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是非
是非。 是と非。 老荘においては、不勉強で、判りません。 一神教においては、少しは知れるかもしれません。 その他「是非」・・・わかりません。 お願いいたします。
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多神教である神道においては、清浄が是であり、 不浄が非です。 清浄とは生命エネルギーが満ちている状態で 不浄とは死に穢されている状態です。 これと武士の生き様が合体して、潔さ、勇気 などが是になる訳です。 これが更に発達して、美しいことが是になり ます。 美しい生き様とは死に様の見事さということに なります。 老荘においては、道が是です。 無為自然であれば道が導いてくれると 考えます。 キリスト教などでは善と悪で、善が是に なるのでしょう。 中国の土着宗教である道教では、富貴長寿が是と なります。 ヒンズーでは聖が是で、俗が非です。 仏教では煩悩が無いことが是です。
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- suzumenokox
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こんにちは。 私は是と非は人間性否定かどうかでわかれるものだと思います。人間性否定であれば非であり少なくとも改善の対象となるという考え方です。そうでなければ生きているだけでフェアな消費生活ということになり、現代の繁栄に対する寄与つまりは是ということになります。
お礼
suzumenokox様、ご回答ありがとうございます。 幾分、経済学的な見方であると思いました。 フェアな消費生活が望ましいのは、そうかもしれないですが、 それのみが現代の繁栄に寄与するのかというと、、、 「人間性否定」は、改善の対象であり、つまり寄与どころかマイナスなのである、 というご見解、ですね。 しかし、「こっちは100%是、こっちは100%非」というようには、 そんなに割り切れるものでもないようにも思います。
是か 非か・・ 事の是非を問うとは 誠か否か でしょうね。 そのまま認めてよいのか、認めざるべきか でしょう。 是れという事実を真実として扱ってよいものか、どうかを尋ねる 事の真偽を早急に尋ねる時に使う言葉だと思います。
お礼
about72様、ご回答ありがとうございます。 たぶんですが、価値観によって、 「誠か否か」「認めてよいか、認めざるべきか」ということは、 結論が変わってくるのではないかと思います。 そうした価値観を全て相対的なものと見て、「絶対」は無い、とするなら、 >「是れという事実を真実として扱ってよいものか、どうかを尋ねる 事の真偽を早急に尋ねる時に使う言葉だと思います。」 これは、いや、私としては、今夜のビールは美味いんですが、 1 「今日のビールは美味い」 2 「私は、「今日のビールは美味い」と思った」 厳密に言えば1は成り立たず、2しか成り立たないのでしょうか。 いや、しかし、「複数人で意見が一致する」ということも、ありそうです。 そのうち、2について「本当ですね?」というのが、是か非か、ということですか
お礼
hekiyu様、ご回答ありがとうございます。 やはり、無為自然のところが、難しく感じられました。 「是も非も超越している、一体である」 →「是非も無い」という表現もありますね。 ところが「道に導かれる」となると、やはり判りません。 ・・・表現が違うだけで、実は同じこと?でしょうか まあ、何を是とし、何を非とするか、これだけいろいろ、あるわけですね。 (多分、もっと、あるんでしょう・・・)