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極限と呼ばれる数学の世界は宗教的思考が混じっている

極限と呼ばれる数学の世界は宗教的思考が混じっていると考えてしまうことについて、とくに eのπi乗+1=0 この式をみて感じるのですが、現実世界でいうとただのでたらめにしかみえません(;_;) どうとらえるべきでしょう?

みんなの回答

  • alice_44
  • ベストアンサー率44% (2109/4759)
回答No.5

風が吹けば風車が回り、川が行けば水車が回る。 通勤通学に使う電車バス自転車には車輪がある。 震災以来節電で騒いでいる電源は交流である。 二次元の回転も、単振動も、そういった 複素数で表現するに相応しいものが、これだけ日常に 溢れているというのに、それでも 実数で測れるものしか「現実」と感じられないのは、 それこそ、宗教的盲目なのではないかと思う。 物理学上のドグマと、身近な現実と結びついた 素直な数学的直感の、どちらを信じるのか? という話ではないか。 ところで、タイトルの「極限」は、どこで出てくる?

  • asuncion
  • ベストアンサー率33% (2127/6289)
回答No.4

>宗教的思考が混じっている ここの意味がよくわからないです。 私でもわかるように説明していただくことは可能でしょうか。 e^(πi)=-1 をでたらめだと感じる方がいらっしゃる、というのは、 私にとってある意味新鮮な驚きです。

  • Tacosan
  • ベストアンサー率23% (3656/15482)
回答No.3

あなたのいう「現実世界」とやらがそこまでたどり着けていないだけでは?

回答No.2

確か、複素数による累乗をマクローリン展開を使って 形式的に定義するとでてくる公式ですよね。 つまり累乗の定義を拡張してみたら、超越数との間に思わぬ関係が 発見されたわけで、まあこんないたずらをするのは「神」だけだろうな と思わぬわけではないです。 ただ、出鱈目というのは理解不足でしょう。オイラーの定理のより 実用的な形は cosθ + i・sinθ =e^(i・θ) つまり、eの虚数による累乗は複素平面上の円の上の点になるという 法則で、逆に複素数を累乗を使って表すと、拡大(縮小)率と回転角の和に 変換できるという美しい法則です。 とても便利なので様々な物理理論や工学の分野で使用されている 複素数の基本法則です。電気製品などの日常用品を作るためになくてはならない 身近な法則といえます。

  • hashioogi
  • ベストアンサー率25% (102/404)
回答No.1

そもそもe^(πi)+1=0のi自体が現実世界のものではないでしょ? 1、2、3、…のような整数を含めた数(すう)自体が現実世界のものではなく数学世界のものだという所から考え直したらどうでしょうか?

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