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宮澤賢治「永訣の朝」の解釈とは?
- 宮澤賢治の「永訣の朝」について、霙と方言に関する疑問や陶椀の意味、ハッシュタグとの関係などを解説します。
- 「永訣の朝」の中の一節に登場する霙や陶椀などの要素について解釈し、五感や感情を通じて表現される宮澤賢治の世界観を紹介します。
- 宮澤賢治の「永訣の朝」で描かれるみぞれや陶椀などの象徴的な要素の解釈について考察し、雪と水、生と死の対比などについて解説します。
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1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった ちょっと甘えた言い方らしいですね。 2.「これらふたつのかけた陶椀に」 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。 その昔の事を再現してくれという願いにも読み取れます。 3.「ふたきれのみかげせきざいに」 「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。 「2」から「1」になるという事を際立たせています。 4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」 濡れた御影石の表面は滑りやすいので、アブナク、です。 4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」 「あめゆじゅ」は雨と雪。賢治が採ったのは松の枝に積もったみぞれ交じりの雪。 5.「(Ora Orade Shitori egumo)」 草稿では平仮名だったそうですね。 妹の今際の言葉として、文字の意味ではなく「音として記録」した、という解釈ができるでしょう。 ~~~ 言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。 彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。
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- kine-ore
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>あまゆきがどういうものかしりませんが、シャーベット状の雪ならぴったりなのですが。 「あめゆじゅ」は、霙(みぞれ)の方言であるに「あめゆき」が更に訛った言葉です。 この霙は単に雨と雪の混じったものではなく、水分が多いため雪が綿のように大きく育ったためにフウワリと落ちてくる、それなのに触れたらすぐ溶けて水になるようなものなのです。 ですから、「雨」冠に「英(はな)」で、まるで花弁(なはびら)のように飛び交う雪水の漢字になっています。 つまり、すぐに融け流れ出すものなので、温かみのある手などで持ってくることはできません。ですから茶碗で受けたとしても、持ち帰ったらそれは水なのです。 結局、妹トシは兄賢治に末期の水を願ったことを暗示しているのです。 「あめゆき 霙。みぞれ。青森県上北郡・岩手県九戸郡・愛媛県伯方島。 あまゆき 霙。みぞれ。秋田・岩手・島根・大分市」(東條操編「全国方言辞典」東京堂) 「とてちて」は「取って来て」です。 「けんじゃ」は「賢治ゃ」であり、賢治兄さんとの呼び掛けです。 「雨雪の花弁(末期の水)を取って(結局は汲んで)来て賢治ゃ(賢治さん)」 それを受けて賢治は、ですからそのための「茶碗」を遣うのです。
補足
ありがとうございます。 論文、たいへん参考になりました。 やはり同じことを疑問におもっているのです。 あめゆじゅはあめゆきのことかもしれませんね。 大辞林にありました。 あめ-ゆき [2] 【雨雪】(東北・北陸・四国・九州で)みぞれ。あまゆき。 あまゆきがどういうものかしりませんが、シャーベット状の雪ならぴったりなのですが。 >「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。 作者は、こういう技法を意識して作っているのでしょうか。 二つの思い出の欠けた陶椀、二つの濡れてあぶない御影石、雨と雪の二相を持ちすぐに消える運命のあめゆき。 それとも偶然のなせるわざなのか。 作者はあめゆきを頼まれて、夢中で台所に行ったところ、偶然欠けた思い出の陶椀が目に入り、それを自分のぶんも含めて二つ持っていったと解釈しました。二人はいつも一緒だったから、そうしたのでしょう。 それが「まがったてっぽうだま」という表現になったのだと思います。