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数学 悔しさ
数学の問題を解けなかったとき、それを悔しさと感じず、その解き方や考え方を美しさや楽しさとしてポジティブに感じたいです。私はいつも問題を解けなかったとき悔しさだけを感じてしまいます。 こんな解き方があったのか!とかこんな考え方があるのかとかここがキレイだとか、問題を解けなかったとき、悔しさではなく、そんな風に感じたいです。一体、どうすればいいのでしょうか。
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わからない問題をいつまでも唸っていては現代社会においては時間が足りません 考えて考えて40歳くらいになって「よっしゃ直角三角形において(斜辺)^2=(残る二辺の二乗の和)や!」って三平方の定理を発見していたんでは気付いた時には死んでしまいますね 出来る人は5分くらい考えてわからん問題は「わからん!」って言って解答を見てしまいます。 そしてそれを書き写してみたりして自分のものにしていくと数学を解く上で武器も増えて来ますし、時間も節約出来ますし、こうしないと何より時間が掛かって仕方ないです。 わからないことを悲観することはないでしょう。誰しもが通る道です。そしてその問題を時間かけて苦労して解いた人の恩恵が解答くらいに考えた方がいいですね。 これを続けることで数学的なお決まりの手法が見えて来て、公式やなりたちなどを覚えてきて応用出来るようになっていきます。 その域に達してからじゃないと鮮やかな別解を探すのは難しいと思いますね現実問題。 あまり深く考えないでクイズくらいに捉えて下さい。
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エレガントな解き方の答案を熟読・熟考することです。
- climber(@politeness)
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悔しい経験はだれにでもあります。これは自然なことです。したがって、悔しさを取り除くことよりも悔しさを喜びに変換することを考えるべきだと思います。 問題の解説を読むとき、こういう考え方があったんだと気付かされることがあります。これは自分の視野が広がり、以前よりも賢くなった証拠です。こうした思考の柔軟性の習得は人生の宝にもなるでしょう。このことは喜びではないでしょうか。 言うまでもないことですが、数学の応用問題に慣れるには、いろいろな問題に挑戦することが大切です。
- mister_moonlight
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問題が解けなくて、悔しさを感じるのは普通のこと。 君の悩みを解決するには、問題が解けて、and、複数の解法で解ければ良い。 そのためには、君に そのための十分な実力があれば何の問題も発生しない。 つまり、君は自分の実力から逃避しているに過ぎない。 或いは、勉強としてではなく、趣味としてやればよい。目的があるから、悔しさを感じる。
- hrsmmhr
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それは、数学に関わる問題ではなくて、数学をやる目的と心理的な環境の問題です。 普通は、自身の置かれた立場が有利にするように目的をもって勉強するので、 純粋に自身が解きたいという以外の気持ちが、問題を解く場合にも必ず付随していて、 早く目的を達成したいという気分が、焦燥感や無能感を生みます また、そのような目的がない(もしくは囚われていない)としても、生活上の別の悩みなどがあると、 言い方が難しいですが、集中できず考えがまとめられないことが自身の問題のように感じられて、 やはり焦燥感と無能感を生むことがあります ただ両方とも、全く無縁で生活しながら勉強していく場などはほとんどありませんので そういった感情を持たずに勉強できないか追求するのはあまり意味が無いと思います 考えることに没頭してしまえることができれば、その間だけは開放されるかもしれませんけど もしそれを追求したいなら、禅寺へ行って座禅を組ませてもらった方が近いかと思います