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経済について
不景気不景気といわれますが、本当に誰もが景気のいい状態というのはそもそも考えられるのでしょうか? 小さな単位から考えれば、家計の収支において収入が多ければ、儲けています。それは可能でしょう。 市町村で考えても同じことが言えます。 国で考えても同じことが言えます。 でも、世界で考えれば同じことが言えなくなります。 この論理は正しいのでしょうか? 正しいとすれば、景気が良くなるとはそもそもどういうことなのでしょうか? 他人を犠牲にするということなのでしょうか?
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大学で経済学を専攻しました。質問の趣旨がわからなくなったという補足を読ませていただいたので、質問の趣旨に合うかどうかわかりませんが、回答したいと思います。 まず、景気がよくなるというのは=お金の流れがよくまわる状態を指します。ですから、物がよく売れる、サービスがよく売れるという状態を指すことから、お金が儲かるという事とは異なっています。 質問者の視点は1つの集団から見た経済の視点になっていると思われますが、そもそも、現在の分業資本主義になった背景には、世界全体のモノ・サービスの生産量を増大させるためには、一人一人(企業、国でもOKです)が比較優位のある産業の生産物の生産に特化したほうが、全体としての生産量が自給自足に比べて、多いという事があります。経済学では「比較優位の原則」という内容になっています。したがって、現在の経済のありかたは、個人個人がお金が儲かるためのシステムではなく、世界全体の生産物の生産量を上げるためのシステムです。 その中で、個人が受け取ることができる財・サービスの量は、その個人が生産できる財・サービスの量=(現実に言い換えると財・サービスをお金に変えるという事になります)に依存するという事になります。 では、財・サービスの量がどのように、市場の価値として考えられるかというと(個人ではお給料の決定になります)その財・サービス(労働力や技術)を提供する人の量と(供給量)とその財・サービスを利用したいという量(需給量)によって決定していきます。 結論を言わせていただくと、現在の資本主義は世界全体として生産物の生産量を一番多く生産できるシステムというだけで、それが個人(市町村、個人、国)の豊かさにつながるというわけではありません。しかし、個人で自給自足の生活をするよりは生産物が多い(お給料が高い)ということから、このシステムでの生活をする人が多いという理屈になっています。 経済全体で生産する量は決まっているのです。個人の視点を考えると、これらの生産物をどれだけ配分されるかという事が問題になります。ある一人が多くの生産物を甘受すると他の一人の生産物の甘受する量が減るので、他人を犠牲にするという見方も正しいと思います。しかし、このシステムに参加している方が自給自足の生活よりもいい生活ができる(比較優位の原則です)という事から生産物の甘受の量を減らされた人も得をしているという見方もできると思います。 いかがでしたか。質問の趣旨に合う答えになっていたでしょうか。難しい質問ではありますが、それだけに奥の深い質問だとも考えられるので、やりがいのある質問だと思います。その好奇心を大切にすると新しい世界が見えるかもしれませんね。納得のいくまでがんばってください。
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#2です。 ここまでの質疑を経て 私にはご質問の真意が分からなくなってきており 少なくとも理論上の話と、実際に起こっている問題と、価値観的な話が 同次元で語られていると思われ このままでは適切な答が出てこないと考えます。 が、とりあえず >この論理は正しいのでしょうか? 多分、間違っています。 私は大学で経済を齧りました、というレベルで 論理的な部分は全く自信がないのですが >でも、世界で考えれば同じことが言えなくなります。 ここが間違っていると思います。 理論上の話において 家計の黒字化が可能で 市町村の黒字化が可能で 国家の黒字化が可能で なぜ世界の黒字化だけが不可能なのでしょうか? 全ての家計の黒字化が可能であれば 全ての国のバランスシートが黒字であるということは 理論上は可能な筈です。 金本位制だと、総量の限界がありますから ある国の金保有量が増えれば他の国が減る、つまり ゼロサム構造になりますが 金本位制でなければ、家計レベルから国家レベルまで それぞれの金融技術の問題です。 >さて、それで本当に富の総和が増えたのでしょうか? >増えたのはむしろ負債の総和ではないでしょうか? これも、貨幣流通量の総和が増えたというだけで 負債が増えるかどうか、というのは 多くの方が指摘しているように、金利と成長率の問題です。 負債の総和が増えたように見えるのは 成長率は理論上も現実上もいくらでも下がることが可能であるのに対して 金利や賃金などは、現実上にはどこまでも下がることが出来ない つまり下方硬直性を持つからです。 (マイナス金利はありえないですし 賃金のマイナス化は抵抗が大きいということです。) 少なくとも現在の日本の不況は この下方硬直性の問題から、流動性トラップに陥っているのではないか? 本当か? ではどうするか?といった話の筈です。 だいたい >「たくさん借金をする。大いに遊ぶ。」 フローとストックで考えるべき問題が フローと「大いに遊ぶ」と、話が飛んでいます。 など、間違いはいろいろ指摘ますし、よって >景気が良くなるとはそもそもどういうことなのでしょうか? >他人を犠牲にするということなのでしょうか? 論理的に答えれば「それは間違いです」とすることが出来ると思うのですが (私より詳しい人なら簡単なことだと思う) 間違ってます、ということでshio12さんは御納得いただけるのでしょうか? 質問の真意は他にあるように感じています。 例えば「資本主義は人を不幸にするシステムではないか?」 などにように読めます。 どうでしょう?
補足
質問を投げかけておきながら無責任なのですが、自分自身で本当の質問を見つけ切れていません。だからこそ人に問いかけてみたくなったのだと思います。 >質問の真意は他にあるように感じています。 その通りなのだと思います。「資本主義は人を不幸にするシステムではないか?」 とは言わないまでも、その「他」をうまく言い当てれないでいます。
- georgebush
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ちょっと気になったので、お邪魔させていただきます。 >家計の収支において収入が多ければ、儲けています。 そのとおりです、理想的ですね。家計では、収入以上の消費を続けていれば、やがて自己破産せざるを得なくなります。 企業もまた、赤字が続くと従業員の給与も払えなくなって倒産に至ります。 >市町村で考えても同じことが言えます。 >国で考えても同じことが言えます。 市町村や国は、プラスでもマイナスでも関係ありません。 家計や企業と違って、自治体や国は、いくら赤字会計であっても倒産することはありません。 >でも、世界で考えれば同じことが言えなくなります。 世界レベルでは、No.3の方の言うように、自給自足で通貨も持たない民族も数多くいると思うので、「経済活動」として組み込めるかどうか分かりません。こういう人たちが食べていくための経済活動を計上するとすれば、世界規模では人口の増減に比例します。 不景気とは、数値的にはNo.2の方の言うとおり、失業率が(日本では)4%以上になったり、GNPの成長率がマイナスになったときを言います。 「景気が良い」とは、経済が順調に成長し、生活レベルが向上している状態です。ただ、成長があまりに急だとインフレを伴い、「景気が悪い」状態になります。 経済が成長するためのキーは生産性の向上であると経済学では考えられています。蒸気機関や電力が発達することで、人間の生活レベルは格段に向上しました。 しかし、ここで言う経済成長は、我々が生きている間ではなく、かなりの長期間の事を指しますので、今月の給料が少ないとか、先月会社が倒産したとかは、関係ありません。 景気が良くても悪くても、誰かを犠牲にしているわけではないのです。
- shunkun
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例えば日本とアメリカの関係を考えてみましょう。アメリカが風邪をひくと日本がくしゃみするといいますが、日本の景気はある程度アメリカを始めとする外国に影響されます。アメリカの景気が良くなれば日本からアメリカへの輸出トレンドとなります。輸出メーカーなどは儲かります。しかしこれはいつまでも続きません。なぜならば為替の問題があるからです。輸出が続けば円高トレンドとなるため収益力が落ちます。先日まで外国人投資家によって株価が牽引され1万円台を回復しました。しかし内需が伴わなかったため一過性に終わりました。今の日本の場合、内需を高めるためにはデフレを克服しなければなりません。デフレで今まで500円だった牛丼が280円になれば消費者は喜びますが、供給サイドの会社からすればその分多くの客数を獲得しなければ損益分岐点に達しません。会社は赤字となってしまうのでリストラをしたり、牛肉や玉葱や米などの原価を切り詰めます。リストラをすれば失業のため購買力が落ちます。消費せずに貯蓄に回したり、生活ランクを落としたりします。そのためますます牛丼を買う人は少なくなります。会社はやむをえずますますリストラなどでコストを切り下げるという無限地獄に陥ります。不動産についても同様ですがここでは割愛します。一方、戦後の所得倍増計画によって国民の所得は急増しました。物価も上がりましたが国民の生活水準が上がったので、商品はどんどん売れたのです。これには新幹線の開通や高速道路の整備などにより物流コストが下がったことなども寄与しています。それにより、労働力が不足し失業率も下がりました。これが典型的な好景気のパターンです。これらを考えると景気とは決して他人を犠牲にしたり、利益の総和がゼロになるというゼロサムであるとはいえないのではないでょうか。経済原論のマクロ編を勉強するとグローバルな視点で経済がわかりますよ。
お礼
>一方、戦後の所得倍増計画によって国民の所得は急増しました。物価も上がりましたが国民の生活水準が上がったので、商品はどんどん売れたのです。これには新幹線の開通や高速道路の整備などにより物流コストが下がったことなども寄与しています。それにより、労働力が不足し失業率も下がりました。これが典型的な好景気のパターンです。これらを考えると景気とは決して他人を犠牲にしたり、利益の総和がゼロになるというゼロサムであるとはいえないのではないでょうか。経済原論のマクロ編を勉強するとグローバルな視点で経済がわかりますよ。 さて、それで本当に富の総和が増えたのでしょうか? 増えたのはむしろ負債の総和ではないでしょうか? 「たくさん借金をする。大いに遊ぶ。」を繰り返しているのとは違うのではないでしょうか? 土地や将来性という基準のあいまいなものに対して、その価値以上の評価がなされ、融資が生まれ、その返済をしつつ、食いつぶす。また、融資を起こし、食いつぶす。それでも、定期的な返済がなされていれば金融機関も文句はつけないし、うまくいているのでしょう。しかし、大本のあいまいな価値基準が崩れれば多くの企業が大変なことになっている。それが現実です。 所得倍増計画は好景気を確かに生んだと評価していいと思いますが、その価値体系の基準はとてもあいまいな幻想ではなかったでしょうか。再び誰もが妄信的に信じうる価値体系が仮にでもあれば、その実体のないもののおかげで、景気は上のぼりになるかもしれません。ですがそれでいいのでしょうか?
- 007
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経済のパラダイムを大きく変換するのは国家的な事業となるのでむずかしいですが、会社、業界、個人レベルでは可能でしょう。 儲ける・・・という概念を捨てたのがNPOですが、「儲かっていないが幸福な生活レベルは安定している」みたいな状態もありますから。 また浮浪者でも、儲けていないけど食い物はあるし安定している、ということです。この浮浪者に「雑誌を販売させて少しは収益をあげさせる」という出版社がたちあがりました。そうすると街角の浮浪者も事業者となるわけですよ。 ようはパラダイムシフトが必要な国ですね、日本は。
- 007
- ベストアンサー率51% (22/43)
景気がいい、というのは現在の経済活動、生活環境が従来と比べ同じかプラスということではないでしょうか。 景気は消費活動を活発化し、経済に潤いを与えます。 「バカの壁」からいえばエネルギーを一番消費している状態です。 世界レベルで見ると、景気とは、これは先進国の話でしょう。 例えば自給自足のアフリカ民族は「景気」に左右されない社会なので。なんせピクミー族は木の上に住んでいて、一日4時間労働(食糧をとる)であとはのほほんと生きられるほんとうらやましい人種ですからね。こういう人には景気はないのでしょう。 ということは儲けているとかとは無縁でしょう
補足
ありがとうございます。 >なんせピクミー族は木の上に住んでいて、一日4時間労働(食糧をとる)であとはのほほんと生きられるほんとうらやましい人種ですからね。こういう人には景気はないのでしょう。 うらやましいですね。でも、決して後戻りの出来ない今日の情勢の中で手放しでうらやましがっているわけにも行きません。 現在の経済システム全般を見直し、新しいシステムを構築する事はきわめて困難かもしれませんが、少なくとも今抱えている矛盾をもう少し真摯に見つめることが必要なのではないでしょうか?
マーケティングよりも経済学の分野に質問された方が 的確な回答が集まるのでは?と思います。 また、もしshio12さんが意図的にマーケティング分野に質問したのであれば 以下の回答は的外れかも知れませんのでご容赦下さい。 不景気、とか、いや景気が回復してきている、とか色々言われますが そもそも景気の悪化/加熱の基準って何なんでしょう? 経済学において理論的には 普通の平均的状態があって、それを超えれば景気加熱 それに達しなければ不景気といいます。 その平均的状態とは「失業率」が、最低限許容しなければならい 自然失業率に留まっていること あるいはそれが「インフレ」が加速しないような インフレ非加速的失業率にあることです。 以上、太田出版「エコノミスト・ミシュラン」を参考にしました。 この本はなかなか面白いです。 マクロ視点からの非常にベーシックな理論ではありますが 基本的に問題は「自然失業率」という考え方があることだと思います。 ただ、その「自然失業率」が何%なのかは議論の分かれるところです。 shio12さんのご質問は 換言すれば「自然失業率が0%というのはありうるのか?」 ということですが 過去の例において、資本主義経済では「極めて困難」と考え 社会主義経済というものが考え出された筈ですが 歴史的には失敗に終わり 現在、次の案がまだ出てきていない状態なのではないかと思います。 >他人を犠牲にするということなのでしょうか? それを前提にする考え方ではないと思います。 が、現状では解決策が見出せないなかで 仕方なく全体の維持のためには 一部犠牲もやむなし、といったところではないでしょうか。
補足
ありがとうございます。 >過去の例において、資本主義経済では「極めて困難」と考え 社会主義経済というものが考え出された筈ですが 歴史的には失敗に終わり 現在、次の案がまだ出てきていない状態なのではないかと思います。 マルクス経済学の言う「搾取」とは、企業や国家が富を労働者から絞り上げ独占する状態であり、それではいけないのだという理論だと乱暴な表現ですが理解しています。 今日資本主義経済下で、いったいどれだけの企業や国家が富を独占しているのかはなはだ疑問です。莫大な年商を上げながらも、その何倍かの膨大な借り入れを起こしている企業がほとんどではないでしょうか。国についても同じです。赤字国債をいつまで発行し続けるというのでしょうか? >現状では解決策が見出せない のが明白な事実であるならば、今日のほとんどの国の政策および企業の活動は犠牲を強いていることも理解してのことなのでしょうか? それともほかに維持し続ける方法がないということなのでしょうか?
- ranx
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誰かが得をした分、別の誰かが損をする。そのような状態をゼロサムと言います。 経済において、しばしば見られる状態です。世界経済全体がゼロサム状態であれば、 儲けるためには他の人に損をさせなければなりません。そうなのでしょうか。 ゼロサム状態が成り立つのは、富の総和が一定で、増加することがない時です。 もし富が増加するのであれば、増加分をみんなで分け合うことができます。 資本主義経済は、古い時代の農業を基本とする経済と異なり、発展志向型の経済です。 新しい形の富を作り出すことによって発展してきました。収奪に類することが全く 行われなかったとは思いませんが、基本的には、豊かになるために、他の人を貧しく することを前提としていないのです。 ところで、景気が良いということと収支が黒字であることとは、必ずしも同義では ありません。収支がマイナスであっても、経済活動が活発であれば景気は良いですし、 逆に収支がプラスであっても、経済活動が不活発であれば、景気は良いとは言えません。 もちろん、景気が良く、かつ黒字であることに越したことはありませんが、経済政策 としては、時には景気を良くするために赤字を受容するという選択肢もありうるわけです。 ど素人の説明では、はなはだ言葉不足ですが、理解の助けとして頂ければ幸いです。
お礼
ありがとうございます。 他の方のご回答に >市町村や国は、プラスでもマイナスでも関係ありません。家計や企業と違って、自治体や国は、いくら赤字会計であっても倒産することはありません とありました。私はこれこそが問題の発生原因であり、悪く言えば私の悩みの元凶だと思っています。 「自治体や国は、いくら赤字会計であっても倒産する」ことはありえのではありますが(国家の消滅と同時にその国を支えていた貨幣価値はすべてゼロになるのですから)、それがないという前提で、多額の赤字を抱えている。 銀行も含め大手の企業が倒産しています。それらも前提としては倒産するはずはないという「信用」で多額の負債を抱えることが出来たのです。 今では市町村でさえ、負債が多く、実質的に倒産に追い込まれているところはあります。日本国でさえ・・・? という疑問は残ります。 どのような社会を築くことができたなら、誰もが豊かに(その基準も難しいですが・・・)生活できるものか、もっと考えてみたいと思います。 どこかの少数民族のお話もありましたが、彼かは彼らで、ベンツに乗りたいとも高級マンションに住みたいとも、ブランド物を身につけたいとも思ったこともなくきっと豊かで充実した毎日を送っていることだと思います。 ありがとうございました。