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大河・八重の桜で

蛤御門の変というのがありましたが、飛び飛びで観ていたため、内容がよく理解できませんでした。 なぜ長州が攻めてきたのでしょう?どこかの藩がこんな軍事行動に出る、というのは江戸時代にしてはかなり突飛に思えたもので。 歴史にお強い方、わかりやすくご教授ください。

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  • tanuki4u
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回答No.1

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E9%96%80%E3%81%AE%E5%A4%89 基本的にはこのへんの理解でよろしいかと ポイントは 長州藩は京都での政局で主導権を握っていた。 ※ これって、江戸時代の「外様は政局に参加できない」では異例です 前年の8月18日の政変で、京都から追い出される → 一度獲得したものは取り返したいという欲望 6月5日の池田屋事件で、慎重派が積極派に(長州内で)負ける ※ だんだんとエスカレートしたということになります

fdydy
質問者

お礼

なるほど~ 前年の8月18日の政変で、京都から追い出される → 一度獲得したものは取り返したいという欲望 というのはよくわかります。 幕末は『坂本龍馬』近辺の話はドラマにもなりますが、それより前のことはあまり描かれませんよね。 全ての藩が、徳川のもと、おとなしくしていたというわけではないんですね。複雑だぁ・・・。 ご回答、ありがとうございました!

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