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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:永訣の朝、トシが亡くなったのは、いつ?)
宮沢賢治の永訣の朝、トシ逝く時刻と詩の書かれた日にち
このQ&Aのポイント
- 宮沢賢治の「永訣の朝、トシ逝く」という詩について、トシの亡くなった時刻と詩の書かれた日にちについての疑問があります。
- 文春文庫によると、亡くなった時刻は大正11年11月27日の朝8時30分とされていますが、ネット上では夜8時30分という記述も多いです。
- また、心情を考えると、朝に亡くなった可能性が高く、朝に永訣の朝を書いた可能性もあります。詩が書かれた日にちや時刻についてわかる情報があれば教えてください。
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質問者が選んだベストアンサー
賢治の事務所というサイトがあります。参考になる部分もあるかな? ただ、もともと童話はトシを楽しませるための物でした。書くことで思いをぶつけていたと考えられます。心象スケッチという言葉を使っていますので、気持ちを詩でスケッチしたと。 賢治さんの弟さんが関係しているものだと参考に成るかな。また親友などとの手紙などが資料となっていると思います。 賢治さんは筆記用具が変わると字も変わる。鉛筆書きはすごい字ですよ。記念館とかに複製原稿とかあるけど、びっくりしたわ。
お礼
ありがとうございます。教えていただいたサイトへメールをしてみました。
補足
教えていただいたサイトから、回答をいただきました。まだ、「永訣の朝」をつくった日にちが、はっきりしません。 宮沢賢治の妹トシの死去の時刻については、『新校本宮澤賢治全集第十六巻 (下)』年譜篇に、「午後八時三〇分」とあります。当該部分の脚注には、「一一月二七日(月)」の記述より詳細な状況説明文があります。出典は森荘已池『宮沢賢治の肖像』のほか、近親者からの聞き書きを、(旧)校本全集で年譜を編纂した堀尾青史氏による構成とされています。 状況説明文の中には、「夜、母の手で食事をしたあと・・・」亡くなる状況が 書かれています。夜とするのが正しいようです。 なお、「永訣の朝」「松の針」「無声慟哭」にはトシの亡くなった日付が付 されていますが、賢治の作品日付については、詩として作品が成立した日を限定的に指すものではなく、詩の素材となる出来事があった日と考えられています。