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なぜ、学校では役に立たないものを教えるのか?

僕は高卒ですが、前々からふに落ちない事がありました。 学校の勉強は社会に出てから役に立たないものが多い。 理科や歴史や因数分解みたなものなど、社会に出てから 何の役に立とうか? 学校では、ものすごく無駄な事を生徒に教えている。 歴史なんぞ趣味の範疇で、興味のある人が勝手に調べて 勉強すればいい話である。 数学も日常に困らない程度のものをものを身につけたら いいだけで、難しい公式などはな~んにも必要あるまい。 英語もそう。そんなものが必要とする仕事は一部である。 要するに社会にでてから、まったく役に立たないものを 長い時間をかけて教えている。 それよりも、法律、倫理、子育てのイロハ、など、社会に でてから役に立つものがたくさんあるではないか。 なぜ、そういうものを教えず、無意味な授業が多いのか、 その理由を知っている人は、いませんか?

みんなの回答

  • alterd1953
  • ベストアンサー率20% (239/1173)
回答No.6

荒っぽく言ってしまえば、若者に教養を身に付ける為のものではなく 企業や役所が必要としている優秀な人材をふるいにかける為のものだからだと思います。 少なくとも、高校の授業は、ほとんどの高校生には難し過ぎ 全くもって残酷で無駄なシステムだと思います。

  • toshipee
  • ベストアンサー率10% (725/7148)
回答No.5

 すべて使おうとしか考えないから、使えない者が生まれる。因数分解を極めた者は、それを生かしてエンジニアなどになれる。歴史や地理を極めた者は、ツアーコンダクターなどになれる。何が自分が没頭できて、極められるモノを見つけられるかが、高校の勝負。  それを見つけられなかった者が、その立場を経験していないのに何かと文句を言い、使えないとされる者の総称となる。  無意味な授業と、有意義な授業を見極めるのよ。逆に言うと、君は高校入学時に、自分だけに有意義に学びたいモノをすべて言えたかい?

noname#177363
noname#177363
回答No.4

>理科や歴史や因数分解みたなものなど、社会に出てから 何の役に立とうか? 私も高卒ですが、何かと役に立ってますよ。歴史を知ってるお陰で、理解できることがたくさんあります。理科などは、学校で習ったことの応用が、知らず知らずのうちに生活に役立ってたりします。 >歴史なんぞ趣味の範疇で、興味のある人が勝手に調べて 勉強すればいい話である こういう発想は、その学問が苦手だった人が「言い訳」する時に使われますね。学校で習ったことって、本当に基礎的なことで、足りないくらいです。 就学年齢の頃は、身体や心に加え、脳の機能も成長期でしょうから、その時に幅広く勉強し、大人になった時に必要な知識の基礎を築くのが学校教育の役割だと思います。 ですが、個々の子供の個性や適性は、最初から分かるわけではありません。最低限の知識を学習するとともに、それぞれがどの分野に適しているかを見極めるためにも、後々必要なかったかもしれないということも勉強する意義があると思います。 あとは、10代までは脳のトレーニングとしても意味があると思います。必要ないからとやらないでいたら、本当に必要になった時に勉強しようと思っても、対応できないのではないでしょうか。 >それよりも、法律、倫理、子育てのイロハ、など、社会に でてから役に立つものがたくさんあるではないか。 あくまで基礎的なことですが、法律や倫理も、一応は学校教育には含まれていますよね。専門的なことは大学でなければ勉強できないでしょうが、大人になってそういうことを理解できるようになるためにも、高校までの広範な勉強が必要なんだと思います。 子育てについては、本来は家庭で学ぶものでした。 ただ、最近は核家族が当然な上、親戚付き合いや近所付き合いが減ってきているので、学校教育の中に組み込む必要性を、私も感じています。

  • renkorus
  • ベストアンサー率38% (34/88)
回答No.3

あなたの質問には同感です。例えば、英語に関しては文法優先で、会話を重視しない、理解できても、話せない教え方です。日本人が規律、法則を守る国民であることは素晴らしいことです。 ですが、人生に必要なことを学校で教えないのは日本に限ったことではありません。例えば、どうしたらよい親になれるか、自分の金銭を管理する能力は、学校では教えません。 成績優先は日本に限ったことではありません、あなたのお気持ちは分かりますが、働き蜂がいなくては、少数のエリートを守る社会構造が維持できないのです。選ばれた小数の人達の陰謀です。 それを解明できたら成功者になれると思います。

  • kuni-chan
  • ベストアンサー率22% (678/3074)
回答No.2

 恩恵を受けている実感が無いからです。  不要と思った時点で無意味と決めているからです。  数学に関して言いますと無駄と思い込んでしなかった人と勉強した人の差を実感した事は何度もあります。  その場面に遭遇して全て負け組へ行きたいなら不要な事でしょう。

回答No.1

明治維新直後に、海外から外国人教師を招いて、西洋の学問を盛んに取り入れた時代があったことは、歴史でよく学ぶことです。その当時の日本の大学生は現在の秀才でも歯が立たない超エリートだったのですが、こと西洋の学問に対する認識は現代人とあまり大差がなかったようです。 ある化学実験の場で学生が「この実験で得る科学的な知識や技能は、どう使えば利益を生むのか。」と質問したところ、先生は「学問は金儲けのためにするのではない。科学的な思考を訓練するためにするのだ。」という趣旨の返答をされたということです。この言葉が理解できない人は、一生に渡って勉強は無駄なものだとの考えから抜け出ることは不可能だと思います。そして質問者さんが「抜け出る」ことに全く価値観が見つけられなくても、私はそれを否定しません。自分とは違う哲学の人なのだからと思うからです。 学校で習っていることが自分の将来にどのように役に立つのかは誰にも分かりません。特に自分の専門外の分野は結局はあまり役に立たずに終わるのかも知れません。しかし、学習している時点でそれが必要か不必要かが分かる人がいたら、その方がおかしいと思います。

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