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永訣の朝 をつくった日はいつ?
新潮社の文庫「宮沢賢治詩集」の目次には、「永訣の朝 1922・2・27」と記されていますが、妹のとしさんが亡くなったのは、1922・11・27とすると、亡くなる前になってしまう。「永訣の朝」が作られたのは、いつでしょう?「 春と修羅」の出版は、1924・4・20のようですが。
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現品は未確認ですが、1991/08/01発刊の新潮文庫「新編 宮沢賢治詩集」の目次では、 「永訣の朝 ((一九二二、一一、二七))」となっています。 http://www.shinchosha.co.jp/book/109207/ また、実際に関根書店版「春と修羅」(大正13年4月20日発行)の中では「無聲慟哭」5編の内「永訣の朝」を含む3編は縦書きの漢数字で(一九二二、一一、二十七)となっています。この一一月が、うっかり二月に見えたのかも知れません。ちなみに「風林」は一九二二、六、 三)となっており、これは明らかに(一九二三、六、 三)の誤植です。 ともあれ「永訣の朝 」が1922年11月27日付けであることはどちらにおいても整合しています。
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- sumiremarch
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筑摩書房の『宮沢賢治全集』には、1922年11月27日になっています。 文庫本には、結構誤りが多いです。 それは初出と比べてみるとお気づきになられると思います。岩波文庫の『日の出前」も1ヶ月違っています。 現在も出版されている『ヴィヨンの妻・桜桃』で、小山清氏は昭和21年12月と書いていますが、『薄明』に 掲載されて出版されたのは昭和21年11月20日ですので、11月の誤りです。
お礼
早速、ありがとうございます。
- d-y
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新潮社の文庫は見ていませんが、青空文庫のテキストでは11月27日の日付になっています。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/1058_15403.html こちらの論文にも、「 詩集の目次では , 『永訣の朝 』に1922 年11月27日という日付が付されている 。この 日付は,賢治の妹トシが死んだ日と一致している。賢治 26歳, トシ 24歳であった」とあります。 http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13616/1/16_p175-191.pdf 新潮社版が間違っているのかも?
お礼
早々にありがとうございます。他の論文にもあり、間違いないですね。
お礼
すっきりしました。よく見たら、その通りでした。漢字で、「一」「一」と縦書きで、「二」と読んでいました。その前の詩「東岩手火山」が、「1922・9・18」でした。ありがとうございました。