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日本語日学習者による文法の問題、
タイトルをどうすれば、意思を明白に表現できるか悩みました。以下の文章がある。 グローバル化がますます進展すると予測される中で、日本の企業経営者もしっかりした倫理観、価値観を持っていなければ、ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうことが懸念されています。 この文章の意味は、「グローバル化がますます進展すると予測される中で、Aのことが懸念されています。」になりますか? ここで言うAは「日本の企業経営者もしっかりした倫理観、価値観を持っていなければ、ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうこと」になります。 それても文章の意味は、「Bのことが懸念されています」。 ここで言うBは「グローバル化がますます進展すると予測される中で、日本の企業経営者もしっかりした倫理観、価値観を持っていなければ、ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうこと」になります。 お答えを待ちしています。
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- ゆのじ(@u-jk49)
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ABになんらの差異もありません。文法的にも、「~ことが」が主語で、ここにも、差異はありません。 また、「しっかりした倫理観、価値観」だけではグローバル化に対応できません。そういう硬直化したモラルを振り回すのでは経営者としても失格です。日々、改良、修正する用意のある柔らかな感性、多様な視点を持つことこそが、グローバル化の波に飲み込まれない為の唯一の手法なのです。ひとりよがりな価値観など論外です。そんなものは、他文化圏が認めません。いつもながら、稚拙な例文が気になりました。こういう悪文に触れていると、ヒトとして病む部分があるのではないかと、そんな懸念が生じました。
ここで質問者様が質問されていることは、例文の意味を正しく理解したいということだと思います。 (グローバル化がますます進展すると予測される中で)Aのことが懸念される >A:「日本の企業経営者もしっかりした倫理観、価値観を持っていなければ、ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまう」 Bのことが懸念される >B:グローバル化がますます進展すると予測される中で、日本の企業経営者もしっかりした倫理観、価値観を持っていなければ、ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうこと この場合AとBが異なっていれば、その懸念を払しょくする、あるいはその問題を正しく理解して解決することが困難になりかねないということはあると思います。 上記の分析の違いは、A がグローバル化が既定の状況であり、B ではそれ自体も懸念の中に入っているという違いだろうと思われます。 この原文を書いた作者が懸念の内容をどの範囲と考えたのかは、この文章の文法的な分析だけではわからないのではないかと思いますが、一般的に見てグローバル化の進展が予測されるとの前置きは懸念以前の前提材料に過ぎないと考えられますので、Bよりもわかりやすい理解の方法だとも思えますが、文章全体としてはBの理解も間違ってはいないと思えます。 いずれにせよ、文章を理解するために文法を駆使するという考え方は間違ってはいないと思います。そのためにも、長い文章はできるだけ文節ごとに区切って、単純化してそれぞれの節の役割(主語は、述語はどの節か、この文節はどこへかかって何を修飾しているのか、などを理解していくことが重要だと思います。 私見では、例文はイとロを骨子とした複文であり、主語がやや曖昧、要約すると以下になります。 イ)グローバル化がますます進展する ロ)日本の経営者も取り残される(ことが懸念される) ハ)しっかりした倫理観、価値観を持たない として (イ)が予測される中、(ハ)しなければ(ロ)になることが懸念される となると思います。 ご参考になれば。
- bakansky
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> グローバル化がますます進展すると予測される中で、日本の企業経営者もしっかりした倫理観、価値観を持っていなければ、ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうことが懸念されています。 この文の構造についてのご質問ですね。 私はこの文には、明確に主語が明示されていないと思います。この文の書き手が述べたかったのは、「ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうことが懸念されています」 という部分だと思います。 「ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうことが懸念されています」 という部分を主語を明確にして書き直すと、 → (我々は) ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうのではないかと (いうことを) 懸念する つまり、「我々」 が主語で 「懸念する」 が述語です。 「懸念されています」 という受身の表現にすることで、「我々がこう思う」 だけでなく、我々以外の人たちもそういう 「懸念を抱いている」 と思われる、というように 「思う」 という動詞の主体の範囲を拡大させています。ニュアンスとしてはそうだと思います。 そうすると 「(我々は) 懸念しています」 というのがこの文の中心にあるのですが、「何を」 懸念しているのか、ということを次に検討してみます。 それはもちろん 「ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうこと」 です。 「我々は X ということを懸念している」 という構造の文とすると、その X には 「ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうこと」 が入ります。 お示しの文は、1つの文ではなくて、複数の文を1つの文のように見せているとも考えることができます。書き換えてみると、たとえば → グローバル化がますます進展すると予測されています。日本の企業経営者もしっかりした倫理観、価値観を持っていなければ、ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうことが懸念されています。 というふうに、2つの文に分けることもできると思います。ただし、「・・・ています」 という文に続けて、また同じような 「・・・ています」 という文を続けると、緊張感がなく、冗長な印象を与えるかもしれません。 「グローバル化がますます進展すると予測される」 という部分で、まず客観的な [事実] を述べています。 続けて 「日本の企業経営者もしっかりした倫理観、価値観を持っていなければ」 と述べていますが、ここは [条件] を述べていると見ることができます。 そうして、「ますますこうした世界の潮流から取り残されてしまうことが懸念されています」 という文において、上記の前提・条件を踏まえて、こういうことが導かれる、ということを述べています。 * 必ずしも 「文法」 の問題ではなくて、日本語の文の構造にかかわる質問であるとも取れます。
お礼
ありがとうございました。
補足
取り残されるのは「我々」ではなく、日本の経営者だと思うが。
お礼
ありがとうございました。勉強になりました。