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「楽しい時でも笑わなく」が不自然な文法的根拠
「楽しい時でも笑わなく、悲しい時でも泣かない。」ではなく、 「楽しい時でも笑わず、悲しい時でも泣かない。」と表現すべきだろうと思いますが、前者が不自然な理由がわかりません。 どなたか文法的に説明していただけないでしょうか。
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現代語の「ない」という語には、形容詞と助動詞があります。 この両者は、意味が似ており活用形もほぼ同じなのですが、もともとは別の言葉であったと考えられています。形容詞「ない」は文語の「なし」が語源ですが、助動詞「ない」の語源の方は幾つかの説があって、まだ定説を見ていません。ただ、文語には「ない」と「ず」という二つの助動詞があり(「ない」は東日本方言という説が有力です。)、そのうち伝統的な「ず」が使われなくなり、今では専ら「ない」が使われるようになったわけです。 ということで、形容詞「ない」と助動詞「ない」とでは使用法に違いがあるのです。 一般に、「~なく、……」のように、活用語の連用形でいったん止め、あとにつなげる用法を「(連用)中止法」と言います。 例「酒を【飲み】、女を抱く。」(動詞の場合)、「亭主【元気で】留守がいい。」(形容動詞の場合)、「頭が【悪く】性格もよくない。」(形容詞の場合) 本題です。形容詞「ない」は、他の形容詞の場合同様、中止法として用いられます。 例「私には名も【なく】、金もない。」 それに対し、御質問の「ない」(遅くなりましたが、これは助動詞です。動詞や一部の助動詞(せる・させる/れる・られる)の未然形につくのが助動詞、それ以外の語に付いているのが形容詞です。)の場合、連用形は専ら「なく-て/なく-なる」という形で用いられ、中止法としては用いられません(いくつか例外的な使用例はあるので、全くの誤用とは言えませんが。)。その変わり、昔のライバルである「ず」が生き延びて、御指摘のように「~笑わず、……」と用いられます(「ず」は中止法にのみ生きる道が残った、というわけです。)。 長々書きましたが、結局、答えは#1の方とほぼ同じで、「助動詞『ない』の連用形『なく』は、習慣として中止法には用いられないが、用いても全くの誤用とは言えない。」ということです。
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- sandr0915
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「楽しい時でも笑わなく、悲しい時でも泣かない。」 笑う(動詞)+ない(助動詞)→笑わなく(連用形)、 泣く(動詞)+ない(助動詞)→泣かない(終止形)。 文法的に合っているとは思います。 でも違和感ある。なじまない。 たとえば 「楽しいときでも笑わなく、悲しいときでも泣かなかった。」(ただしこの場合過去形) なら、耳になじむ。 この文の意味内容は 基本的に結果(過去)なの。 だから文章の中に用いるなら 過去形にして表現したい内容。 だから、作文するなら、 「楽しいときでも笑わなく、…」ときたら、 「悲しいときでも泣かない」よりも「…泣かなかった。(過去形)」と続けたくなるの、私は。 そういうことなんじゃないかな。 現在形で用いるなら 「楽しい時でも笑わなく、悲しい時でも泣かない。」 ではなくて、 「楽しい時でも笑わないし、悲しい時でも泣かない。」 の方がいい。でもこれも何となく違和感が…。(気のせい?) 過去の内容を表しているか、あるいはその人物の性質を説明しているか。そういうときに使いたい表現だと思う。 「楽しい時でも笑わないし、悲しい時でも泣かない。」 という風に「。」で終止しないで、 「楽しい時でも笑わないし、悲しい時でも泣かない人」 という風に、「人」や「こと」などの名詞を飾る表現に使いたくなる。 あるいは「この人は 楽しい時でも笑わないし、悲しい時でも泣かない。」のように「この人」という主語を修飾する文に使いたい。 「楽しい時でも笑わないし、悲しい時でも泣かない。」 これ単独でで完成文だと かすかに違和感を感じます。 だから、これは、文法の問題ではなくて、感性の問題だと思います。 (おまけ)短くしましょう。 「楽しいときでも笑わない。」 この文 好きになれる? 違和感全くない? 「禅僧は 楽しいときでも笑わない。」なら、好き。違和感ない 「楽しいときでも笑わない先生」なら、違和感ない。 「楽しいときでも笑わなかった。」なら、違和感ない。 以上、私の日本語に対する感性です。 参考になりますでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございました。 なるほど、時制によっても多少違ってきますか・・・。 「楽しい時でも笑わないし、悲しい時でも泣かない。」であれば自然ですね。 色々な例を挙げていただき大変参考になりました。
- OKAT
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「連用形中止法」という用法があります。文を一旦切り、さらに後へ続いていくときにこの用法が使われます。質問文の中に、 「楽しい……泣かない。」ではなく、「悲しい……泣かない。」と表現すべき…… とありますが、この「ではなく、」のように「なく」で切るのが「連用形中止法」です。この「なく」は形容詞の「ない」の連用形なのです。 同様に「楽しい時でも笑わなく、悲しい時でも泣かない。」の「なく、」も「連用形中止法」なのですが、なぜか不自然な感じがします。前者が不自然でないのに、後者が不自然なのはどうしてなのでしょうか。これは品詞が違うのです。「笑わなく」の「なく」は助動詞「ない」の連用形なのです。 「形容詞」と「助動詞」の二つの「ない」の活用をみてみましょう。 【形容詞】 かろ ・ かっ ・ い ・ い ・ けれ ・ ○(命令形なし) く 【助動詞】 (な)かろ・(な)かっ・(な)い・(な)い・(な)けれ・○ (な)く ○ ・ ず ・ ぬ(ん)・ ぬ(ん) ・ ね ・○ のように、助動詞には古語の「ず」から来た「ぬ(ん)」系列の活用が今も残っていて、使われています。例えば「……ではありません」という場合は「ありませない」とは言いませんね。 このように「助動詞」の場合は、「連用形中止法」の場合も「笑わず、」という方が自然に聞こえます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 >助動詞には古語の「ず」から来た「ぬ(ん)」系列の活用が今も残っていて、使われています。 :ということなのですね。 それにしても、「笑わなく」は文法的に間違いとは言えないということになるのでしょうか。 感覚的にどうしてもしっくり来ず、固い頭で悩んでおります。 大変参考になりました。
- koz7291
- ベストアンサー率53% (96/179)
文法的には正しいのだが、あまり使われないので違和感がある、ということではないでしょうか?
お礼
ご回答ありがとうございました。 文法的には正しい、というご見解ですね。 参考にさせていただきます。
お礼
ご回答ありがとうございました。 噛んで含めるようなご解説で痛みいります。 >助動詞『ない』の連用形『なく』は、習慣として中止法には用いられない :そのために不自然に感じたのですね。 形容詞の場合の比較も含め大変参考になりました。