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論理学の存在文と選言文の一般的な表現の違いについて
- 論理学において、全称文の否定である存在文が作れることがあります。日常生活においても同じように含意される場合がありますが、必ずしもそうではありません。
- 選言文も同様に、意味的にはどちらか一方のみを含む場合もありますが、日常的な解釈では両方を含む場合もあります。
- 論理学上の理論と日常の表現とは、細かなニュアンスの違いがありますが、一般的には類似した意味を持つことが多いです。
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「セーターを着ていない学生がいる」 と言われたときに 「セーターを誰も着ていない」 と言うのは間違いかどうかと尋ねられたら,間違いではないと判断するでしょう。 ただ,「セーターを誰も着ていない」ような場合には,そういうのが適切であって,それをわざわざ 「セーターを着ていない学生がいる」 と言うのは不適切です。 しかし,間違いではない。 「一郎か次郎に電話してください」 と言われたときに,両方に電話をしても間違いではないが,不適切です。 片方だけに電話をすることが想定されています。 また 「ランチにはパンかライスが付きます」 と言う場合には,両方が付くと思うのは間違いです。 また 「身分証明書としてパスポートか運転免許証を持参してください」 と言う場合には,両方を持って行っても間違いではありませんし,不適切でもありません。用意周到と言われます。 このように日常会話では,状況に応じていろいろな意味が考えられます。 これでは論理学では用語として使えないので,論理学においては論理学としての意味を与えるのです。 その際に,日常的な意味とずれないように配慮しますが,必ずしも一致しているわけではない,と考えてください。
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>大変面倒くさい質問だな、とお思いになるかもしれませんが、・・・ いえいえ、もっと七面倒臭いやりとりが、このカテにはわんさかありますよ(^^)。 日常言語としては、あなたの仰る通りです。そうでなかったら、やってられません・・・(^^;)。 >・・・日常生活において「セーターを着ていない学生がいるね」と言った場合、普通「セーターを誰も着ていない場合」は含まないと思うのですが、このあたりどうなっているのでしょうか。 エエトこれに関しては、数字0をわざわざ定義して、「0個ある場合も含む」と言ってるようなものです。「0個ある」は日常的にも使うと思いますが、数学というか形式論理学は、できるだけ言葉を切り詰め、最低限の用語だけで話を進めよう、という癖があります。 という訳で、「セーターを着ていない学生がいるね」と言っただけでは、全員セーターを着てないかどうかは「当然」不明です。そこで、そうであるならば、 ・「すべての学生がセーターを着てない」 と、別途明示する必要があり、これは「セーターを着た奴がいる」と同じ事になります。 >「一郎か次郎に電話してください」 と言われて、両方に電話したら「誰がそんな事言った!」と叱られる楽しい落ちが付く気がしますが(^^)、論理学が定める「か(または)」の意味としてはOKです。 さっきも言いましたように、論理学は言葉を切り詰めて話すので、どうしても「両方はない、「か」や「または」」が必要なら、論理学の定める「または」と「かつ」を使用して、排他的論理和というものを定義してから、それに「か」という言葉を合てます。あなたの用語で言うと、排他的選言です。選言は選ぶ事だから、「落雷が落ちた」みたいですが・・・(^^;)。
お礼
論理学をやっているうちにこんがらがってしましまして・・・。 日常言語が正しくてよかったです。 ありがとうございました。
お礼
なるほど、やっぱり日常と論理学上では意味が変わるんですね。 よくわかりました。 ありがとうございました。