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戦国時代の人身売買
戦国時代では人身売買が当たり前ですが、大名によってやり方は違ったみたいですが、上杉謙信はわざわざ出稼ぎにいって女子供も人身売買に使ったみたいです。それにともなって直江兼続も人身売買をしていましたが、やり方は上杉謙信と同じようなやり方でしたか?それとも出稼ぎではなく金持ちの兵士だけ戦のついでにとったのですか? それと、武田信玄と上杉謙信、キリスト教徒の大名の人身売買は酷かったみたいですが、他に酷い大名はいたのですか?
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藤木久志著「新版 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り」 は 読まれましたか? http://kousyou.cc/archives/4686 いわゆる武士も、足軽と言われた階層も実態は農業経営者。 農業経営の基本は当時においては、労働力の確保です。 現在の戦国史理解では、だれもがおこなう労働力確保が「乱妨取り」ということかなと http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B1%E5%A6%A8%E5%8F%96%E3%82%8A 武田信玄 上杉謙信が有名なのは、藤木さんの研究が史料の残っている上杉中心だったためだったような記憶があります。 関東に攻め入る上杉家の史料は保存が良い、なんせ江戸時代の生き延びましたので。 攻められる関東の北条家も資料の保存が良い、もともと文章主義が強かった北条家の土地に家康が来ます。効率よく統治するために、文章を集めたのが徳川家康。 なので、資料がよく残っているので研究しやすいという側面があります。
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- rikimatu
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この当時の戦争は、農閑期にやっていたのでほぼ出稼ぎ何です。 足軽なんかは給料なんて貰ってなかったし、農業が忙しくなる時期になるとお開きになります。 そして、そこで稼ごうと思うと略奪や人身売買(奴隷狩りと言われてたみたいですが)やっていました。 ちなみに、織田信長なんかは武田信玄や上杉謙信なんかに比べて勝率は少ないのですが どうしたら強い軍隊を作れるかを考えたら、常時動ける軍隊を作る事で商業に力をいれました。
お礼
回答ありがとうございました。 織田信長は人身売買しなくてよかったです。
お礼
昔は大名が命令してなくても足軽がとっていたのですね。 助かりました。