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試験に遅れるならどうするの
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「たら」→完了の助動詞「た」の仮定形。 「なら」→断定の助動詞「だ」の仮定形。 ということになると思います。 わざわざこのようにお示ししたのは、断定なのか完了なのか、という用法の違いによって意味も異なってくるように思うからです。 完了の場合、すでに終わったもの(と想定する事柄)に対して、その後どうするのか、という点について述べています。 「たら」の後項は、必ず前項の後に起こります。 「ご飯を食べたら歯を磨きなさい」など。 一方、「ご飯を食べるなら手を洗いなさい」のように、「なら」の場合、前項は後項の後に起きることが可能です。 これは、「ご飯を食べる」という事柄を断定した場合、どのような対処が考えられるか、ということについて述べる形になっているからではないか、と思います。 完了したことについてではないので、その後(完了した後)どうするのか、ということに限定して述べる必要はない、ということでしょう。 「試験に遅れたらどうするの」は、「試験に遅れる」ということが完了した後どうするのか、という意図の文です。 むろん、これは、「試験に遅れたら取り返しがつかないから、どうすることもできない」という反語的な含意があるわけですが。 「試験に遅れるならどうするの」は、「試験に遅れる」という事態が発生すると(断定的に)仮定した場合、どのような対処が考えられるか、ということについて述べていることになります。 たとえば、「試験に遅れるなら事前に電話で連絡しておくべきだ」とか、「試験に遅れるなら無理してでもタクシーを使うべきだ」など。 つまり、この構文では、「試験に遅れた後どうするのか?」という意味合いを表わすことは難しい、ということです。 断定と完了の違いということなのですが、若干ややこしいので、もうひとつ例を挙げてみたいと思います。 「そんなことを言ったら私は帰る」→「そんなことを言う」という事態が完了したなら、その後、私は帰る。 「そんなことを言うなら私は帰る」→「そんなことを言う」という条件が断定的に仮定されたなら、その場合、私は帰る。 というニュアンスの違いが生じるでしょう。 後者の場合、あくまで、そのような条件が満たされた場合にどうするか、ということを述べており、そのあと引き続きどういう行動をとるか、という意図ではありません。 「たら」の場合は、仮定条件を示された後の後項の内容に重点が置かれており、「なら」の場合は、仮定条件そのものに重点が置かれているように思います。
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- kine-ore
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同じ仮定表現ではありません。 「飲んだら乗るな!乗るなら飲むな!」という飲酒運転撲滅キャンペーンの標語を覚えさせましょう。 この場合なら、 時刻に遅れ<たら>(どうなる?→)試験は受けられない。 試験を受けたい<なら>(どうする?→)時刻を守れ。 仮定条件が成立した場合の後の事態に主眼が置かれる「たら」と、 仮定条件が成立する場合に何をどうするかを問題にする「なら」との、用法の違いです。
お礼
目からうろこのご回答、ありがとうございました。 いずれも確かに「仮定表現」ではあるけれども、重点を置いているのは仮定条件が成立した場合なのか成立しなかった場合かなのか、の違いなのですね。
お礼
本格的なご説明、ありがとうございました。 No.1さんの回答を、文法理論で説いていただいたような気がします。その外国人にはまずNo.1さんのレベルで説明し、後日このご回答のように裏付ける形をとりたいと思います。 その人にとって、今は本当に日本語の試験間近なのです。難しい説明をして理解が間に合わなくなり、試験に落ち「たら」どうにも責任を取れなくなり、互いに困ってしまいますので。