• ベストアンサー

項羽と劉邦 結局 劉邦の漢が勝ち天下を治めたけど

中国の歴史の 項羽と劉邦が戦った時代 楚が諸侯の不満を買い劉邦の漢にやぶれ天下が 漢の劉邦に移りました。 しかし劉邦はその後疑心暗鬼におそわれたとききました。 そこで聞きたいのですが  項羽が治めてたときと劉邦が治めてたとき どっちのほうが仁政だったのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • rczd
  • ベストアンサー率29% (33/113)
回答No.2

感覚的に回答させていただきます。 前漢だけで約200年も続きました。日本中世以降で1つの政権で200年続いたのは、徳川時代だけです。 後漢を入れると中華史の有史以降最長です。 これだけの長期政権が続いた実績を考えると、仁政(私が思いますに「民をいたわり、いつくしむ」と解釈します。)を敷かないと民からの反乱が頻発し、長期政権を継続出来ないと思います。 この長期政権の礎を築いたのが劉邦です。 仮に劉邦が韓信・鯨布らを粛正しなかったら、国は乱れ、民は疲弊していたでしょう。この観点からも、民にとって「仁政」を敷いたと考えます。

suhajia
質問者

お礼

ふむふむ なるほど 確かに粛清しなければ 国は下手したら分裂しましたからね。 民にとって仁政か ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • yochanjr
  • ベストアンサー率19% (119/607)
回答No.1

もちろん劉邦でしょう。 理由ですか?項羽では戦争が収まらず、 結局、群雄割拠の時代が続くからです。当時中国は数百年に及ぶ乱世が続き、 国民は疲弊していました。そのような時代に、項羽のような、 破壊を主とする人間で天下が収まったでしょうか。 おそらく無理だと思います。「婦人の仁」といわれた項羽は、最終的に冷酷になれず、 不満を持ち、反乱を起こしそうな有力武将を殺す事ができず、 結局群雄割拠状態が続いた事でしょう。 劉邦はとりあえず、戦争を収め、せいぜい地方反乱程度で抑える事ができました。 仁政とは何か。それは戦争がなく、国民が安心して 生活できる状態を作ることではないでしょうか。 そういった意味で、仁政を引けたのは、結局劉邦だと思います。

suhajia
質問者

お礼

劉邦は項羽を倒して天下統一したあと 功労者の臣をだいぶ粛清したらしいのでひょっとしたら 国民が項羽のほうがよかった・・っておもったのかなぁ とかちょっと思いました。 臣いがいにはやさしかったのかもしれませんね ありがとうございました。

関連するQ&A