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第二次大戦

天皇、近衛、石原莞爾も首相になった東條も、戦争回避に動いていた。 アメリカは日本と戦争をしたかったのですか?。 真珠湾攻撃をせずに南下を続けていたらダメだったのでしょうか?。

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  • eroero4649
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回答No.6

>参戦したいなら真珠湾直後にノルマンディーでええやろうに、3年もタイムラグがあるのは、理由としては、おかしい。 それをやらなかったのは、開戦当時にアメリカ陸軍は実質的にほとんど存在しなかったからです。 1940年9月に、アメリカは「選抜徴兵法」というのが成立します。アメリカ史上に戦時以外で初めて徴兵制度が成立したのですが、これは議会でたった1票差で可決したほどでした。だから日本は「アメリカは戦争に気が進まない」と判断した一因となったのですけれどもね。 40年9月に大統領がサインして、そこから若者のリストを作って徴兵検査をして合格者に通知して呼び出して訓練をしなければなりませんから、そんなにすぐ動員できません。元から徴兵制があって予備役兵がすぐ動員できる日本やドイツやフランスとは違うのです。 第二次世界大戦にアメリカが参戦したとき、陸軍で戦える兵力は実質的に歩兵10個師団と機甲1~2個師団程度だったと思います。しかもその機甲師団が装備していたのは37ミリ砲搭載のM3軽戦車です。これでは歴戦のドイツ装甲師団と戦ったら瞬殺されるのは間違いありません。 1942年8月19日に、連合軍は北フランスのディエップに上陸作戦をしています。これはなぜ行われたのかがよく分からない(本格上陸作戦ではない)ので、本格上陸作戦の前の強行偵察説やソ連の「早く第二戦線を作れ」に形ばかり応じた説などがあります。 ともあれ、カナダ軍を中心に約6000名が上陸しましたが、ドイツ軍に迎撃され、なんと4000名の損害を出して失敗してしまいます。ドイツ軍の兵力はわずかに1500名程度だったといわれていますから、敵前上陸作戦というのはそのくらい困難で「ドイツ軍はつおい」ことがお分かりいただけるかと思います。 アメリカ陸軍は1942年11月から始まった北アフリカ上陸戦(トーチ作戦)が実質的な初陣になりますが、このときカセリーヌ峠の戦いでドイツ軍を相手に1ヵ月の間で200両近い戦車と同じくらいの数のハーフトラック、122両の自走砲と500両を越えるトラックとジープを失う敗北を喫しています。このとき思わずアイゼンハワー将軍(第一次大戦従軍済み)は「我々の坊やたちは戦争ができるのかね?」と嘆息したといいます。そのくらい、ドイツ軍はつおいのです。 >ソ連は再三アメリカの参戦を要請していたが、見捨てた格好です。 連合軍(主にアメリカ)はいわゆるレンドリースで大量の武器や物資をソ連に送っています。ソ連に送られた戦車は約7千両、航空機は約1万5千機にもなり、終戦時にソ連軍が保有していたトラックの2/3はアメリカ製だったといわれるくらいです。 それだけで驚いてはいけません。実は北海の海底には、約5千両の戦車と7千機の航空機、20万トンもの資材が眠っているのです。ソ連に送られた総量を見れば、その損害も膨大であることがお分かりだと思います。実はドイツ軍が最も多くの戦車を葬った戦場はクルスクでもノルマンディーでもなく、北海だったのです。 アメリカというよりルーズベルト大統領は、決してソ連を見捨ててはいなかったと思いますよ。 もし対米宣戦布告をしないで南下政策をとったら、どのような形であれいずれアメリカは参戦してきて、フィリピンから出撃したアメリカ軍の潜水艦がボカスカ日本の輸送船を沈めて日本のロジスティクスは破綻したと思います。 またはっきりいえば、南方攻略は軍事作戦としては成功しましたが、戦略的には思ったほど寄与していないというのが現実だったと思います。

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質問者

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ありがとうございます。兵隊育成に3年もかかるのに「参戦したがっていた」とは悠長なお話です。 ソ連の要請は西部戦線への兵力分散であり、北海に兵器を送る事は支援ではなく死守せよという非道ではないでしょか。すぐに降参してればよかったが 死守したおかげで、ソ連兵の死者数は歴代最高記録です。 真珠湾攻撃なくしてアメリカ参戦の口実はみあたらず、満蒙制圧同様見過ごす羽目になるのではないでしょうか。 民族解放の大義なのですから。理由もなくフィリピンから輸送船を沈めたらいかんわ。

その他の回答 (6)

  • igarasik0
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回答No.7

南部仏印進駐したら石油禁輸もあると米国から警告されていたにもかかわらず、日本はそんなことやるわけがないと考えて南部仏印進駐をして石油禁輸されてしまう。 そこから日本は深刻な米国不信に陥った。 その為、当時の日本はフィリピンに手を付けなければ南方作戦で米国が手出ししてこないはずだということを信じることができなかった。 日本が南方作戦で手に入れたかった資源地帯と日本本土との間にはフィリピンがあるため、そこから米国がいやがらせしてくれば南方作戦そのものが徒労に終わる。 米国不信に陥っていた日本で、米国は日本に有利に動いてくれるはずという能天気な前提で考えることができたかというと、果てしなく疑問。 つーか、当時の日本にそれができたなら、対米戦争なんかをするよりも交渉を続けて解決策をさがそうとしていたでしょう。 (まぁ、中国戦線を日本の中央政府が制御できない状況をどうにかできなければ、その交渉も徒労に終わるのですが、それは別の話)

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質問者

お礼

ありがとうございます。 アメリカが石油を止めないから南進したのではなく、石油を止めるから南進したのでしょ?。 どうも真珠湾は失敗で、ほとんどの空母を残してしまったらしい。 真珠湾を全滅していたらあと2年敗戦が遅れたらしい。あと、オーストラリアまで無意味に手を広げ過ぎて、分散した戦力がミッドウェーで負けたらしい。集中してれば戦力的には勝てた。 つまり、勝てない戦ではなかったらしい。

回答No.5

>軍部の暴走はアメリカも同じで、トルーマンは広島は軍事基地しかないと軍に騙されたわけですよ。 太平洋戦争のそもそもの原因は、アメリカが日本を植民地として欲しかった事が発端。欧州の国々は東南アジアやオセアニアに植民地を持っていたから、取り敢えず日本を植民地にと考えたのは大統領のルーズベルト。彼の有色人種嫌いは有名ですからね。 >欧米の逆鱗に触れるか触れないように満蒙までは、占拠出来たわけですから、その延長線上に南国の占領が出来たのではないかという事です。 No.3の回答でも触れましたが、旧日本軍はオセアニアまで進出していますよ。もちりん、欧州植民地からの解放が目的です。旧日本軍が植民地としたのは台湾だけですが、日本の植民地政策は欧州型植民地とは違い、インフラ整備や治水、農業指導まで施していますから、未だに親日が続いているわけです。

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質問者

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ありがとうございます。 有色人種好きなんていませんから、大した理由ではありません。ましてや、日本人が白人なら植民地にしないなんて道理でもあるまいし。 オセアニアまでいってたならなおさら真珠湾攻撃は不要では?。 植民地解放運動の延長をやればアメリカ参戦の口実をあたえずにすみます。

  • eroero4649
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回答No.4

そうですね。はっきりいえばアメリカは対日戦をしたかったと思います。というか、太平洋の覇権をかけて「いつかどこかで(戦争を)やらないといけないだろうな」という気持ちはどこかにあったと思います。 ルーズベルト大統領が望んだことは、対ドイツ戦にアメリカが参戦することでした。なんとかしてここの戦争に乗っかりたい。そのためにはドイツの同盟国である日本とやったら対独戦に参加できんべなっていう計算はあったと思います。 開戦当時の日米の海軍の比較をします。この場合、比較対象になるのは戦艦です。当時の常識では海軍の戦争の主力は戦艦ですからね。また一般的に「第二次世界大戦は空母が主力」と思われていますが、戦艦が参加した海戦も意外に多いのです。 日本海軍の戦艦は、長門、陸奥、伊勢、日向(扶桑、山城)です。 アメリカ海軍は、メリーランド、ウェストバージニア、テネシー、カリフォルニア、ペンシルベニア、アリゾナ、ネバダ、オクラホマ(コロラド、ニューヨーク、テキサス)となります。アメリカ海軍のカッコ内は大西洋艦隊所属の戦艦です。そして太平洋戦争開戦直前にノースカロライナ級が就役していますが、これは大和級と同じ扱いにして開戦時の戦力には入れませんでした。 扶桑と山城は一応戦艦のクラスとしては超弩級戦艦なのですが開戦当時でも時代遅れになりつつあり、これを戦力として加算するのはちょっと難しい面があります。 また、なんで太平洋戦争で一番活躍した金剛級が入っとらんのや!とお思いかもしれませんが、金剛級はクラスとしては巡洋戦艦という枠になります。巡洋戦艦は、巡洋艦に対しては優れた火力で圧倒し、戦艦に対しては正面から戦わずに速力で振り切ることを想定した軍艦です。ですから主力戦艦の中にはカウントできません。 かように、日本海軍が実質4隻なのに対してアメリカ太平洋艦隊は8隻の戦艦を有しており、これは明らかに優位になっています。 日本海軍は、日露戦争の日本海海戦式の海戦を想定していました。マリアナあるいはフィリピン周辺で、太平洋を渡ってくるアメリカの艦隊に対して迎撃する作戦を想定していたのですが、これがもう何度机上演習しようと勝てない。 なんとかならないかと考えて作ったのが空母であり、重雷装巡洋艦だったのです。 当然同じことはアメリカ海軍もシミュレーションしていたと思います。だから「フツーにやってりゃ勝てる」と考えていても不思議はなかったと思います。特にルーズベルト大統領は海軍出身でしたから、知識がある分その想定に自信もあっておかしくなかったと思います。 また資料がないので根拠はありませんが、昭和天皇が日米戦争を望んでいなかったことをアメリカ側も知っていたかもしれません。それゆえに「日本は戦争を決断しない。だから強気に出ても日本側は折れる」という読みもあったかもしれません。 「アメリカには宣戦布告しないで、イギリスとオランダ限定に宣戦布告して南方地域を占領するのはどうよ?」というのも当然考えましたが「そんなことをアメリカが黙って受け入れるわけがない」と考えたことと、あとその場合には当時アメリカの植民地だったフィリピンに攻撃はかけないことになるので、南方へのロジスティクスを考えたらフィリピンから潜水艦や爆撃機が出撃して日本の輸送船を攻撃したら南方攻略なんてできなくなる、という予測もあったと思います。 また、それらの状況を逆の立場、即ちアメリカ側から見るならば、日本に打てる手はほとんどなく、やぶれかぶれに戦争を仕掛けるか屈するかのどちらかになるだろうという予測もあったと思います。そしてその場合、やぶれかぶれに戦争を仕掛けられることは必ずしもアメリカとしては困った事態ではないというのは間違いなくあったと思います。

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質問者

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ありがとうございます。 アメリカは1944まで欧州に参戦してません。ソ連は再三アメリカの参戦を要請していたが、見捨てた格好です。 参戦したいなら真珠湾直後にノルマンディーでええやろうに、3年もタイムラグがあるのは、理由としては、おかしい。ルーズベルトは、ヒトラーとスターリンが潰し合うのを見ていたわけです。 満蒙はオッケーなのにインドネシアは許さんとなりますかね?。 ルーズベルトは、戦争しないというのを公約にしてたからむしろ、戦争できないのはアメリカの方で、日本は米領さえ避けてれば、やりたい放題やれたのではないですか。 あとよく言われるのは、ソ連に進軍してたら、ヒトラーへの援護となり、ソ連敗北、ノルマンディーも失敗の線もあったとか。

回答No.3

当時の天皇陛下(昭和天皇)は、自ら戦争をする/しないを決断してはいません。大陸に進出し、戦果を納めている陸軍が最も戦争をしたがっていたのですが、海軍は消極的だったと聞いています(戦力差・物資面から見ても負けは確実と見ていました)。 結局、陸軍の押しに負けてしまったため、当時の内閣総理大臣が天皇陛下へプランを提出、そして天皇陛下の了承を得たため戦争に突入したと言うのが大筋です。 日本としては短期決戦しか勝つ方法が無かったため、太平洋上にある米軍拠点を一気に潰すしか方法が無かったわけです。真珠湾の次は南下と仰っておりますが、ハワイ島以南には米軍の大きな拠点はありません。ですから、ミッドウェイ方面へ勢力をのばしたわけです。ただ、欧州連合から植民地とされていた国々(東南アジア~ニューギニア付近)に対して、植民地から開放する作戦も同時に行われていました。それが大東亜共栄圏構想であり、旧日本軍の本来の目的です。太平洋戦争には負けましたが、大東亜戦争では旧日本軍は勝っていると言うのが正しい見解だと私は思います。 話が少しズレましたが、、、 当時の旧日本軍の暗号は最高水準の暗号と言われていましたが、真珠湾攻撃の時点では既に暗号は解読されており、旧日本軍はアメリカの掌の上で戦争をしているに過ぎなかったわけです。とりあえず真珠湾を日本にくれてやる変わりに「リメンバー・パールハーバー」を国民意識として刷り込み、日本に対して容赦ない攻撃をする様になります。 その結果、日本本土の沖縄本土決戦・日本本土空爆・原子力爆弾投下を含めアメリカは民間人に対し無差別殺戮をする様になっています。アメリカは、この無差別殺戮に対し未だに一切の謝罪をしていません。※戦争においては、民間人を殺害するのは禁止されています。 ちなみに真珠湾攻撃は、軍施設を攻撃したものであり、民間人を無差別殺戮した攻撃では無かったのは証明されています。

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質問者

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ありがとうございます。 南下ってのは、物資を求めて南下するって事で、ハワイの南側という意味ではありません。つまり、欧米の逆鱗に触れるか触れないように満蒙までは、占拠出来たわけですから、その延長線上に南国の占領が出来たのではないかという事です。 軍部の暴走はアメリカも同じで、トルーマンは広島は軍事基地しかないと軍に騙されたわけですよ。 しかし、マッカーサーは朝鮮戦争で更迭されたんだし、軍が軍がって言ったって抑えなしゃあないでしょう。 理由になってないですよね。 原爆は日本にくくて落としたのではなくソ連への牽制ですよね。落とす事が目的だから大義はでっち上げ。

  • tzd78886
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回答No.2

元々石油を確保することが発端ですが、知識を持っている人なら、国力に700倍も差がある国と戦ったら勝ち目が無いことくらいわかっていたはずです。ところが、日露戦争で同じように国力が差があるロシアに、「勝った」ので、同じ戦法が取れると勘違いしたのです。打ち負かすのではなく、有利な状態で講和に持ち込もうとしたわけです。ところが、アメリカは本気で戦う気になってしまったので思い通りに行かなかった。国内が混乱していたロシアと、そんなこととは無縁のアメリカを同じように考えたところに大きな誤りがあったのです。しかもこともあろうに狡猾なスターリンのソ連を講和の仲立ちにしようと考えてすらいた。あまりに考えが甘すぎた日本の外交の敗北です。

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質問者

お礼

ありがとうございます。ロシアはロシア革命で忙しかったからだし、勝ちと言っても負けに等しい犠牲を払いなおかつ賠償金も取れてません。 なのに、アメリカとやると考えたというのは信じがたい。 なので、開戦せずに南下するればいいのにと思います。

  • notnot
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回答No.1

> 首相になった東條も、戦争回避に動いていた。 はわかりませんが、 > アメリカは日本と戦争をしたかったのですか?。 はそうですね。 中国での覇権問題。 あと、大きいのが日本の同盟国の独・伊と開戦する口実が出来たことです。 アメリカがヨーロッパに参戦できなかったらどうなっていたか。

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質問者

お礼

ありがとうございます。首相になった際に天皇崇拝の東條は、天皇の意思に従ったらしい。 しかし、アメリカのイジワルにより、開戦となった。 日本は真珠湾せずに、つまり、対米宣戦布告せずにアジアだけを相手にはできなかったのでしょうか?。 真珠湾攻撃は1941、ノルマンディーは1944です。3年もラグがあり、欧州参戦と関係ありますかね。

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