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石田三成が本陣を張ったころの丸墓山古墳
現在の丸墓山古墳は頂上に少し樹木があるだけで、あとは草に覆われているようですが、戦国時代に上杉謙信?や石田三成が本陣を張ったころの丸墓山古墳はどんなんだったんでしょうか? 木々に覆われて、うっそうとしていたりしたのでしょうか?
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陣を構えるというのは、簡易な築城と同じです。 http://www.city.shinshiro.lg.jp/index.cfm/8,22232,149,722,html ・木々は伐採し、柵や逆茂木にする。 ・空堀を掘り、土塁を築く。 羽柴秀吉軍は、これら土木工事に非常に長けた軍団でしたから、 秀吉の小姓であった石田三成も、十分知識はあったはずです。 http://www.siromegu.com/castle/tottori/taikouganaru/taikouganaru.htm 秀吉は本物の城を造っちゃいましたけど(笑)。 http://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/park/park-etc/ishigaki-p.html 丸墓山古墳は造られてから千年以上もたっており、当時誰も手入れなどしていないはずです。 日本の気候を考えますと、鬱蒼とした樹木が茂っていたと思います。 おそらくはすべて伐採され、柵や簡易な橋などに転用されたのだと思います。
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- onbase koubou(@onbase)
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回答No.1
樹木がなくて見通しがよく戦場を見渡せるから本陣を置いた、と考えるのが普通でしょう。
質問者
お礼
ありがとうございます。 樹木のありなしより、このあたりで唯一小高かったからかと思いますけど。
お礼
詳しくありがとうございます。 リンクも合わせて、大変参考になりました!