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小説の解釈-モウリさんの疲れかた
- どんなに疲れるだろうかという意味なのかとおもうのですが、どうして、こういう表現をするのでしょうか?小説なので作者の方の表現方法なのでしょうか?それともこのような表現方法があるのでしょうか?日本語に詳しい方教えてください。
- 小説の中で引用された文「逃げることよりも、逃げるために置いてきたものを思うのが疲れるんだ」という文の最後の「疲れかたをや、だろう」という部分の解釈に困っています。この表現は作者の表現方法なのでしょうか?どういった意味なのか教えてください。
- 引用文の最後の「疲れかたをや、だろう」という表現が意味するところがわからないのですが、これはどういう意味なのでしょうか?小説の解釈を教えてください。
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「をや」には、単純な強調の使い方もあるのですが、「疲れかた」のような名詞に強調用法の「をや」が付くことはないはず。 もうひとつ「をや」の用法は、「反語」です。「疲れナイことがあろうか!」→(当然、疲れるよ) 1番さんも、この使い方に疑問をお持ちのようですが、私も、この用法はおかしい(ふつうではない)と思います。気持ちは分かるような気がするのですが。 ふつう、反語の使い方の前には、直前に、程度の低い場合が直接的な言葉で提示されます。つまり、「疲れ」という言葉は前の文に来るべきです。 新しい日本語を創造しようという確信犯的行動でないなら、同じようにするべきです。 ------- 私は一つ二つしか、置いてきたものはない。 その私でさえこれだけ"疲れ"るのだ。 『いわんや、モウリさんにおいてをや』 だろう。 (→すごく疲れないはずはない、だ) ------- 意味は、御推測の通りの ようなふうに受け取ってほしいのでしょう。 ゆえに、 > どうして、こういう表現をするのでしょうか? の回答として思いつくのは、3種だと思います。 (1) 作者が、日本語(この場合は漢文由来ですが)をあまりよく知らなかった。 (2) なにか、書いているうちにフッと小難しい用語を使って、知識をひけらかしてみたくなった。 (3) 地の文の語り手が、そういう小難しい用語を使って一人悦に入るキャラクタである(作者の設定)。 言葉は難しい。 ベテラン小説家でも時々は間違える。 いわんや、新進小説家においてをや。 (新進小説家が間違えないことがあろうか!/反語)→(いや、当然、間違える)
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- emaxemax
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>「どんなに疲れるだろうか」という意味なのかとおもうのですが、 そうですね。 例示の場合の「をや」は まして…においてはなおさらである。…はいうまでもないことである。 というような意味です。 漢文訓読からの用法で、日本語としては別にめずらしいものではありません。
お礼
なるほど。漢文からきてるのですね。ありがとうございます!
- bakansky
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用法としてふさわしいかどうかは別にして、書き手の意図としては、「私などは、その一つ二つをさえ持て余しているのだから、ましてやモウリさんの疲れ方といったら、並大抵ではないだろうと想像できる」 ということを述べたかったのだろうと思われます。
お礼
丁寧に説明してくださってありがとうございます。 ベストアンサーにさせていただきます。