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日本海軍は真珠湾奇襲に『成功した?』、『成功させてもらった?』
第二次世界大戦での日本の軍事作戦について質問です。昭和16(1941)年12月8日の早朝(日本時間)、日本海軍機動部隊は、ハワイのアメリカ太平洋艦隊基地の奇襲に成功した。これを皮切りに日本とアメリカは戦争状態に入った。というのが、戦後の長い間の定説だったと思います。私もそう信じていました。 ところが一方で、日本海軍は奇襲に「成功した」のではなくて、アメリカに「成功させてもらった」のだという説があります。つまり、機動部隊がハワイへ向う途中、無線電波を発しながら航行したためアメリカ政府の首脳は機動部隊がハワイに近づくのを知っていた。ローズベルト大統領は既に始まっていた大戦に参戦したかったのだが、アメリカの世論が参戦反対だったため、その機会がなかった。 で、日本に第一発を打たせれば(ハワイを奇襲させれば)参戦の口実ができるので、ローズベルトは機動部隊がハワイに近づいていることを太平洋艦隊に知らせなかった。そのためハワイの米軍は警戒態勢を取らなかった。そして、日本の航空部隊は奇襲に成功した。だから、日本海軍は真珠湾を奇襲できたのだというのです。 日本海軍は真珠湾奇襲に『成功した』のでしょうか、それとも『成功させてもらった』のでしょうか。
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決定的に正しい、とされる引用部分について 前の方(#27)が御紹介のサイトより 1. 93、113、475頁【決定的決め手となる重要電信】 十一月二十五日山本五十六聨合艦隊司令長官から第一航空艦隊に宛てたと謂ふ二本の電信は全くの「幻」の電信であり 存在しない架空の電信である。 山本の第一報と謂ふのは 文面からして「機密機動部隊命令作第一號」に近いが C點(N42°W170°)での燃料補給は(X-4)(十二月四日)午前であり 若干内容が異なる。機密機動部隊命令作第一號、第二號、第三號は十一月二十三日新嘗祭当日午前九時麾下各級指揮官を旗艦「赤城」に招致の上 手交下達してゐる。 軍令部ならびに聨合艦隊司令部宛の写は鈴木 英少佐が持ち帰った事が記録されてゐる。 それと >「 ニイタカヤマノボレ 一二〇八 」(電信(2)) >これもアメリカ側で傍受、解読されました。この電信は暗号ではなく、片仮名の平文でした。 内容を考えれば、暗号化されずに発信は、100%ありえません。 矛盾満載のようなので、かえって面白く読めると思います。図書館といわず、いずれ購入してみます。
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- a-koshino
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不可思議な話が次々と・・・ 「ホントですか?」「おかしくないですか?」 と、繰り返しているわけですが、これって議論なのでしょうか? (1)アメリカ海軍第12海軍区情報部が作成した第一航空艦隊の航路図。 >この航跡図が、後年になって偽造されたものとは思えません。 当時に作られたという証拠は、ありますでしょうか? スティネットという方は、デリンジャー現象のせいで遠くまで電波が届いた、なんてトンデモ発言をなさる方のようなので、証拠が見たくなります。物理法則を捻じ曲げてよいのはフィクションだけです。 (2)ヘンリー・スティムソン陸軍長官の日記 「問題は我々自身が過大な危険に処することなく(日本側の)最初の1発が(我々側を)激発するよう、日本をどうやって誘導するかにある」 という文面らしいですが、これを考えてるのは当然スティムソンであって、ルーズヴェルトではありません。真珠湾の損害は、充分に「過大な危険」だと思います。 (3)ジョセフ・グルーの諜報活動。 いくらなんでも宮中にスパイがいますか? 証拠希望です。 御前会議の段階で日本の作戦計画がアメリカにもれていたら、緒戦の快進撃はできないと考えるのですが。 スティネットという方は、日本人をバカにしてるんじゃないかと、思われてなりません。 (4)吉川猛夫の諜報活動。 アメリカも横須賀にスパイを送っていたわけですが、それをもって、「横須賀が空襲される」という証拠にはなりませんね。敵主力艦隊がどこに、何隻いるか探るのは、普通のスパイ活動です。 彼が送った電文は「ハナコサンガコドモヲウンダ」(敵艦隊真珠湾にあり)かと記憶してますが、これを解読しても真珠湾攻撃は予測できないのでは?
- DieMeute
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状況証拠において、ルーズベルトが「真珠湾が攻撃を受ける」という確実な情報をいつの時点で、どこの情報部門から渡されたのですか?是非お教え下さい。お願いします。
- nenbutu0011
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この種の多くの本のなかで、さらに重要な決定的証拠は存在するが、機密事項のため誰も閲覧することが許されていない。と書かれています。 スティネットの「真珠湾の真実」も例外ではありあません。 これが胡散臭さを感じさせる一番の原因なんですね。 電文1号の存在なんて荒唐無稽としか思えません。 下のサイトで、その点も含めて陰謀論の問題点を論じています。 私にはこちらのほうが説得力があります。 秦郁彦の著作ではさらに詳細に論じていますので、そちらも一読なされることをお勧めします。
補足
>秦郁彦の著作ではさらに詳細に論じていますので、そちらも一読なされることをお勧めします。 ありがとうございました。参考にさせていただきます。 ========================= 秦郁彦の検証について: http://homepage2.nifty.com/ijn-2600/shinjuwan.sinjitu.html 秦郁彦の『検証』を読んで先ず感じたのは、”独断”が過ぎることです。彼はスティネットを「独断」、あるいは「我田引水」と非難しておりますが、秦も負けず劣らず「独断」していると私は思います。 例えば秦は、「何れにしても二十一日に『第二開戰準備』が発令され、二十三日に『機密機動部隊命令作第一號』が発令された後に、このような内容の聨合艦隊命令が発令される事はありえない。」と断定しますが、山本長官と南雲司令官との間で、口頭で「文書で交付した『第一號』を電信で繰り返すことによって正式の出撃命令とする」という臨時の約束があったとも考えられるじゃないですか。(電信のあった日の翌朝、出撃した。) 二番目に、彼の見方は偏っており、公正ではありません。スティネットが書いている重要なポイントのいくつかについて何のコメントもしておりません。 (1)アメリカ海軍第12海軍区情報部が作成した第一航空艦隊の航路図。→前述 (2)ヘンリー・スティムソン陸軍長官の日記。 この日記には、ルーズベルトと彼の戦時内閣が、どのようにして日本に最初の一発を撃たせ、アメリカの世論を参戦に導くかを話し合った事が記されている。ルーズベルトが世論対策に心を砕いていた様子が分かります。 ※戦時内閣:ルーズベルト大統領、ノックス海軍長官、スターク海軍作戦部長、スティムソン陸軍長官、マーシャル陸軍参謀総長、ハル国務長官。 (3)ジョセフ・グルーの諜報活動。 東京駐在のジョセフ・グルー米大使が、宮中に勤務する日本人スパイから昭和16(1941)年11月5日の御前会議の内容を入手してワシントンのハル国務長官に報告したこと。昭和天皇の周辺にアメリカへ国家機密を売り渡す売国奴がいたのです。 (4)吉川猛夫の諜報活動。 吉川猛夫海軍少尉はホノルルの日本領事館に派遣され、真珠湾の米軍基地と太平洋艦隊に関する情報を収集して日本の海軍省へ報告した。アメリカ側は、吉川が日本を出立する時から吉川の動きを追跡した。彼の任務がハワイの米軍に関する諜報活動であることはすぐに分かった。しかしアメリカ側は最後まで(真珠湾攻撃の当日まで)吉川を泳がせた。吉川が日本へ送った情報は全て暗号化されたがすべてアメリカ側に解読された。アメリカ海軍情報部は吉川の自宅の電話に盗聴器を仕掛けた。吉川の活動内容から、日本軍がハワイの基地を攻撃目標にしているのは明白でした。
- DieMeute
- ベストアンサー率70% (571/807)
NO.20さんへの回答の補足で質問者様は、「機動部隊が単冠湾を出撃した1時間後、アメリカ海軍作戦部は・・・(省略)・・・アメリカが便宜を図ったことを意味します。」と断言していますが、それはどうでしょう。機動部隊が単冠湾を出撃する直前にアメリカに一つの情報が入ってきました。それは日本の輸送船30隻以上が5個師団を輸送し、台湾の南を移動中というものでした。ルーズベルトにもこの情報は伝えられますが、それはちょうど機動部隊が出撃した時刻と一緒です。海軍作戦部では、この情報により日本との戦争の危険が増したと判断し、船舶の航路を制限するよう命令を出したのです。アメリカとて無限に艦艇と飛行機を持っているわけではありません。商船の安全を確保するには同盟国近海で援護をしやすい航路を指示したにすぎません。機動部隊の出撃にあわせて命令を下したわけではないのです。 ところで質問様に質問です。私は知らないのですが、ルーズベルトが「真珠湾が攻撃を受ける」という確実な情報をいつの時点で、どこの情報部門から渡されたのですか?その公式記録はどこにありますか?是非お教え下さい。お願いします。
補足
返事が遅くなりました。済みませんでした。 >ルーズベルトが「真珠湾が攻撃を受ける」という確実な情報をいつの時点で、どこの情報部門から渡されたのですか?その公式記録はどこにありますか? ルーズベルトが「真珠湾が攻撃を受ける」という報告を受けたという記録を残さないようにしたはずです。報告を受けたとしても口頭報告で済ませたでしょう。仮に部下から報告書類がきても、目を通したあとサインしないまま返したでしょう。組織のトップはそういうものです。できるだけ責任を回避しようとするからです。(ライブドア事件の堀江社長も、決算紛飾に関する大事な指示は口頭で行いました。) だから、ルーズベルト陰謀説を立証する”直接証拠”の発掘は期待できないので、”状況証拠”をたくさん集めようとするわけです。スティネットも非常にたくさんの説得力ある状況証拠を集めました。
- a-koshino
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旧暗号の使用される可能性が、もう一つありました。 米軍へ、日本の空母が内地にいると思わせたい場合です。 偽電なら、米軍が解読していたとしても、まったく当然です。そのための偽電ですから。 なお、米軍が新暗号を解読するためには、大量のデータを蓄積する必要がありますので、「日本軍が主に旧暗号を使っていた」という前提では、開戦時点での新暗号の解読は不可能です。
お礼
a-koshino様へ 他の回答者への補足でも言いましたが、私も「成功した」と信じていました。しかし、スティネットの本を読んで、非常の『多くの証拠書類』を揃えて”ルーズベルトの謀略”を説明しておりますので、私の現在の考えは、やや「成功させてもらった」の方に傾いております。これ以上続けると管理者から「議論を目的としている」と判断されて削除されそうですので、ここらで回答を締切ろうと思います。 色々教えていただきありがとうございました。
補足
お時間のあるときに図書館でスティネットの本を読んでみて下さい。
- a-koshino
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「米側は12月4日までの電信の内容を解読しております。戦略暗号JN‐25は破られていたわけです」 日本軍が旧暗号を使用し続けたとすれば、サイファー(解読のカギ)となる暗号書の交換が間に合わない(遠隔地や、作戦中の艦艇)場合しか考えられません。内地から出発した機動部隊が、最重要の作戦で旧暗号を使用していた可能性はゼロです。しかも航海途中で切り替えるわけがありません。 いろいろと引用していただき感謝しておりますが、引用が増えるたびに原著者への信頼が低下しております。無線電信を物的証拠として強調する本を書く人が、無線に関する知識が皆無(デリンジャー現象を知らないレベル)というのは、正直、驚いています。 これで軍事的な(特に日本海軍についての)知識も、同レベルだとすれば、戦争の本を書く能力に欠けるのではないか、とすら感じています。 決定的に正しい部分を、一ヵ所でいいので引用願えますでしょうか。
お礼
上の文の誤まりを訂正します。 (誤)日本軍は12月2日の明け方、ハワイを襲う (正)日本軍は12月8日の明け方、ハワイを襲う
補足
>決定的に正しい部分を、一ヵ所でいいので引用願えますでしょうか。 ご要求に沿えるかどうか分かりませんが。 米海軍は、機動部隊が単冠湾を出撃する日の前日に山本五十六長官から南雲忠一司令官に宛てた電信を傍受、解読しました。 『機動部隊は極力その行動を秘匿しつつ、対潜、対空警戒を厳重にしてハワイ海域へ進出し、開戦劈頭、在ハワイの敵艦隊主力を攻撃し、之に致命的打撃を加えるものとする。最初の航空攻撃はX日(後令)の明け方とする。空襲終わらば機動部隊は緊密な連携を保ち、敵の反撃に備えつつ速やかに敵海域を離れ、内地に帰投するものとする。なお対米交渉成立の場合は、機動部隊は警戒態勢を維持しつつ帰投し、再編制を行うものとする。』(電信(1)) もう一つ。 昭和16(1941)年12月2日、山本長官は南雲司令官宛てに開戦命令の電信を発しました。 「 ニイタカヤマノボレ 一二〇八 」(電信(2)) これもアメリカ側で傍受、解読されました。この電信は暗号ではなく、片仮名の平文でした。 電信(1)と(2)から、「日本軍は12月2日の明け方、ハワイを襲う」と分かるわけです。
- DieMeute
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>かりに日本軍がこの船を撃沈したとしても、アメリカの世論が参戦支持に変化することはなかったと思います。 それは、あなたの考えです。重要なのは、それを計画していた人達、特にルーズベルトがどう考えていたかが問題でしょう。全く無駄、無意味と思うなら船を出す筈がありません。ルーズベルトはあなたと正反対の考えを持っていたから、船を出したとも考えられます。また、世論はそれほど考慮せず、ただ単に日本からの攻撃を誘い、開戦の口実のみ欲していたのかもしれません。 大統領の持つ「緊急時の権限」及び「防衛に関する権限」は絶対的なものであり、迅速な行動が必要との理由から議会の宣戦布告を求めない事を許される場合もあります。大統領が領土と国民の安全を前面に強調した場合、議会は黙認する事もあるのです。それを狙って船を出そうとした事も考えられます。 ともかくルーズベルトの陰謀説については、著名な戦史家であるリデル・ハートもその著書「第二次世界大戦」で否定説をとっています。「ルーズベルトが真珠湾の敗北を企んだのであるとするのは、いかにも根拠希薄な論法であって、それよりも陸海軍司令部における安心感と見込み違いの証拠が歴然として、他の異説を圧している」と、リデル・ハートは述べています。私が二度、回答している内容もこれに意見を同じくしているものであるのは、お読みいただければわかるでしょう。 そして、私と、「成功した」派で私と同様の回答をした方には、まだ納得のいく反論は寄せられていません。反論があるのは無線電波の件ばかりです。私としては、これでは「成功させてもらった」と認めるのは非常に難しいものがあります。私は今だ確信をもって「成功した」派です。
補足
>リデル・ハートもその著書「第二次世界大戦」で・・ この本は読んだことありませんが、もし、ハートとスティネットが議論したらスティネットが勝つと思います。ハートの「第二次世界大戦」は1960年代の著作ですが、「真珠湾の真実」は1999年の著作で、情報公開後の豊富な公文書が証拠書類になっていますから。 >そして、私と、「成功した」派で私と同様の回答をした方には、まだ納得のいく反論は寄せられていません。 このサイトは議論を禁止しております。お察し下さい。
- a-koshino
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「28日から12月1日頃にかけて」 大量の電文が4日間だけで発生し、その目的は時化にあった艦隊の整列にあった、と理解してよろしいでしょうか。 「不幸にして、この時期は太陽の黒点活動が活発になっており、大規模な磁気嵐が発生し、低出力の電波でも予想外に遠くまで運ばれたようです」 アメリカへ届かなかった電文も多数あるという印象を受けました。ものすごい量の通信をしていたのですね。 ところで、まったく知識が不足しているのですが、磁気嵐は長距離通信の阻害要因ではありませんか? もしスポラディックE層↓ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%AFE%E5%B1%A4 の話であれば、季節が合わないし長時間は続かないのでは? 門外漢なので、間違っていたらごめんなさい。 一番疑問なのは、無線封止の重要さを理解していながら、艦隊の整列になぜ、発光信号ではなく大量の無線を使ったのか、です。
補足
返事が遅れて済みませんでした。 >「28日から12月1日頃にかけて」大量の電文が4日間だけで発生し、その目的は時化にあった艦隊の整列にあった、と理解してよろしいでしょうか。 米海軍第12海軍区情報部が作成した日本海軍空母機動部隊の航跡図を見ると、機動部隊は12月4日までと、7日、8日に電波を出しております。 米側は12月4日までの電信の内容を解読しております。戦略暗号JN‐25は破られていたわけです。しかし、12月7日、8日両日の電信については、傍受はされていましたがその内容は解読されていないと思います。日本海軍は12月4日頃までにJN‐25の使用を停止したはずですから。なお、12月7日には機動部隊はオアフ島の北方800キロ付近にあり、400キロ付近に達したところで機動部隊は停止(※)、赤城の航空隊が発進したようです。※プロコフィエフ海山付近。 >磁気嵐は長距離通信の阻害要因ではありませんか? 私も門外漢です。ただ誤解ないようにお願いしたいのは、機動部隊が使った電波は、”低周波”ではなく、”低出力”の電波です。 >一番疑問なのは、無線封止の重要さを理解していながら、艦隊の整列になぜ、発光信号ではなく大量の無線を使ったのか、です。 むろん私にも分かりません。著者のスティネットもそれについては触れておりません。素人考えですが艦船は、手旗信号はもちろん、発光信号も届かないような遠くまでばらばらになってしまったか、あるいは霧のために視界が悪い状態だったかのどちらかではないでしょうか。 あるいは何かの本で赤城の南雲中将は、潜水艦が隊列からはぐれて迷子になっているのではないかとか、随分気にしていたようですから、潜水艦と連絡をとるために多くの電波を出したのかもしれません。 なおアメリカ側の傍受記録によると、山本五十六連合艦隊司令長官は電信で、日本時間の1941年11月26日真夜中(午前0時?)から無線封止を守るように命令を発しました。しかし、「緊急の場合、または必要が生じた場合はその限りではない」という但し書きがつけられていました。大しけで隊列がばらばらになってしまったので、南雲中将は「必要が生じた場合」に該当すると判断して電波を出したのではないでしょうか。 なお山本長官の無線封止命令の電文は、アメリカ第2公文書館に保管されています。
- muimidas
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常識で考えてみてください。 仮にアメリカの陰謀だったとしましょう。 その場合でも、先に戦争をしかけたのは日本ですから、真珠湾の被害の大小にかかわらず、アメリカは参戦する正当性を持つことになります。 であれば当然、アメリカは被害を最小限にするべく、迎え撃つ十分な準備をして待ち受けるはずです。 現実がそうでなかったということは、アメリカは知らなかったということです。 誰かこれに反論できる人はいますか?
- a-koshino
- ベストアンサー率23% (102/441)
「日本海軍が組織的に偽電計画を実施した事実はない」との主張をしている著作なら、日本軍が発した電文は全て、偽電ではないという解釈なのですね。 これまで御教えいただいた情報をまとめると、その本の中の日本軍は 真珠湾攻撃に際し、 ・わざわざ開戦のために新しくした暗号を用いずに、旧暗号で真珠湾攻撃の情報を流し ・電波封止を行なわず、偽電もせず、無線を出し放題で位置を探知され、なおかつ戦後になって、電波封止や偽電をしていたと言い張る という集団だったと。 ・・・日本人は猿扱いでしょうか? そこまでオマヌケな軍隊だったとすれば、「成功させていただか」なければ、真珠湾攻撃など不可能でしょう。 自分は、当時の日本軍は電波封止の必要性を理解していたし、偽電も盛んに行なったから、攻撃の目的地を秘匿でき、真珠湾攻撃に「成功した」と考えます。
補足
>当時の日本軍は電波封止の必要性を理解していたし・・ 連合艦隊司令長官の電波封止命令を機動部隊が理解していたのは間違いありません。機動部隊航跡図を見ると、11月26日からの数日間と12月5日、6日は全く電波を出しておりませんので、基本的に電波封止命令を守ったことは確かです。 しかし、11月26日に単冠湾を出撃したあと、28日から12月1日頃にかけて機動部隊は大しけに遭遇し、部隊の隊列が壊れ、艦船が散り散りばらばらになりました。ばらばらになった艦船を呼び集めるために赤城などが電波を出したようです。冬の北太平洋は台風並の低気圧が発生して猛烈にしけます。 南雲中将を初めとする機動部隊の幹部は、低出力の電波なら遠くまで届かないと考えたようですが、不幸なことに、この時期は太陽の黒点活動が活発になっており、大規模な磁気嵐が発生し、低出力の電波でも予想外に遠くまで運ばれたようです。アメリカ本土でも傍受されました。 >攻撃の目的地を秘匿でき・・ 第12海軍区情報部は機動部隊が出す電波の発信地を割り出して航跡図を作成しました。その航跡の目的地がハワイであることは明瞭でした。航跡図作成担当者は Robert Ogg です。 この他にも、日本海軍の攻撃目標がハワイであることをアメリカ側が知っていた可能性を示唆する事実があります。機動部隊が単冠湾を出撃した1時間後、アメリカ海軍作戦本部は「太平洋を横断する船舶の航路はすべてトレス海峡とする。太平洋艦隊とアジア艦隊は必要に応じ、これを護衛せよ。」と命じました。そして同時に海軍は、アメリカおよび連合国の船舶は全て北太平洋から引き揚げ、太平洋を横断する船舶は全てオーストラリアとニューギニアの間のトレス海峡を通るように命じました(「真珠湾の真実」)。これは、日本の機動部隊が他の外国船に出会うことなく無事にハワイへ到着できるようにアメリカが便宜を図ったことを意味します。ハワイに向けて隠密行動中の機動部隊が外国船に出会えば、隠密行動を中止して日本へ帰ってしまうことをアメリカは恐れたのでしょう。
お礼
ご回答有難うございました。