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神様??
学校で倫理の授業を受けていて思ったので質問させていただきます。 世の中には神様を信じる人もいれば、信じないという人もいますよね? 別に信じている人を否定する気は全くないのですが、 神様がいるから人に親切にしたり「善」とされる行為をするのですか? 最近、友人に「神様って信じる?」などと質問をされるのですが、 仮にいたとすれば、いなかった時と何がかわるのでしょう? 皆さんの意見を聞かせてください!
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うーん。これは根本的に話が逆なんですねえ。 実は世界的に「神様」の発想は「罰の恐怖を与える」ためではなく、「救ってくれる者」への切望から生まれているのです。 誰でも「何もしてないのにこんな目に遭うなんて!」「もうどうにもできない、誰か助けて!」と思う瞬間はありますよね。そんな時、人間にはない力で助けてくれる存在がいると思えたら…あきらめずに耐えたり、きっとまたいい事もあると新しい希望を持てたりする事が確かにあります。 反対にそんな存在などいないと思ってしまったら、無慈悲な事実と絶望だけになります。 結果的に良い事が起きたのが偶然でも何でも良いのです。とにかく「希望を持てる」ものが必要なのです。 “神様~!”は、文字通り人間の心の叫びだというわけです。 ところが、現実にはどんなに信じて待っても「神は我を見捨てたもうたか」という事態になる事もあります。 その矛盾を説明するために、たいていの神様には「お前が悪い事をしたから助けない」=罰、あるいは「神は助けようとしたがお前の罪が悪い存在を呼んだから邪魔された」、というシステムが後で付け足されました。 これなら、どんなに善行を積んでも「致命的な罪を一つでも犯していたから」救われない、という事にでき、神様の存在自体を否定しないで済みます。 それと、ここが重要なのですが、 「罰を信じない者は神の助けも信じられない」。 何も怖れず悪いことをし放題の人間でも、絶望する瞬間はあります。 口先では「神様がついてる」などとうそぶく悪人も居ますが、本当に神がいると思うなら罰もあると考えるもの。 「何も信じられない」というのは絶望の中で自暴自棄に好き放題しているだけの、かなり辛い心理状態のはずなのです。 そういった意味で、「神罰」が人間に自らの行動をいましめさせるのに役立ったのは、いわば結果的なオプションのようなものなのです。
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- nobitahair
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神様(仏様)を信じるというのは、助けて欲しいから信じるんじゃないと思います。そこにはまだ疑いがあります。 そうではなく、神様に助けてもらったから信じられるんだと思います。自分がにっちもさっちもいかない状況において、神様の言葉の意味がわかって共感し、人の親切が身にしみて頭が下がる思いがしたときに、神様っているんだなと実感するものだと思います。奇跡なんて必要ありません。 だから自分がつまずかなかったり、自分の力で世の中を切り開いていける人には神様はいてもいなくても一緒なんです。別に神様を信じている人が得をして、信じてない人が損をするということもありませんし、信じられないからといって神様はおこったりたたったりもしません。 そして、神様に助けてもらったから、お返しに人に親切にしようと思います。神様に救われているから神様の勧めている善を行います。神様に罰を食らわないため、神様にかわいがってもらうために善行をするのではありません。 といっても普段は神様のことはすぐ忘れてしまいます。自分だけ得したいと思いますし、自分がいちばん親切な人間だと錯覚してますし…。 そして今日も神様に手を合わせます。
- katyan
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神様がいるから親切にする?というのではないですね 神様がいないなら何をしてもいい。という考え方になってしましますよ。 本当にすべてが裏切られた場合、神様を信じることによってまた新しい人生を歩めますので、信じてくださいね。 昔の私はまったく別人だと言われますね。 昔は暗い、友人のつきあいがない、など 完全にニートでしたよ
- SortaNerd
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私は神を信じません。さまざまな"奇跡"も、「偶然」という言葉に置き換えられると思います。 しかし神を信じる効用は大きいと思います。 ・神が見ていると思えば、悪事をしにくくなります。 ・同じ信仰を持つもの同士の絆が深まります。 ・それによって、(神ではなく)他人に助けられることが多くなるでしょう。 これらによって、信仰は人を結びつける働きがあります。 社会を形成していく上で一人ひとりが勝手に行動していたのでは生産性があがりません。そこで人々をひとつにまとめるために作り出されたのが「神」という絶対の存在であり、それを信じることにより"救われる"のです(上に書いたように実際に効用があります) この回答は↓のショートストーリーを参考にしています。 http://hotmark.in/grp/txt/cross_00.php
- daidou
- ベストアンサー率29% (491/1687)
こんにちは >神様がいるから人に親切にしたり「善」とされる行為をするのですか? 「嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる」というような感じかな? それとも「人間に良い事をするようにプログラミングしたのが神様」という事かも? 両方とも、考え方としてはありえると思いますよ。 ただ、それは人間自身の意志や自立心を軽んじているようで、あまり好きになれない考え方ですね。 信じている人にとっては、かけがえのない心の支えであったり、生活の拠り所である事は理解できますが… 私は「神」という存在は「存在の第一原因」と「森羅万象の総意」の2つに見出すことができると考えています。 我々の宇宙の成立の過程についてはかなり判ってきているらしいですが、「なぜ宇宙が存在しているのか?」という問いには答えられないようです。 私はここに宇宙の存在を望んだ意思を感じます その意思を「神(あるいは創造主)」と呼んでも差し支えないでしょう。 我々の暮らしている世界は非常に多くの要因が絡み合ったきわめて複雑なシステムです。 それこそ道端の石ころから人間社会での政治的な思惑、そして天体の運動までが合わさった巨大な複雑系です。 (量子力学から宇宙論までとも言えますね) 個々の事象を詳しく解明し、精密なシュミレーションを行っても正確な解答は導けないらしいです(不確定性の原理とかいう厄介なものもありますし) しかし、地球には生命が生まれて進化の道のりを辿り、我々が今現在暮らしています。 ここにも何らかの意思を感じます これを「神」と呼んでもいいのではないでしょうか? いずれにせよ、人間一人一人に「悔い改めよ」とか「善くあれ」などと言ってくるような性格のものではないでしょうね。
- jun1127
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実際に、形としては見えないけど、 世の中を良い方向に造りだしている力のようなものではないでしょうか。 例えば、生物が住める地球を造ったり、人間を造ったり、、、。 そんな不思議なこと、なぜ?なぜ? それは、世を創りだしている神様がそうしたからだって納得して片づける。 世の中の創造主=神様で 世の中の創造主に反した生き方をするような人は 自然に滅びるようになっている。 そして、一見マイナス面に見える戦争や公害なども 本当は世の中を成り立たせるために、 神様がわざと仕組んでいるような気がします。 とにかく、世の中の創造主の存在は、私は信じてます。 そして、それが俗に言う神様と思ってます。
- cse_ri2
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人間には良心があるので、無神論者の人でもすぐに悪いことをするわけではありません。 しかし、たいていの宗教は勧善懲悪を教えますので、宗教を信じていると道徳的な行いをしやすくなる側面はあると思います。 ですがたいていの宗教では、善なる行いをした最終的な報いは死後に受けるという教えが多いので(キリスト教の天国、仏教の極楽や来世など)、正直死んだあとでないとわからないですし、霊能者でもない限り死んだ人の声は聞こえませんので、回答は難しいですね。 ただ一ついえるのは、何か不幸な出来事が起こったとき、宗教を信じてい人と信じていない人では、信じている人の方が心の支えがあるだけ、逆境に耐える可能性が高いのではないかと思います。
- hirakawa
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>神様がいるから人に親切にしたり「善」とされる行為をするのですか? 中にはそんな人もいるでしょうが、人間的に小さい人ですね。 ママに叱られるから宿題をする、というのと同じレベルの思考回路です。 神(仏でも良いですが)の存在云々に拘らず、本心で良い行いをするのが、本来の善業であろうと思います。 宗教は、地球上の生物の中で人間だけが持っている概念ですね。 しかし、かの、将軍様の国では、国家が宗教を禁じていますし、旧ソ連でも国家が宗教を禁じていました(各個人の場合は話しが違います。新生ロシアの初代大統領ゴルバチョフ氏は、ロシア正教で洗礼を受けているロシア正教徒です) 宗教を信じるということは、人間の心が、如何に弱い物かということの証明だと思います。 ちなみに私は、いいかげんな無宗教です。他人の信じるものを否定しません。 神社に初詣に行きますし、親の葬儀で、お寺さんを呼びました。クリスマスも祝います。
それを人が神とよぼうがなんと呼ぼうが勝手ですが、この世が存在すること自体、神のような絶対的・全能的な存在を抜きには考えられません。宇宙や素粒子物理の一般向けの啓蒙書(例えば、ポール・デイビス著「宇宙を創る四つの力」地人選書:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-3523462-4985969)を読むと、宇宙が、わたしたちが存在することは、あたかも奇跡に奇跡を重ねたような綱渡りの産物であり、それはあらかじめ綿密に設計されたものだと、わたしの小さな頭脳は思い知らされるのです。 そういうふうに考えると自然とものの見方が謙虚になり、人に親切にできるのかも知れないですね(わたしは残念ながら、まだそのレベルには達していないですが^^!)。 神を信じる信じないで変わるのは、心の持ちようだと思います。ちなみにわたしはキリスト教や仏教のすばらしさは理解しますが、特定の宗教を信じてはいません。
- atoritaiti
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神様とか宗教とかは人間が現世で生きていく上で心のよりどころとして 考えた非常に素晴らしいシステムだと思います ですから信じる人には効果あるでしょうが信じない人には効果無いのでは 無いでしょうか 私は神は信じてませんが、死んだ親とか先祖には感謝していますよ。
神はいるし、いないとも言えます。 神とは信じる人にとっては精神的な支えです。 信じている人はそのそれぞれの神が自分の行動に対する自信のようなものになります。 逆に信じないという人は自分の今までやってきた事が何かしらの精神的な支えになっている人ですこれは何でも構いません。 例えばなにか難しい事を成功させたとか、学校で厳しい部活をずっと続けたとか別に些細な事でも構わないのです(個人にとってはどんな小さい事でも自信になります)。 要するに神とは精神的な支えになる柱なのです。 ですので神様の数え方は1柱、2柱という風に柱(はしら)を単位として使います。 いるという人にとっては自信の代わりが神様という事になり、いない人にとっては神様に代わる柱(自信)があるのです。 ということで、いた時といなかった時とは何も変わる事がないと思います。
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