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第二次世界大戦の開戦阻止について
日本には、キリスト教の信者の方もいます。また、僅かながらアメリカに留学され、アメリカの国力、技術(ドイツに負けている面はあったが)、生活水準も知っていた人もいたと思います。当時、日本は水洗便所もなければ、電気すら来ていない所もあった。食料さえ完全に供給できていない。総人口もアメリカは数倍である。資源もシーレーンが確率できなければ皆無である。いったい、どういう戦略を立てていたのか疑問でしょうがありません。希望的観測ですか?真珠湾奇襲で北朝鮮みたいに弾道ミサイルでジャブをかましたつもりが、急所に当たりアメリカを本気で怒らせ、半殺しにメッタ打ちにされたという感じでしょうか?
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他の方々も触れておられるようですが、私なりに要点をまとめてみます。 1.当時の日本は、軍事行動も含めた広い意味での外交問題について、本当に統一された合意ができる体制がなかった。内閣、陸軍、海軍、傀儡だった皇室、世論は全くまとまっていません。言い方を変えれば、開戦論者が軍を掌握すれば暴走し始めるのは難しくなかった。 2.外交術において、諜報活動(特に軍事暗号、外交暗号の面)でアメリカ等に完全に後れをとっていた日本は、事務レベルの外交での駆け引きで圧倒的に不利な立場だった。従って、海外の日本大使館の活動で日本の国益を守ることが難しかった。 3.アメリカで宣戦布告の権限を持つ上院議会は、第2次大戦に対してアジアでもヨーロッパでも中立を維持する政策だった。しかしルーズベルト大統領は日米開戦を欲していて、議会を納得させる開戦のきっかけを求めていた。 4.アメリカは日本への経済制裁として、様々なカードを切ってきた。主なものだけ挙げても、1億ドル(当時)にのぼる日本政府代理店だった銀行の在米金融資産の無条件没収、民間における日本人とアメリカ人の間の貿易を許可制にする、戦略物資(原油、鉄鉱石、軍事利用できる工作機械など)の日本への輸出禁止などがあった。 5.当時の日本には原油の備蓄量が半年分しかなく、原油輸入量の9割をアメリカに依存していたので、アメリカとの関係修復か、別ルートでの資源確保の2択を迫られた。 6.明治維新以来の日本では、国力で日本より勝るとされる国々を相手に戦争で渡りあってきた(歪んだ形での)成功体験があって、劣勢でもなんとかなるという楽観論を抱く勢力があった。 7.第2次大戦ではそれまでの戦争と違って、前線指揮官の采配で一時の勝利を得ても、それが最終的な勝利にならなかった。今だから明らかだと思えるが、『戦闘地域の広さ、絡む金額の大きさ、科学技術の急速な発展などの影響があって、経済力、戦略物資の保有量、工業力の差がある場合には優勢な側が長期戦に持ち込むだけで最後に勝つ見込みが飛躍的に高まる』ということを、日本の開戦論者は理解していなかった。 8.山本五十六など、日本はアメリカに勝てないと主張した人たちは確かに居た。全面戦争では勝てないと分かっている人もちゃんと居た。でも、当時のアメリカは日本だけと対立していたのではなく、歴史的なつながりの上ではヨーロッパの戦争に協力するかどうかの方が重要度が高いと見られ、それが日本の開戦論者には短期決戦で東南アジアの原油や鉄鉱石を確保しておいてアメリカとの停戦合意を取り付ける、というシナリオに実現見込みがあるという根拠にされた。 9.アメリカ側は日本の窮境を知っており、短期決戦を望んでいることも知っていた。その上で、真珠湾攻撃の実行前に届けるはずだったアメリカへの宣戦布告が日本の不手際で攻撃後にホワイトハウスに届けられたことをプロパガンダに利用した。結果として、日本はだまし討ちを仕掛けた卑怯な国であって、絶対に許すことは出来ないという世論を生み出し、日米が早期に和平交渉する可能性を意図的に絶った。
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- DieMeute
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No.7ですが、ちょっとシーレーン(海上交通路)について追加を・・・ 効果はともかく日本海軍には開戦前からシーレーンを守る計画がありました。 それが開戦前に海軍で策定された「昭和十六年度戦時通商保護計画要領」という海上交通路の保護計画です。 そして南方地域との海上交通路を守る事を主目的とした「択捉型」海防艦の建造を開戦前に始めていますし、34隻の海防艦の急造も決定しています。 この「昭和十六年度戦時通商保護計画要領」での海上交通路防衛計画は、各鎮守府、警備府、方面艦隊、連合艦隊がそれぞれ定められた担任海域の海上交通路を守るというものでした。 しかし、実際に戦争が始まると、この方式では一輸送路の護衛を各部隊が担当海域ごとに交代するので効率が悪いという事や、連合艦隊の決戦兵力から護衛部隊を出すのは重荷にもなるという事で、兵力は少ないですが、第一、第二海上護衛隊が新設されます。この海上護衛隊を新設したのは1942年4月という、まだ日本の海上交通路が脅かされていない時期です。 また、開戦前に海軍軍令部総長が天皇陛下の侍従武官に提出した説明文書にも海上交通路保護の見通しについての説明が記述されています。 そこには長期戦になった場合には連合艦隊の大部分の水雷戦隊を投入して海上交通路を保護するとともに、敵潜水艦基地となりうるオーストラリア北部、ニューギニア、南太平洋にある敵前進基地の破壊に務めるとあり、しだいに護衛兵力も整備されてくるから海上交通路の確保は可能の見込みとされています。 なお、日本海軍において海上交通路保護の研究は、かなり以前から行われており、昭和六年に行われた研究では南シナ海以北の海上交通路保護には実に300隻の護衛艦艇が必要との結果が出されています。 日本海軍にとってまず艦隊決戦によって制海権を確保する事が先決であり、それができねば海上交通路の確保もできないため、海上交通路を防衛する戦力や組織整備は後回しにされた感がありますが、全くの無計画であったり、開戦当初から何もしていなかったわけではありません。 実戦では想定や計画は大幅に崩れ、日本は海上交通路の防衛に失敗しましたが、海上交通路を守るという構想は開戦前から持っていました。
お礼
>開戦当初から何もしていなかったわけではありません。 実戦では想定や計画は大幅に崩れ、日本は海上交通路の防衛に失敗しましたが、海上交通路を守るという構想は開戦前から持っていました。 しかしながら、アメリカの空母艦隊に攻撃され沈むならいざ知らず。アメリカの潜水艦に駆逐艦、海防艦ごと輸送船を次々と破壊され、終いには堂々と東京湾侵入される始末。お粗末です。
大衆が流れるって怖いですよね。20年前はインターネットはまだ普及してなかったですね。5年前はスマホも普及してなかったですね。当時は情報社会では当然ないです。 現在の日本の空気見ても分かりませんか?こんなに情報社会でもこんなんです。東洋のガラパゴス化と言われて、まだ世界から逆行的。 ジョークに世界最悪の軍隊の参謀が日本人。当時、止めようという動きがあったことは時々情報が流れてますね。 シミュレーションで負けと想定できても気合で勝てるという結論になったとか。 内にこもって暴走するという空気は少し当時の再現しているのかもしれませんね。
お礼
>シミュレーションで負けと想定できても気合で勝てるという結論になったとか。 内にこもって暴走するという空気は少し当時の再現しているのかもしれませんね。 東条英機の「物には限りがあるが、精神は無限なるものなり」と言った言葉がまさにその通りですね。
- ithi
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7964 さん、こんばんわ。 実は真珠湾攻撃はもともと連合艦隊の方で考え出した作戦で、立案に一年くらいしか期間を要していないです。海軍の戦略の基幹にはなっていませんでした。もともとはサイパン島を中心として、アメリカ艦隊を迎撃するというのが軍令部の長年の計画であり、基幹戦略でした。しかし、それは日本海海戦のような艦隊決戦を想定したもので、シーレーンのような新しい構想を持ってはいませんでした。 有名な山本五十六大将ももともと米国留学組でした。その彼がアメリカに勝つには短期決戦しかない、そのためには主力艦隊の基地のある真珠湾をたたくしかないと決めたのです。その隙に資源豊富な南方を占領し、長期持久の構えを構築しようとしたのです。しかしながら、この考えにはアメリカの政略を考慮に入れていませんでした。もし、攻撃しなかったら、当寺対日戦にはアメリカの政府上層部でも批判的な人がいたからです。 この攻撃でアメリカは日本とドイツ、イタリアに対して宣戦を布告し、イギリスを表だって援助する口実を得ました。 もちろん、リメンバーパールハーバーに象徴されるような対日キャンペーンを張り、大規模な戦争準備を始めたのです。 真珠湾攻撃はじめ、第一段階の作戦は成功しましたが、第二段階の作戦は戦略構想の変換から間もないために準備不足でした。だから、ぼろが目立ち始めたのです。
お礼
>もし、攻撃しなかったら、当寺対日戦にはアメリカの政府上層部でも批判的な人がいたからです。 この攻撃でアメリカは日本とドイツ、イタリアに対して宣戦を布告し、イギリスを表だって援助する口実を得ました。 アメリカ人は結構、腹黒いところがあり、まんまと罠にハマッタところが悲しいですね。
- DieMeute
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>いったい、どういう戦略を立てていたのか疑問でしょうがありません。希望的観測ですか? ■回答・・・日本の戦略としては1941年11月15日の大本営政府連絡会議で承認された「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」という構想案がありまして、全部書くと長文になるので、これを簡単に言うと・・・ 速やかに極東の米英蘭の根拠地を占領し重要資源地帯を押さえ海上交通路を確保し長期自給自足の体制を整え、先ずドイツ、イタリアと協力して英国の屈服をさせ、さらに米海軍主力を撃滅し通商破壊戦を強化し米国世論の厭戦を誘致し戦意を喪失させるというものです。 つまり、最初から日本は米国を降伏させようとは考えていませんでした。戦争を諦めさせ講和させる事を狙っていました。 質問者さんの仰るとおり日本には資源がありませんから開戦初期に南方の資源地帯を占領する計画であり、実際にそれは実行され成功しています。きちんとシーレーンの防衛計画もありましたが、これは後に破綻しました。 ●そして、この戦略では米英不可分という考えから英国の屈服を図る事が重要視されていました。 開戦前の1941年11月4日の軍事参議会で海軍軍令部総長の永野大将が「英米連合軍の弱点は英国にありと考えられる・・英を餓死せしめて屈服せしむること最も捷径なり」と言い、東條首相も「通商破壊戦により英の死命を制し米の態度を変えしむ」と言っています。 そのため「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」にも「英の屈服に際し之と直ちに講和する事なく英国をして米国を誘導せしむる」とあります。 つまり、米英連合軍の弱点は英国であり、その英国をまず先に屈服させて、米国の継戦意志を喪失させようという構想です。 ただ、これは日本単独で行おうというものではなく、ドイツ、イタリアの動きにも期待するものでした。 「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」にはドイツ、イタリアに次の方策をとらせるとあります。 ◎対英国封鎖強化 ◎英国本土上陸作戦 ◎近東、北アフリカ、スエズ進出と対インド施策 また、既にドイツはソ連と戦争を始めていましたが、ドイツを対英国戦に集中させようという思惑から「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」には外交政策として、ドイツとソ連の講和を仲介し、ソ連を枢軸側に引き入れるという構想も記されています。これは、実際に外交工作が行われましたが成功しませんでした。。 日本による英国に対しての直接的なアプローチとしては通商破壊戦によりオーストラリア、インドとの連絡線を断ち、英国から離反させ、英国に打撃を与え、またビルマを攻略して独立させ、その成果を利用してインド独立運動を刺激するというものです。ただ、この英国への通商破壊戦は徹底されませんでした。 ■対米戦について「対英米蘭蒋戦争終末促進ニ関スル腹案」では、日本、ドイツ、イタリアが協力して米国の世論を厭戦へと誘致し戦意を喪失させるとありまして、日本としては米海軍の主力の撃破と通商破壊戦強化、対米宣伝謀略を強化するとあります。 つまり、日本は米国に対し、その戦意を喪失させ講和に持ち込もうという戦略があり、無計画に何の目算も無しに戦争を始めたわけではありません。 ただし、そこにはドイツが英国に対し勝利するという期待があった事、それを計算に入れていた事は外せません。 ■なお、戦争終結の機会としては南方作戦の成功、または蒋介石の屈服時、またはドイツによる英国本土陥落、または独ソ戦の終末時なのが想定されていました。また、講和の斡旋をバチカンやスウェーデン、南米諸国に依頼する予定でした。 この中で南方作戦の成功は実際に成功したわけで、実際に東久邇宮大将が東条首相に緒戦の情勢が有利なので和平交渉を始めるべきだとか、天皇陛下も2月に戦争終結の機会を逃さないようにとお申しつけになりましたが、東条首相は和平交渉どころか戦争継続、拡大に動きました。 まあ、この時点で和平交渉をしても米英が乗るとは思いませんが、少なくとも日本にも早期に戦争終結の考えをしている主要人物がいた事は事実です。 ◎当初、日本の戦略はうまくいっていましたが、引き際を誤り戦線を拡大しすぎて米軍相手に無駄に戦力を消耗したり、当初の予定通り英国への通商破壊戦を徹底する事をしなかったり、シーレーン防衛に失敗等、他にも幾つもの致命的なミスが重なり、敗北しました。
お礼
>当初、日本の戦略はうまくいっていましたが、引き際を誤り戦線を拡大しすぎて米軍相手に無駄に戦力を消耗したり、当初の予定通り英国への通商破壊戦を徹底する事をしなかったり、シーレーン防衛に失敗等、他にも幾つもの致命的なミスが重なり、敗北しました。 おそらく引けなかったでしょう。シーレーン防衛も失敗。だっら、アメリカ人も舌を巻く、ドイツ、イタリアに宣戦布告しかなかったと思います。ハワイの日系人がドイツ相手に戦ったように。
>当時、日本は水洗便所もなければ、電気すら来ていない所もあった。食料さえ完全に供給できていない。総人口もアメリカは数倍である。 アメリカにも、水洗便所は無い、電気も水道も無い、食料も自給できない場所はありました アメリカの人口は日本の2倍です。
お礼
>アメリカにも、水洗便所は無い、電気も水道も無い、食料も自給できない場所はありました アメリカの人口は日本の2倍です。 屁理屈を言っても何も意味がありません。
- ssssan
- ベストアンサー率18% (132/730)
2番回答者の暗号解読にてこずったフリしてのハワイ攻撃の立場は私は取りません、外務省の出先機関のコッパ役人がのサボリが一番の原因と見ています、最後通牒.宣戦布告書提出遅れは日本は提出から2.30分の遊び時間の余裕を持っての攻撃と計算してました、所がドッコイそれ迄にも何回も暗号電文やり取り解読作業しててヒッパク状況は馬鹿でも分かるのに何か職員の歓送迎会だかを優先してその会の間の2.3時間が今でも騙し討ちの汚名を着せられてる原因ですー。 外務省役人は湾岸戦争でも同じような事件起こしてて全然反省していませーん、イラクが侵攻してて米多国籍軍が反撃するかとか緊張時に駐イラク大使が休暇で日本に帰ってて、邦人もいるのに大使代理が責任者でしたー、米等が攻撃してる時はーー本当に如何しようも無いです害務のコッパ役人連中は駐ペルーの大使館人質事件の時の日本大使もそうですし、私はスペイン語.ホルトガル語は聞き取れないし話せませーんって自慢してる輩が大使でしたー、これでは交渉も何も有ったもんじゃ有りません、平時の信仰深める会か何かでもーー。 例の小和田家もその例外では無いしでー雅子妃は新型うつ病という現代怠け病ですしー、で夜.昼逆転の生活の様ですので昼間の公式行事何て頭痛い腹痛いに成るのは当たり前ちゃ当たり前ですう。 大東亜戦のそもそもは米が日本の満州利権に私達も仲間に入れてよーです、で日本が嫌だよーで米が怒って油断から屑鉄輸出停止ですよー、米がシナ事変の頃は義勇軍派遣してましたがシナ人民何て如何でも良くて利権を手にする為の派遣ですー、今迄世界に数多の戦争が有りますが99.99パは利権争いが発単での武力衝突です、金に成ると思うから喧嘩の延長で戦争ですーー。
お礼
日本の外交のへたくそなところが、太平洋戦争を招いたとこもあるのですね。
- jkpawapuro
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ベトナムは開戦阻止できましたか? サダムフセインは開戦阻止できましたか? アメリカが戦争したいと思ったらそれから逃れることができる国はありません。
お礼
>アメリカが戦争したいと思ったらそれから逃れることができる国はありません。 ごもっともです。
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
煎じ詰めると 「負けたことがなかったから」 http://www.geocities.jp/kingo_chuunagon/kikaku/kokuryoku.html ここから適当に数値を取ると 1894 日清戦争 GDP 日清≒1:6 工業 日清≒1:5 人口 日清≒1:9 1904年 日露 GDP 日露≒1:3 工業 日露≒1:3 人口 日露≒1:3 1937 日中 GDP 日中≒1:2 工業 日中≒5:3 人口 日中≒1:7 1941 日米 GDP 日米≒1:5 工業 日中≒1:6 人口 日中≒1:2 国力のスペックとして、対戦相手のアメリカは「特異例」ではありません。1937年の日中戦争で工業生産力において日本が優位である以外、すべての戦争において日本が劣位である状況でした。 なので、国力の点で「劣っているから勝てません」というのは、過去の経験則から否定されてしまいます。 (結果として)正確な予測は経験から来た事実の前では弱いのです。 日清でも日露でも他国の予測では日本不利でしたので。 一言 「弱腰」 といわれると、返答ができなくなる。
お礼
>国力の点で「劣っているから勝てません」というのは、過去の経験則から否定されてしまいます。 (結果として)正確な予測は経験から来た事実の前では弱いのです。 日清でも日露でも他国の予測では日本不利でしたので。 確かにイケルと思うかもしれませんね。ヒトラーも2000年間負けたことのない国が味方についたと喜んでいましたし。
- Saturn5
- ベストアンサー率45% (2270/4952)
回線を決意するにあったての疑問点はするどいところをついています。 いわば、山崎邦正の怒りが蓄積してついに蝶野と戦うところを決意したのと同じです。 しかしながら、山崎邦正は体重が蝶野の半分、腕力は2割くらいしかありません。 普通にやったら勝てないのです。 >真珠湾奇襲で北朝鮮みたいに弾道ミサイルでジャブをかました ここは違います。真珠湾攻撃は渾身のストレートです。 本来、戦争というのは攻撃の2時間前に回線通知をしないといけません。 しかし、日本は暗号解読にてこずったフリをして、全力で真珠湾を攻撃しました。 日本の攻撃機は12月8日に真珠湾を攻撃して大きな戦果はあげたのですが、 最終目標である空母艦隊には全て逃げられました。 山崎邦正が蝶野の後ろから、後頭部をハンマーで殴ろうとしたような感じです。 蝶野がそれで気を失ってしまえば、山崎はあとはパンチの連打で勝てるのです。 しかし、蝶野はプロレスラーです。 気配で山崎の攻撃をさとり、間一髪で急所をはずし、首筋に直撃を受けて倒れました。 しかし、体力のある蝶野はすぐに起き上がり、山崎をつかむとビンタの連打を浴びせました。 というような感じで、不意打ちで倒そうとしたのが、よけられてしまったような感じです。 ですから、太平洋戦争の日本の負けは真珠湾攻撃で決まっていたのです。
お礼
御回答ありがとうございます。
補足
>ですから、太平洋戦争の日本の負けは真珠湾攻撃で決まっていたのです。 フランス、イタリアのようにアメリカに寝返って一緒にナチスドイツを攻撃すれば良かったのでは?
- trajaa
- ベストアンサー率22% (2662/11921)
で、何を質問したいのかな?
お礼
質問の仕方が悪くお手数お掛けし、すいません。
補足
「どうして第二次世界大戦の開戦阻止をできなかったか?」です。
お礼
>アメリカ側は日本の窮境を知っており、短期決戦を望んでいることも知っていた。その上で、真珠湾攻撃の実行前に届けるはずだったアメリカへの宣戦布告が日本の不手際で攻撃後にホワイトハウスに届けられたことをプロパガンダに利用した。結果として、日本はだまし討ちを仕掛けた卑怯な国であって、絶対に許すことは出来ないという世論を生み出し、日米が早期に和平交渉する可能性を意図的に絶った。 アメリカ人は結構、腹黒いところがあり、まんまと罠にハマッタところが悲しいですね。