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神を信じている人や、スピリチュアルな人に質問です。
神を信じている人や、スピリチュアルな人に質問です。 「何故人は自力で空を飛ぶことすら出来ないのに、人を殺したり、盗んだりすることができるのでしょうか。」 人って、人を殺そうと思えば殺せますよね(倫理的な問題はひとまず置いておくとして)でも、空を自力で飛ぶことは不可能ですよね?何故、殺人や窃盗は空をとぶことのように制限されなかったのでしょうか。 自由意志という観点から見ると、非常に不自然だと思うのですがいかがでしょうか? 答えが出ない質問だとは思いますが、何卒よろしくお願いいたします。 ※法律で罰せられるとかそのへんはひとまず置いておいて個々の解釈をお聞きしたいと思います。
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神も仏も信じていない者ですが。 人を殺せるのは、その方が人類、という 単位で見た場合、人類の繁栄に役立つから だと思っています。 原始以来、人は常に競い合い、凌ぎ合い、 いのちを賭けて戦ってきました。 その闘争本能と生存本能のせめぎあいの中で、 人は知能を磨き 力を養い、鍛え、一面で道徳律を築き上げたのです。 その結果、文明が築かれ文化が創られました。 人を殺せるから、戦争があったから、 人類は地球にあふれるほど、繁栄したのだと 思っています。
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確かに人間の世界では実際に殺人や窃盗は絶えません。 人間は天国(エデンの園)にいる頃は、空を飛ぶことは自由自在だったのです。それはなぜかというと、人間の祈り(願いは)ことごとく神によって叶えられていたからです。人間はその原理を知っていたのです。 しかし、人間知識を得、この世は自然に出来た。と考えるようになり、植物は自然に生え、人間の力でそれを採り、食料にしている。と考えるようになったのです。つまりもこの時点で唯物論的な考えに変わったのです。これを『原罪』といいます。 この考えから、世界は有限になり、人間の祈りは神に聞かれなくなったのです。いや、今でも聞かれているのですが、祈れなくなったのです。 砂漠の中で「神様、水を与えて下さい」と祈っても、「こんな、砂漠の真ん中で、水があるはづがない」という物理的な考えの方が強く、それが祈りとなってしまうのです。 そこで、有限化されたこの唯物論的な考えの行き着くところは、「殺人、盗み、姦淫、詐欺」という悪なのです。 イエスキリストは今でも人間の能力は、信じて疑わなければ、空を飛ぶことも自由自在であることを伝えに来たのです。 問題は「信じて疑わなければ」という言葉にあるのです。
お礼
ありがとうございます。 「信じて疑わなければ」という言葉は真理の一側面を突いているとは思います。
- vantice
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神=宇宙? 確かに、宇宙は上手くできているはずなのに、殺人できますね。なんでだろう。。。・・・・・・・ 311大地震などで人は死にますし、寿命で生命は死んでしまう。 生の反対が、死だから、生を感じさせるため、強調させるために、死があるとか? 殺人や窃盗に制限をかけなかったのは、人を試すためではないのかな? 今後の未来はほとんどなくなると思うし。 でも、殺人がダメだったら、人間の肉食もダメになりますかね? でも、肉食=美味しいです。辞められるのか?人は。。。 それとも、人に考えさせるためかも?無意識に? 貴方のように、殺人はいけないのか?と、考えさせられる。
お礼
回答有難う御座います。 考えさせる事が、目的というのは面白い考えですね。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 神とは何であるか。 これが分かったなら あなたは 神です。あるいは ひょっとして人類のほかの人たちには内緒で神からそうっとあなただけにおしえられた内容だということになります。 けれども 神とは何でないか。これは はっきりしています。 経験世界のものごとであることは あり得ない。もしそうなら いたるところに神がいることになります。神が見えていることになりますから いちいち神とは何かと考えることはありません。 人間の精神 これでもない。あり得ない。もしそうなら 人間も神だとなります。 教祖や教義や教団 これが 神か? あり得ません。人間であり経験事物ですから。 おしえも 人間が考えることではあっても 信じるものではありません。おしえが神なら おしえを守る守らないは はっきりしていますから この場合も神は何かとわざわざ人に訊くことはありません。 人間には意志があり それは自由意志と言われています。自分の心にしたがって思惟や行動を起こすこともあれば さからってそうすることもあり得ます。 そういうふうになっています。人間の自然本性がです。神があたえたという人もいます。あるいは 無い神のもとに 人間にはこの自然本性としての特には自由意志がそなわっていると言う人もいます。 これまでの歴史においては そういうふうな生まれつきの存在とその能力のあり方になっています。 神を信じている人は それが何故そうなっているのかが分かるとお考えになりますか? なおスピリチュアルな人で他人に広い意味の占いをおこなう人は 欠陥人間です。人間のおろかさと弱さにつけ入って 名誉のためか金儲けのためにそういうアテズッポをおこなっています。そうしなければ生きていけないのは 欠陥人間です。足を洗わないのなら 死ぬしかありません。
お礼
長文ありがとうございます。 申し訳ありませんが、質問の趣旨と論点がずれています。 私が聞きたいは、神の有無や宗教を悪用する人々についてではなく、論理的に矛盾している内容について、個々人がどのように解釈しているか、という点についてです。
- Parinne
- ベストアンサー率7% (14/187)
万能の神が存在しないという考えでしょうか。まあ、そのとおりなんですけどね。 昔教えてもらった話だと、もっと単純な例があります。 「言う事を聞かない者」を神が創造したとします。 言う事を聞くように改造できれば、「言う事を聞かない者」が初期不良ですし、 言う事を聞くように改造できなければ、神の万能性に矛盾が生じる。 いずれにしても、万能の神なんていないということです。 結局、科学法則の中で生きているのだから、それを無視する事はできない。 ただ、科学は万能ではないから不確定要素(例:縁や運)はありますが・・・。 古代の神話を調べてみましょう。昼ドラ真っ青ですよ。息子の妻を寝取る父もいれば、 ヒキコモリになって泣いているだけの女神もいます。万能の神ならば、それが複数 存在する時点で矛盾が産まれます。 尊ぶべき物は存在しますが、それは「神」という人間から切り離された存在ではない。 そういうことではないかな? 仏教の基本スタンスはそういう事ですね。
お礼
回答ありがとうございます。 神話はエロという名のドラマですよね。
- tattaro
- ベストアンサー率19% (30/153)
神様の私から言わせれば、その質問が低脳だ。 そんなこと言ったら、すべての動物のすべての能力に対して言える。 本来、もっと殺し合うのが自然界に倣ってるってこった。
お礼
神様、回答ありがとうございます。 つまらないお願いで恐縮ですが、出来ればサタンと賭けをするのはやめてください。 あれは神様の事実上の完敗だとおもいます。
- ukiyotonbo
- ベストアンサー率11% (91/788)
空を飛ぶ自由。人を殺す自由。略奪する自由。犯す自由。 生存してゆく上で、殺し、奪い、犯したほうが空を飛ぶより良かったからです。 そうですね、来世は、恐竜→鳥→人間で進化した生物への生まれ変わり、空も飛べて、殺せて、奪える人間になります。
お礼
回答ありがとうございます。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
人の生き方において、「空を飛ぶ」必要がなかったから 飛べないんじゃないでしょうか(「飛ぶ必要」が鳥に進化した)。 あれは疲れるからね~(^^;)
お礼
回答有難う御座います 必要なかったから、というのはそうかも知れませんね。 空を飛ぶための体力の消耗と比較して必要性がなかったと考えれば納得いく気がします。
お礼
納得できる回答をありがとうございます。 人間を一つの個体としてみた場合と人間という一つの種としてみた場合とでは、意味合いが違うということですね。結果、最も全体に取って最適である方が互いを競え合える環境だった、と。 非常に面白い回答だと思います。