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「学歴」は必要なくても「学び」はありがたい
40代です 詰め込み式の教育を受けて一応大学まで行きました。 よく子供が例えば因数分解なんて社会に出て何の役に立つんだと悪態をつく話があります。 今になってよく理解できます。 因数分解は非常に役に立つ。 国語、算数、理科、社会、すべて役に立ちます。 学歴という肩書きはいらないかもしれないけど、学びというのは非常に有り難いものだとことを40を過ぎて理解しました。 何が言いたいのかというと、大卒と言う肩書きは必要ないかもしれませんが、その風潮が「学び」への扉を閉ざしてしまうんじゃ無いかという危惧です。 ご意見ありましたらお聞かせください。
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おっしゃるとおりだと思います。学びが社会や個人を支えているのではないでしょうか。学校制度が完備される前は内弟子制度が社会の隅々までいきわたっていました。学ばなかったら特に中年以降働きようがなくなりますね。やはり学校での学びが基本だろうと思います。引きこもりや不登校が問題になるのも学ばなくなってしまうことが問題なのではと思います。現在は、学ぶ機会が豊富に与えられているので、そのありがたさを忘れているとも言えるのではないでしょうか。
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- ALFa8C
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あくまで自分はですが、 振分の道具にしか… 教員やら大学に残る人間しか なんですよ ただ文学はよいですね 仏文科でしたが、 時間潰しの友です
お礼
高校の国語が論理国語と文学国語になるそうです。(3/31付の日経記事です) 文学国語というのは生き方を考える国語らしいです。 哲学なき人生も味気ないと思いますよね。 人間はロボットじゃないわけで。 あらためて自分も小説でも読んでみようかなと思っています。 ご回答ありがとうございました
- f272
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> よく子供が例えば因数分解なんて社会に出て何の役に立つんだと悪態をつく話があります。 それは親が勉強を嫌いだった場合にありがちです。学校で学んだことを社会に出てから役立てている人の子供で、そんなことを言うのはあまり聞きません。 まあ、子供の言うことであれば社会を知らないからで話は住みますが、社会に出てからも学校の勉強は役に立たないなんてことを言う人は害悪です。それは学校の勉強を役立てることができない人です。「国語、算数、理科、社会、すべて役に立ちます」というのはその通りなのです。 なお学歴も役に立ちますよ。中卒や高卒ではできない職業はたくさんあります。大卒くらいになればたいていの職業では撥ねられることはありませんが、大学院に行かなければなれない職業もあります。 私が気になるのは、特に私立大学の入学試験での科目数が少ないことです。このせいで高校での授業の取り組みがおろそかになっている人が多いので、後から学ぶのも大変になっていて憂慮しています。
お礼
勉強の有りがたみがもっと広く理解されるといいですね(昔の自分を棚に上げていますが) ご回答ありがとうございました
- p-p
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>子供が例えば因数分解なんて社会に出て何の役に立つんだと悪態をつく話があります。 そういう大人もいますね。大抵は学力が高くない人が言うことが多いので説得力ないと思います。 役に立たないと言ってる人は役に立つようにする能力がないのだと思います。 俺は東大にも行ったし医師免許もってるけど勉強はくそ役に立たないなんて言う人は聞いたことありませんからね。 勉強したくない人の言い訳にしか聞こえません。
お礼
ただ、最近気づくのですが、運動が苦手な人がいるように、勉強が苦手な人もいるとあらためて気づきます ご回答ありがとうございました
お礼
学べることの有りがたさに(この年齢ではありますが)気づけて良かったと個人的に思っています ご回答ありがとうございました