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開戦時期は良かったのでしょうか?

皆さんこんにちはー 1941年12月8日真珠湾攻撃により、大東亜・太平洋戦争が始まりました。 なぜ、12月8日に開戦したのですか? 同盟国であるドイツの戦況をしばらく観察し、場合によってはドイツが対アメリカ線に加勢してくれる状態で、日本はアメリカと開戦したかったと思うのですが、そこまで待てない理由は石油をはじめとする物資の問題だけなのでしょうか? よろしくお願い致します。

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  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (678/1421)
回答No.5

 直接的には、真珠湾攻撃が実施困難になってしまう事が原因だと思います。  冬の北太平洋の海は、荒れますから航波性に劣る所がある、空母や駆逐艦が隠密裏に長躯遠征し、攻撃を実施(艦載機は天候が良くなければ艦載機の離着艦すら出来ない)する事が出来ません。  12月の初頭に攻撃できないと、天候が再度良くなる、翌年の春まで作戦実施を待たねば成らなくなりますから、作戦上非常に問題に成ります。(石油の残量が少なくなる中で数ヶ月間、無為に過ごすというのは…。)  また、米軍はヴィンソン・プランに基づいて42年以降、米軍の兵力がドンドン強化されていく事が既成事実として認知されていました。開戦時期を遅らす事は、日本側に不利になる要因が大きすぎました。    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3%E6%A1%88  なお、第二次大戦開戦後に策定された両洋艦隊法は、現存する日本海軍の全艦艇の排水量に匹敵する艦艇を新規に建造するという、野心的な計画でした…。(時が経てば、日本の海軍力は対米比で半分以下となる訳で…。しかも連合国側には、日本以上の海軍力を有するイギリスもいた訳で…。)  まさに、時が経つのは日本にとって百害有って一利無しという状況でした。  ちなみに、ドイツとの同盟は防衛同盟(攻められたら助けるけど、自分から攻撃した時には…。事実日本は、ドイツがヨーロッパでフランスやイギリス等の国と戦争を行っていても、それらの国へ宣戦布告は実施していませんでした。)ですから、日本がアメリカに宣戦布告した場合には、ドイツが日米戦争に日本を援助する側で参戦する事を義務づける物では有りませんでした。(事実ヒトラーは、この時点で対米宣戦布告を行わなければ日本との友好的な同盟関係を維持できないと判断し、他の閣僚の反対を押し切って米国への宣戦布告を行いました。)    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E7%8B%AC%E4%BC%8A%E4%B8%89%E5%9B%BD%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E5%90%8C%E7%9B%9F  ドイツが対米戦に参加してくれる事を期待して、開戦というのは当時の日本としても過剰に期待できる物で無かったと思います。(まあ、独ソ戦がドイツの勝利になれば、有利な条件でアメリカと講和できると考えていたかもしれませんが…。)

rin00077
質問者

お礼

皆さんこんにちはー この度はたいへんありがとうございます。 おかげさまで、いろいろ参考になりました。 横着ながら、まとめてお礼とさせていただきます。 やはり一番は石油のようですね。 物資が輸入してこない以上、それらの貯蓄の問題がありますね。 では、またよろしくお願い致します。

その他の回答 (4)

noname#69405
noname#69405
回答No.4

やはり、石油は大きな理由です。当時の日本はほぼ全ての石油をアメリカに頼っていたので、それを禁輸によって止められてしまってはどうしようもない、このままでは「ジリ貧」になってしまう、と言う考えから、なるべく早期の開戦したほうが良いと考え戦争準備をしていたのです。そして、41年9月6日の御前会議(天皇臨席の政策決定最高会議)で、対米英戦争の方針が決定されました。 しかし、そうは言っても国力に明らかな差があるアメリカとはなるべく戦争をしたくないと言う思いもあったため、開戦反対派の近衛文麿内閣の下で、ぎりぎりまで戦争回避のための日米交渉が続けられました。 暫くの間は、この二つの路線が同時並行的に進められていたのですが、11月5日の御前会議で既に決められていた11月いっぱいと言う期限になっても日米交渉はまとまらなかったため、開戦が決定されたのです。このとき既に真珠湾攻撃の部隊はハワイを目指しており、そのまま予定通りに攻撃を開始したと言うわけです。 ドイツとの関わりの面では、日本がドイツにも対米戦に参加してもらいたいと考えていたと言うよりは、ドイツの方が日米の開戦を望んでいたと言えます。なぜなら、日本とアメリカが太平洋を舞台に戦えば、ヨーロッパにアメリカがやってくることはなくなるため、ドイツにとって有利だからです。 また、日本の側としては、ドイツがヨーロッパ諸国を次々に破っている流れに乗じたい思いがありました。石油をはじめ天然資源の豊富な東南アジアを占領していたヨーロッパ諸国が、ドイツとの戦争によって疲弊している間に、それらの地域を手中に収めたいという考えがあったのです。 ですから、日本が本当に戦いたかった相手はイギリスであり、そのためにはアメリカとの対立が避けられないと言うことで対米開戦になったのです。一般には真珠湾攻撃によってアジア太平洋戦争が始まったと言われますが、実際に日本軍による最初の攻撃が加えられたのはマレーー半島のコタバルという場所のイギリス軍基地であり、真珠湾攻撃の数時間前にアジア太平洋戦争は始まっていたのです。 山本五十六などは長期戦になったら日本に不利だと考えていたため、開戦初期の段階で徹底的に相手をたたこうという考えから、ハワイの真珠湾に対する飛行機での奇襲攻撃(宣戦布告の直後に攻撃が開始されるように計画していた)を発案したのです。その目的は、敵の主力艦に最初に損害を与えてしまうと同時に、そのショックによってアメリカ人の厭戦気分を呼び起こそうと言うものでした。 結果としては、これは全く逆効果であり、不手際によって宣戦布告が開園後に手交されたことも関係して「Remember PearlHarbor」の合言葉のもと、アメリカ人の愛国心に火をつけてしまいました。また、開戦初期の段階において予想をはるかに上回る戦果を上げたがために、最終的に日本軍自身を滅ぼすことになる慢心が生まれてしまいました。

  • wildcat
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回答No.3

同盟国であるドイツはバルバロッサ作戦で泥沼一歩手前、膠着状態になり対米戦に参加できそうもないところから日本は独自に戦端を開かざるを得なかった。日本軍は補給能力が極端に劣ることを知っていた「山本五十六」は短期決戦でしか勝ち目がないので早く決着をつけるためにハワイ太平洋艦隊の基地である真珠湾攻撃を断行した。 しかし、見掛け倒しの戦果のみで目的の空母は全て無事という大誤算か、あるいはアメリカ得意の謀略戦(コールバード)にだまされていることに気づかず、そのまま歴史の示す結果になっていった。

  • nishikasai
  • ベストアンサー率24% (1545/6342)
回答No.2

やはり石油でしょう。 石油をとめられた日本は備蓄があるうちに白黒つけたかった。叩いて有利な条件で講和を結びたかったのでしょう。山本五十六長官は国力の差があるため長期戦では勝てないことをよくわかっていました。

  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4426)
回答No.1

山本五十六の性格によるところが大きい。 「ドイツ・イタリアは、嫌いだった。」 「戦争はしたくなかった。」 「とっとと、やってしまいたかった。」 「敵空母が、集結する晴れの日だった。」 内交的で、好き嫌いのハッキリした「ワガママ大将」の独断。 それでいて、自分は「最前線に行かない」 「凡将」の代表。

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