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天下三分の計について
天下三分の計が成功した理由はなんでしょうか? また、220年ごろから分裂の時代が長く続いたのはなぜですか ? 授業で調べてくるように言われたのですが、 調べてもでてきませんでした ;; この質問の答えや、こう調べたらでてくるなど、 知っている方 ぜひ教えてください よろしくお願いします ;;
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- tanuki4u
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いわゆる、天下三分の計というのは成功しているのですか? 221年 - 223年 劉備 223年 - 263年 劉禅 40年くらいしか保てていない。 五代十国時代の 前蜀 20年 後蜀 30年と比較して どっこいどっこい。 また、220年ごろから分裂の時代が長く続いたのはなぜですか ? ↓ 人口が減ったから。 秦による統一のころが 2000万 漢の全盛時代が 5000万程度 三国時代 数百万人 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E4.BA.BA.E5.8F.A3.E3.81.AE.E5.A4.89.E9.81.B7 普による統一で1600万人 中国の統一やその維持には中央軍が強力である必要があります。 近代以前の遠征とは、「食い物を運ぶ」ということが最大の鍵となります。 また、人口=農業生産=遠征に必要な食い物の確保 となりますので、人口が増えなければ遠征も出来ません。 個別の軍事的天才によって、勝利や敗北などはありますが、おおまかに言えばこんな感じ。 三国時代から隋による統一まで、統一政権が出来にくく、保たれにくかったが、隋以降は統一されやすく保ちやすくなったのは、煬帝による大運河の完成です。 軍事的勝利による偶然の統一政権成立が、大運河によって維持しやすくなったということになります。 ※ 秦漢が400年保たれたのは、隋以降と生産拠点と政治拠点の距離が違ったから。 戦国の七雄で楚のみが揚子江の勢力。北方の燕以外は、すべて黄河の勢力です。黄河流域が政治拠点であり生産拠点だった。距離が短かったのです。
- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
その宿題は、「どこかに答えが書いてあるからそれを見つけてこい」というものではないのですよ。「さまざまな資料を読んで、なぜそうなったのかを自分自身で考えて自分なりの回答を見つける」のがその意図です。 例えば「明日の天気は晴れ」と予報されたとします。なぜ明日の天気は晴れと判断したのか?天気図を見て、高気圧が近づいたからとか、雲を映すレーダーに雨雲が映っていないからとかそういう理由があるわけですよね。でも、天気図のどこにも「明日の天気は晴れです」とは書いてありません。天気図を見て自分なりに明日はどうなるだろうか?と考えなければならないのです。 それと同じように、いろいろな資料を読んで「どうしてこうなったのかな?」と考える必要があります。 頑張ってね。
お礼
自分なりの回答を見つければいいのですか・・・! 他の回答者が書いてくださったことを参考にしながら 自分でもちゃんと調べて自分なりに考えて見つけてみます! ありがとうございました!
- カルマ(@mimicry-budda)
- ベストアンサー率18% (280/1490)
お早う御座います。 先ず、宿題は、自分で調べましょうね。 (笑) 『天下三分の計』 ↑ これは、言ってみれば「緊急避難」とも言える計画な訳です。 「それ相応の知恵と力を持つ覇者」なら、「広い中国を統一するのが本道」ですから。 ところが、劉備には、中国を統一する知恵も力も足りなかった。 そこで、諸葛亮は、「(一番有力な)魏の曹操」と対抗し漢王朝を再興するには、「(二番手の)呉の孫権」と同盟し、暗愚な劉璋の治める「蜀」の国を占領しましょうネ。 要するに、自分一人では倒せない「ガキ大将」を、あまり仲良くない仲間と一緒に「やっけよう」です。 その仲間だって、いつ敵に回るか解らない訳ですよ。 「分裂の時代が長く続いた」という事は、「国がまとまらなかった」という訳です。 色々、調べてみて下さい。
お礼
はい;すみません;; 分かりやすくまとめて書いて下さり ありがとうございました! 参考にさせていただきます!
おはようございます。 宿題は自分でちゃんとやろうね。 ウィキペディアで『天下三分の計』で検索すると表れるから そこから要点をまとめて。
お礼
こんちには。 すみません;; ちゃんと理解できるまで読んで まとめてみます!
- comattania
- ベストアンサー率23% (840/3549)
隆中策とも言い、諸葛亮孔明が劉備に進言したことですが、成功なんかしませんよ。したように一時は見えましたが、永続しませんから、失敗です。 三国志を読めばこれらがどのような条件下で生まれ、どのように画策され、赤壁の戦いに発展していったかが解ります。 諸葛亮は、天才肌の才人ですが、所詮力のないものは、力で押し切られてしまいます。人智には限度があるということです。その場その場ではうまく切り抜けられても、永続しないということです。 知能より、武力が勝る一つの例でもあります。 分裂の時代すなわち覇権の時代です。弱肉強食です。現在のCHINAが、これを世界に向けて着々と展開中です。尖閣問題もCHINAの覇権政策の一環です。日本政府は話し合いでなんて呑気な事を言っていますが、CHINAに聞く気はありません。そのうちなし崩しに分捕られるでしょう。阻止は、武力のみです。 歴史上。生き残り、勝ち残ってきた国家は、すべて武力を抑止力として近隣と平和を共有しあい、武力の劣る国家は、すべて吸収されていったのです。
お礼
成功していなかったのですか?! 知りませんでした; 詳しく書いてくださり、 ありがとうございました! URLも参考にさせていただきます;;!
- torevo56
- ベストアンサー率11% (7/62)
宿題を丸投げされてもねえ(笑)
お礼
天下三分の計は成功している訳ではなかったのですね;; 2つめの質問も、わかりやすく理由まで書いていただき ありがとうございました! URLも参考にさせていただきます >_<