> 私は朝起きにくいです
「朝起きる」 には2つの意味があり得ます。1つは、「目を覚ます」 つまり 「眠りから覚醒する」 という意味、もう1つは 「起床する」 つまり 「目を覚まして体を起こして立ち上がる」 という一連の動作。
「私は朝起きにくいです」 という表現は、「朝、目覚めたことを自覚して、目を開けて立ち上がって顔を洗いに行く」 という動作をすることをスムースにやるのが苦手である、という意味であろうと推測できますが、そういうことを表現する場合には、日本人はそのような表現をしないのが普通です。その意味では、「わたしは朝起きるのが苦手です」 という表現を慣用的に用います。
つまり、日本人には、その表現は、慣用的な表現から逸脱しているように感じられるので、「変だと感じ」 てしまうのです。
文法的には間違っていませんが、同じ内容を表す慣用的な表現があるので、非慣用的な表現をされると、違和感を覚えるのです。
日本人が英作文をして、文法的には何ら間違っていないにもかかわらず、ネイティブからするとおかしな表現だとして、訂正されることがあるようなものでしょう。
> 私は運転しにくいです
「わたしは ・・・ です」 という構文に当てはめると、英語の I am ... という表現に相当します。「私は運転しにくいです」 を英訳すると、I am hard to drive. のようになってしまいます。drive の対象となるのが 「わたし」 ということになります。言い換えると、 It is hard to drive me. ということになり、本来の文意からは外れます。
「私が運転しにくい」 なら文意をとらえるのは容易です。「運転しにくい」 つまり 「運転することに困難を覚える」 のは 「私」 であるということが分かります。「運転しにくい」 のは、他ならぬ 「私」 である、ということを主張していると判断できるからです。
ところが 「私は ・・・ しにくい」 という表現になると、I am hard to ... となり、ある動作が 「困難である」 という場合の 「対象」 が 「私」 であるということになります。「私」 は 「対象」 ではなく、「困難である」 ということを感じている 「主体」 であるはずです。
「私が運転しにくい」 という文で、「わたしは運転するのが苦手だ」 という意味のことを表そうとしたのであれば、それは 「私」 という主体の 「能力」 について述べているのであって、「容易である」 「むづかしい」 という 「私」 から見た評価を表す表現とは別ものになっているということになります。
「私が運転しにくい」 という文自体には、文法的な誤りはありません。車の中で子どもたちが大はしゃぎしている状況があって、運転している 「私」 が 「静かにしろ!」 と怒鳴った時に、「どうして?」 と尋ねられて、「(私が) 運転しにくいじゃないか」 と答えることを想像すると、あり得ない表現ではないと思います。そういう状況を設定しての文かどうか、それが分かりませんが、「運転が苦手だ」 という意味で作文されたものであるなら、不適切な文であるということになります。
言語学でいう統語論とか意味論の分野の話のようになりますが、単純に文法上の問題としてだけでは説明できないのではないかと思います。
お礼
慣用的な表現の問題なんですね。 文法的に説明できず困っていました。 ありがとうございました。