、 一妻多夫だったそうですから。 短文でも、洗練された文章ではありますねぇ。 (余談) 昭和30年頃までは京都の街中から少し離れた草はらなら、野生の鶉は沢山生息していました。高校生時、捕まえて焼き鳥にしたことも。割りに簡単に捕まえられます。
お礼
回答ありがとうございます。 深草に住んでいる女とは特に誰と言うことではないのですね。 でも、もし史実に基づいて書かれているのであれば 有力氏族の娘でしょうね。 誰のことなのかなあ、と気になります。 深草は京都市伏見区の深草なんですね。 回答者さまはその付近に住んでおられたのでしょうか。 色々な歌の解釈を教えてくださってありがとうございます。 とても面白かったです。 そうか~、うっかりしてましたが、鶉の雌って泣かないんですよね~。 >伊勢物語が書かれた当時、鶉の雄は鳴くが雌は鳴かないって生物学研究の結果が世間に発表されて、その事が人口に膾炙してたんかいなぁ?とチャチャを入れたくなります。(^^) 貴族が鶉が鳴かないなんてこと知ってるはずがないってことですよね。 確かに高子は露を見たことがなかったくらいですからね。 万葉集なんかを読んでみると、昔の人はびっくりするくらいよく自然を観察しているなあと思いますが たしかにおっしゃるっとおり、平安時代の貴族の女性は鵜の雌が鳴かないことを知らなかったのかもしれないですね。 男性は狩りをするので知っていたかもですが。 >鶉と憂面を掛けた 鳴きと泣きを掛けた かりは仮と狩を掛けた なるほど~、そういう解釈もあるのですね。 余談もおもしろかったです。 京都に野生の鶉がいたのですね~。 焼き鳥・・・大好きなんで野生の鶉の焼き鳥食べてみたいです。