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弁証法

弁証法を学びたいのですが、オススメの本を教えて下さい。

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回答No.2

50年以上の昔になりますが。当時の、文革真っ最中の中国で。子供たちに、学校で何を学んでいますか? と質問すると、皆、口を揃えて。唯物弁証法を学んでいます。と答えていました。日本のマスコミは、批判的 嘲笑的、と思える報道をしていたようですが。 中学生だった私は、友人に 「おい、日本の学校は知識を教えているだけだが、むこうは、考え方、を教えているぜ。 このままでは、俺たちが大人になる頃には、中国人と日本人の知能の差は大人と子供の差、なってしまうのじゃないかな?」と話したことがあります。友は「特定の考え方は教えず、自由に考えた方が、将来は伸びるんじゃないかな・」と言っていました。現在、日本人の方が中国人より頭がいい。とは言い難いものがありますが?中国人の方が賢いとも言えない、弁証法思考は放棄されているようにも見えます。 ヘ-ゲル以降、ドイツ人は明らかに頭が良くなった?とはならなかったようです。 弁証法を学ぶの本と言われれば、は、ヘ-ゲルの歴史哲学、マルクスの、形而上学批判、資本論、となるのてでしょうが。オススメ?かどうか。資本論24巻を本棚の飾りにしていた。私たちの世代にも、弁証法思考が出来る者は希であり、社会が否定し、させない。ものでもあります。 ドイツ弁証法は、マルクスが、知恵を台無しにした、と言う。形而上学に対する弁証法、であり。 反形而上学、反ユダヤ思想、の意味があり、間違うと、ナチズム、アウシュビツシュの惨劇に繋がっていないとは言えないものです。 オススメ?の弁証法は、東洋思想であり、弁証法とは、諸行無常、あらゆるものに常はない、 すべては変化してゆくものである。という考え方なのです。 諸行無常という考え方は、釈迦以前のインド哲学、バラモン思想の考え方であり。諸行、世界はどう変化してゆくのかを考えたのが、反バラモン思想としての、釈迦の思想となります。 縁起の理法、因縁の理法、とか言われる釈迦の弁証法思考になります。 すべては、縁によりて起こる、因×縁=変化した因×新たな縁=起こり続け事象。 という考え方になります。 釈迦と同じ頃、同じ弁証法思考をしていた者がもう一人います。古代中国の「老子」として伝わる書、の著者(の一人?、)です。 「老子」も釈迦の仏教がそうであるように、理解できていない後の者による創作、明らかに、考え方が違う、考える必要のない、評価、判断、を求めるだけの、形而上学的文章がまぎれこんでいるようです。 老子を理解するには、道(とう)道にして常の道にあらず・・の一章と 人々は善は善であると考え、善が悪であることを知らない、美は美であり、美は醜である事を知らない・・の2章だけをかんがえればよい。と言えるでしょう。 しかしその部分が、かつて理解出来た者が一人もいない難解な哲学、と言われる部分でもあります。 ツ弁証法は考え方であり、考え方は、繰り返し鍛錬することによってのみ、自分の脳に組み込まれてゆくものであり。本を読んで、知識として記憶してもあまり意味はありません。 それより、弁証法思考の宝庫でもある、数学や物理学の考え方を学び訓練するのが、近道、本道、ではないでしょうか。本道を外れた事を言いますとと、囲碁、をやられたらどうです。囲碁、の考え方は、唯物弁証法、そのもの。と言えそうです。 知勇学か高校の三角関数に、正弦定理、むというのがありましたよね。 まず3点を直線で結ぶと3角形が出来ます。また、その3点を通る円は一つしかない。 その円の内側で三角形を動かすと、底辺が大きくなると、頂角も大きくなり、底辺が小さくなると、頂角も小さくなる。つまり、一つの円という単位の中で起こる三角系の底辺と頂角は一体となって変化する。 底辺×頂角=一定 となる。それが、事象、変化の起こり方である。というのが釈迦や老子の考え方、なのです。 a/sinA=一定=円の直径 というのが。正弦定理でしたよね。 物理学の力学、電磁気学、気体の法則。などの物理公式はすべてといえるほど、 変化するもの×一体となって変化するもの=起きること=一定  つまり。a×b=c=一定 あるいは、そう因数分解出来る形式になっているのです。 実は、私のせいか、パソコンのせいか、相談箱に繋がらなくなり。良い機会だ時間の無駄使いは止めよう。 とも思っていましたが。今日、Goo,に接続し、試しに回答しました。そういうことで失礼しました。 数学に 東洋より、2500年遅れて、やっと登場した。東洋思想。とも言えるのです。

Somethingfunny
質問者

お礼

「弁証法は、東洋思想であり、弁証法とは、諸行無常、あらゆるものに常はない、すべては変化してゆくものである。という考え方」などなど、書かれている内容にまったく同感です。西洋科学と東洋思想を結びつけるものとして、今や弁証法こそが行き詰まった現代文明に生きる誰もにも求められていると、最近、強く感じるようになりました。 唯物弁証法が、弁証法を誤解させたのではないかと思います。唯物弁証法が、弁証法を人々から遠ざけたのではないか、と。そこで、誤解されていると思われる弁証法を日常に引き寄せるための方法を模索しています。だから、みなさんにオススメ本を教えてもらおうと思いました。 「弁証法は考え方であり、考え方は、繰り返し鍛錬することによってのみ、自分の脳に組み込まれてゆくものであり。本を読んで、知識として記憶してもあまり意味はありません」を実践するための取っ掛りです。知識や記憶の壁を破ろうとするのが弁証法だと思っています。それでも、知識や記憶という手段を取るしか認識を深められないのが人というものではないでしょうか。 弁証法は言葉では伝えられなうことを言葉で伝えようとしているのだと思います。言葉で伝えられないにしても、言葉でなければ伝えられないのも事実です。言葉は真実を伝えないと理解するためにも言葉が必要です。その手助けをしてくれるのが弁証法だと思っています。 宗教紛争や、歴史認識による争い、人種差別や人権問題など、現代という時代が抱えている問題を解く鍵が弁証法にあると思うのです。ドイツ・オーストラリア人が弁証法をきちんと理解し実践していたら、アウシュビッツはなかったでしょう。私としては、どの国でも小学校から学校で弁証法を教えるべきだと考えています。私が言ってもしょうがありませんが…。 とにかく、貴重なご意見、さまざまに、ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • ok9608
  • ベストアンサー率38% (50/129)
回答No.4

No.3です。 お礼欄の理解でいいと思います。 論理を通して正しいモノを見つける作業は 一つの公理の土俵上でないと難しいと思います。そこに反公理を持ち込むと 整理は益々困難となります。そこに止揚という思考操作を持ち込み 別途新しい公理から新しい理論を構築していく ということです。これが 弁証法的 問題解決の例と思います。新しい公理を見つける手法は これが唯一の方法ではなく 例えばヒラメキであったり あるいは旧公理+アルファーであったりすると思います。

Somethingfunny
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • ok9608
  • ベストアンサー率38% (50/129)
回答No.3

直接には回答にはなってませんが、参考になるようでしたらどうぞ 公理から演繹される論理系において 公理が問題とされる場合があります。新しい公理が必要とされる場合です。反公理を立てて 公理と反公理の納得性を検討していきます。その整理の中から一つの新公理が生まれます。これが一つの弁証法による解決と思っています。 しかし、公理から新公理への導入経緯は非論理的であり 一つの解決(他にも解はある)である ということは十分に理解しておく必要があると思います。 例えば 唯物論的弁証法による 資本主義から共産主義に至る方法などです。論理的に発展していくものなら 共産国家群がなぜ資本主義国家に変貌していくのか 論理的には説明できないのです。 別例では ユークリッド幾何学から非ユークリッド幾何学が展開されていますが、それはユークリッド幾何学が低位にあるのではなく 単に公理が異なれば演繹される構造は 相当に異なってきます ということを示しているだけです。 以上失礼しました。

Somethingfunny
質問者

お礼

よく理解できなかったので、ズレているかもしれませんが、公理、反公理、新公理とは、弁証法の正、反、合のことでしょうか。 「公理から新公理への導入経緯は非論理的であり」というのは、正と合の関係をいうのでしょうか。 いずれにしても、貴重なご意見、ありがとうございました

  • bara2001
  • ベストアンサー率30% (647/2111)
回答No.1
Somethingfunny
質問者

お礼

ありがとうございました。ただ、この本、もう読みました。これに類する本がないかと探しています。

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