- ベストアンサー
【宗教・高野山】高野山には沢山の戦国時代の戦国武将
【宗教・高野山】高野山には沢山の戦国時代の戦国武将の供養塔がありますがこれはいつどの時代に作られたのでしょうか? 上杉謙信が死んでその同じ時代に供養塔が作られたのか 織田信長や徳川家康もです。 大分経った後で全く関係がない高野山の空海の真言宗の住職とか檀家とかが宣伝目的に作った?
- みんなの回答 (1)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>戦国武将の供養塔がありますがこれはいつどの時代に作られたのでしょうか? 多くは、亡くなってから3年以内が多い様ですね。 質問者さまも理解している通り、ここは「墓」というよりも「供養塔」「慰霊碑」です。 ですから、織田信長の供養塔・慰霊碑にも「遺骨」は埋葬していません。 遺族・関係者が、「ほとぼりがさめた頃に、供養塔を建てる」ようです。 >高野山の空海の真言宗の住職とか檀家とかが宣伝目的に作った? これは、ありません。 高野山の全寺が費用を出しても、これだけの供養塔・慰霊碑を建立する事は不可能です。 あくまで、建立者の費用で供養塔・慰霊碑を建てていますよ。 信長の場合は、側室とも娘とも言われています。 質問者さまがご存知か否か分かりませんが、高野山の墓地は「宗派不問」なのです。 「来る者は拒まず」 ヤクルトが建立した供養塔は、ヤクルトの容器の形をしています。 UCCコーヒーが建立した供養塔は、コーヒーカップの形をしています。 日産自動車が建立した供養塔は、自動車工場作業員の形をしています。 新明和工業が建立した供養塔は、ロケットの形をしています。 宗派・人種など、一切不問なのが高野山なのです。 質問者さまも、希望すれば一族の供養塔を建てる事が出来ますよ。^^;
お礼
みなさん回答ありがとうございます