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伊勢物語「芥河」中の文の解釈
伊勢物語「芥河」で、連れてきた女を倉に入れて、その戸口で男が「はや夜も明けなむ」と思いながら夜明けを待っている場面があります。この「はや夜も明けなむ」の解釈についての質問です。 小学館の全集本や岩波の大系本などでは、「なむ」を未然形接続の希望を表す終助詞ととって「早く夜も明けてほしい」と解釈しています。「芥河」は教科書にもよくとられていて、全部チェックしたわけではありませんが、やはりほとんどの教科書でもこの解釈をとっているようです。 しかし、これを連用形接続の完了(強調)の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」ととって「もう夜も明けるだろう」と解釈することはできないのでしょうか? 「明け」は下二段活用で未然形も連用形も形は同じため、接続からは終助詞か助動詞か判断できません。また、そのような場合は前後の文脈から判断すると辞書等には書いてありますが、この場面では「もう夜も明けるだろう」という解釈も、そんなにおかしいとは思えません。 多数派に異を唱えるというわけではなく、異なる解釈が成立する可能性についてお聞きしたいのですが、以上のような解釈が妥当ではない理由が何かあればご教示ください。また、このことについて書かれた文献などをもしご存じの方がいらっしゃったら教えていただけると助かります。
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かなりの少数派のようですが、 「なむ」 を助動詞の連語とする解釈もありそうです。 「新明解古語辞典 (第2版)」 (金田一春彦 編集 1990) で 「早 (はや)」 の項をみると、 (1) 早く。 (2) 早くも。もう。 (3) もともと。元来。実は。 とあり、 (2) の用例として 「 ― 夜も明けなむ」 [伊勢・6] があげられています。つまり、ここでは 「もう夜が明けるだろう」 の解釈がとられているとかんがえられます。 個人的には、多数派の解釈でよいとおもっています。文脈からすると、 「夜も明けるだろう、夜が明けるにちがいない」 と男が確信するにたる根拠が存在しないようです。
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あまり自信はないんですけど、「はや」のせいではないでしょうか。「はや」って、「早く」の意味ですよね? 「早く夜も明けてほしい」だと場面に合うけれど、「早く夜も明けるだろう」だと天気予報みたいです。「はや」には「もう夜も明けるだろう」の「もうすぐ・まもなく」にあたる語感はないように思うのですが…。
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ありがとうございます。 私もそれはちょっと気になったのです。 手元の古語辞典をみると、「はや」には (1)すぐに。はやく。 (2)すでに。もう。 (3)もともと。実は。 というような意味があるようですが、(3)はともかく、(1)(2)あたりから「もうすぐに」というような意味が出てくるのではないかと考えました。 もちろん、辞書的な意味を表現だけ眺めてざっと追っただけで、いろいろな用例を調べてそれが表すニュアンスを細かく検討したりはしていないので自信はないのですが…。
- luune21
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「はや夜も明けなむ」の「も」ですが、これは並列をしめしていると思います。「もう夜も明けるだろう」とすると、いったい何と並列なのかがわかりません。嵐の夜に武装して用心して構えているところで、夜の明けることのほかにいい話題があるようにはみえません。 ここは、嵐"も"静まってほしい、そして、夜"も"明けてほしい、と並列関係で読み取るほうが妥当ではないでしょうか。 これ以外、係助詞「も」の説明がつきにくいように感じます。
お礼
ありがとうございます。 たとえば、もうじき嵐“も”やむだろう、そして夜“も”明けるだろう、という推量の並列関係だとしても、それほど違和感はないように思いますが、いかがでしょうか。
お礼
ありがとうございます。 推量という解釈も理屈のうえでは成り立ちうるということですね。 質問に書いたとおり、私も実際この箇所が「希望」であることに疑問をさしはさむつもりはないのですが、「推量」という解釈がもし成り立たないのであればその理由を知りたかったわけです。 まあ、このシチュエーションでは結局「推量」と「希望」は紙一重という気もしますが、男が「もうすぐ夜も明けるだろう、夜明けまではそんなにかからないに違いない、そうすれば状況も好転する」と思っていたまさにその矢先に鬼が女を食い殺してしまった、という解釈もなかなかドラマチックでは? とも思ったりします。