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釈尊から...

釈尊を源流として 仏教はどうして大乗と上座部に分派するの? その意味を教えて? ・

みんなの回答

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.7

>[釈尊を源流として 仏教はどうして大乗と上座部に分派するの? その意味を教えて?] ○釈尊が菩提樹下で悟りを得、悟りの余韻に浸っているときに、梵天たちが是非その悟りをお伝えくださいと請願し、つまり、梵天勧請があり、それに答えて釈尊が伝道を始めたわけです。初転法輪ですね。釈尊は短期間の間に千人以上を弟子にしています。 これから明らかなように、釈尊は、悟りを開いて伝道しているわけですがこれを纏めて、上求菩提・下化衆生といいます。これを言い換えると小乗・大乗あるいは上座部・大乗になるわけです。自らの悟りを求め、仏の教えを広めるというのが仏道修行者の行ですね。仏道修行者がどちらに軸足を置くかによって小乗か大乗あるいは上座部か大乗に分類されたということですね。それだけのことですね。

agripapa
質問者

お礼

釈尊が晩年宇宙の初めから終わりまで映像で見せた? 笑っちゃうね 釈尊はそういう事に関して無記としたはず そしてそれを貫き通したはず 何故だと思う? 君の言ってるのは それこそユダヤ教系による後世の捏造なんじゃないの? 貴方はもしかしてモルモン教徒なのかな? ・

agripapa
質問者

補足

釈尊はさとりにいたる道だけを説いたと言われている さとりとは信仰ですか? ・

回答No.6

>その意味を教えて?  あなたにツッコミを入れられるってことだろ。さとれよ。

agripapa
質問者

お礼

突っ込みを入れられるのが怖い? ・

agripapa
質問者

補足

誰にモノいってる? ・

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7193/21843)
回答No.5

宗教に限らず、団体てのは分派するのです。 武術だってそうでしょう。 剣術だけでも500の流派があり、空手でも 200の流派に分かれています。 これには色々と理由がありますが、分派して 独立した方が儲かるから、というのが一番 大きな理由です。 しかし、儲かるから分派する、というのでは 信者も世間も納得してくれません。 それでもっともらしい口実を作るのです。 いや、あの教義はここがオカシイ。 師匠はこう解釈するが、俺はこう思う。 だから俺は独立する。 こうやって、本来の教えから、どんどん 遠ざかって行くのです。

agripapa
質問者

お礼

魔境に溺れると オウム真理教のようなことになる とか ・

agripapa
質問者

補足

釈尊はさとりにいたる道だけを説いたと言われ 上座部や大乗は その源流から乖離し その意味を喪失し 遠ざかってしまっていると言う事でしょうか? そうでしょうか... 本当のことを 知らないだけ とか ・

回答No.4

○仏陀本来の精神って何です? 生きとし生けるものをすべて(衆生)を救おう、輪廻(苦しみの世界)から解脱させよう、といったところでしょうか。 「ブッダはそう考えていたのではないか」、と、大乗仏教の創始者は考えた。 「衆生救済こそ、本当の仏教」というわけです。 お節介と言えば、お節介。余計なお世話、ありがた迷惑な話かもしれません。

agripapa
質問者

補足

生きとし生けるものを救おう? 釈尊がそんな事言ったとされているのですか? それって欲の塊のようですよねww それが釈尊本来の流れを継承してると言えるのでしょうかねww 解脱? 釈尊はさとりをひらく道だけを説いたと言われておりますが 解脱って それとどんな関係があるのですか? あっ 解ってないなら以後回答無用です ・

回答No.3

いわゆる創唱宗教(仏教やキリスト教など)においては、偉大なカリスマである創唱者(一般的な意味での開祖)が死亡した後は、弟子たちの間に教義に関する解釈の相違が表れ、次第にその溝は深っていき、ついには分裂してしまう傾向にあるものです。仏教に比べ比較的新しい宗教であるイスラム教、シーク教も分裂していますね。 仏教の場合も同様で、最初の分裂は『根本分裂』と呼ばれており、下で紹介するサイト(ウィキペディア)によれば、現在その原因として二つの説が考えられているようです。私は金銭にかかわる戒律の解釈の違いで上座部と大衆部に分裂したという説を他の図書で読んだ覚えがあり、どうやらその本は中村元先生の説に従っていたようですね。この説によれば、世尊の教えに忠実なのは上座部ですが、一方で当時の実情に合わせて言うという見方からすると大衆部のほうが柔軟性があるようです。 なおキリスト教はプロテスタントが分派する以前にも実は離合集散をしています。有名なのはグノーシス派の異端化ですし、東方正教会の分裂もそうです。なにしろイエスは実質3年間くらいしか宣教活動をしなかったので、イエスの死後間もない原始キリスト教の時代においてすら、早くもいくつかのグループに分かれてしまっています。有名どころではエルサレムのグループで、これはイエスの実弟ヤコブを頭としています。あとはペテロのグループ、パウロのグループですかね。さらにマグダラのマリアとペテロとの確執もマリアの福音書には記されています。これを読むとペテロってほんとうにバカだなぁと思えてきます。なおペテロはパウロに叱りつけられ、ともに後の正統派を形成していくことになります。 ところでマルコによる福音書はペテロたちの無様さとともにガリラヤ地方を重視する内容ですね。当時のエルサレムに対する反感があった可能性もありますし、それでも新約聖書に収められたところを見ると、正統派を形成していく過程で行われた多数派工作(ナザレを中心とするガリラヤ地方の信徒たちの賛同を得なければグノーシス派に対抗できなかった?)が背景にあったとも考えられますね。

参考URL:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E5%88%86%E8%A3%82
noname#156094
noname#156094
回答No.2

行と言葉のいずれを重視するかで分かれてしまったのではないでしょうか。 釈尊の残したものは、戒律と理法を説いた言葉だけではなかったはずです。 禅定と利他行の実践という偉大な行を残されたようです。 釈尊の言葉は暗唱によって受け継がれるほど貴重なものでしたが それだけが、釈尊の教えの全てではない、という見方からだったのではないでしょうか。 釈尊の言葉を金科玉条視して、固く守る立場こそ正統派だとする立場と 禅定で得た智慧をもとに利他行を広く行ってこそ教えの真髄を受け継ぐものである、といった立場の違いがあったのではないでしょうか。 増谷文雄先生もカントの純粋理性批判の一節を参考に仰っていますが 大乗では禅定による無分別智という直感の働きを重視しますが (小乗)上座部では分別智という悟性の働きに頼っているようです。 直感か、分析と思惟、の働きの違いが両者の違いのように見えると仰っています。 釈尊の智慧を基本的にどのように見るかといった点においても大きな違いが生じてしまったのかもしれません。 分派した事における意味とは 両者の立場を明瞭したという事だと思います。 昔読んだ仏教の本の内容も、恥ずかしながら今はもうあやふやになりかけています。 間違っているところもあるかもしれません。 ご参考にしてください。

agripapa
質問者

お礼

さとりが 大きな?マーク なのではなく 貴方の回答が大きな?マーク とか? ... ・

agripapa
質問者

補足

釈尊はさとりにいたる道だけを説いたと聞いておりますが.. 釈尊を源流として 上座部と大乗の根本的な違いは何処にあるのでしょうかね ・

回答No.1

分派する理由には、思想的・教義的な食い違いもありますが、 最大の理由は、 「上座部仏教が僧院仏教となり、おのれの自利(自分だけ悟る》だけに専念するようになった」 からですかね。 歴史上実在したゴータマ・ブッダは、バラモン教で説く四つのカーストの違いを越えて、色々な人に教えを説いたではないか。なのに、ひたすら僧院に籠もり《自利・みずからの悟り》のみを追求するのは、ブッダの本意とはかけ離れているのではないか。「ブッダ本来の精神にもどれ!!」 ということで、 自利=利他(自己救済=他者救済)とする民衆型の大乗仏教が発生したといったところでしょうか。 まぁ、キリスト教で言うと、伝統カトリックに対する疑問から宗教革命が起きた。プロテスタントが誕生した。そんな感じです。

agripapa
質問者

補足

仏陀本来の精神とはもどれ? 仏陀本来の精神って何です? ・

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