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仏説での性エネルギーについて

仏説で性エネルギーを説いている経はあるのでしょうか? 戒律の不邪淫とか、観音経の性に捕らわれたら念じよ、とかではなく、 ヨーガにあるような性エネルギーを昇華するような教えです。 まだ勉強中で知識が浅いのですが、勝義諦における心(しん)は認識する働きであり、それを行うにはエネルギーが必要で、生命はそのエネルギーの変化であるという見解みたいですが、ではそういったエネルギーを背骨を通って昇らせたり留めたりするような方法を釈尊は説いたのでしょうか? ご存知の方がございましたらご教授ください。

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noname#181697
noname#181697
回答No.2

かつてブッダもやっていたなんてのは、単なる売り口上と考えた方が良いです。何故なら、釈迦世尊は何らかの行法によって悟ったのではなく、断食や瞑想を含む、あらゆる行法に絶望し、全てを放下する事で悟りを開いたのですから。 ちなみに、原始仏教は認識できないものは考えても仕方ないという理論を述べるのではなく、認識できないものには評価を下さないという姿勢を貫きます。また、性の問題については、原始・上座部の様に抑制と超越を説く体系もありますが、思う存分味わい尽くす事で性を陶冶する、と言うやり方もあります。 近年ではバグワン・シュリ・ラジニーシ(Osho)が性の陶冶を大々的にやらかして、世界中から顰蹙を買いましたが、方向性としては全く正しいものでした。まあ、彼の弟子達はてんでダメですけどね。

syugyoucyuu
質問者

お礼

再訪ありがとうございます。 原始仏教に味わい尽くす考えがあるとは知りませんでした。しかし経験上、確かにそれもアリかなと思えることもあったります。タガが外れてとことん煩悩にふけった時とかは、何かもう別にいいやとなってかえって興味がなくなったり。 ですがこれ、抑制とはまったく対になる考えですよね。自ら調整できる人ならともかく、生半可な考えだとそのまま落ちてしまいそうで怖いです。 いろいろなやり方があるのですね。参考になる教えに感謝します。 Oshoという人は調べてみると沢山動画などが出てきますね。時間がある時にじっくり見てみようと思います。 回答ありがとうございました。

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  • kurinal
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回答No.3

「昇華」というのは、「他者からの評価」を(より)考慮した考えで。 「後世に、「自律」の方法が、発展したかもしれない可能性というのは、考えられる」と思います。が、 いずれにしても、「(そのような)方法論」を説かれたのではないと思います。

syugyoucyuu
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 昇華にそのような意味があるとは知りませんでした。 勉強になりました。 ありがとうございました。

noname#181697
noname#181697
回答No.1

仏教は還虚・消滅に属する哲学の体系であって、クンダリニー・ヨーガの様な霊的エネルギー上昇系とは方向性が違います。したがって釈迦世尊が存命時に性エネルギー等を説いたとは思えません。まあ、チベット仏教の無上瑜伽部の経典とかなら、その手の技術体系を伝えていても不思議は無いですけどね。

syugyoucyuu
質問者

お礼

やはりそうですか。 ネットでいろいろ調べていると、仏陀が言ったとか仏陀もやっていたとか書かれていることもあったりして、そのような経なんてあるのかと思って質問させて頂きました。 原始仏教は認識できないものは考えても仕方ないという理論を述べているので、もし仏説で教えがあるのなら性的エネルギーの解釈はどう捉えているのか気になっていました。 私自身も性欲的なことにさんざん悩まされたりもして、実際にこれだけのエネルギーがあれば大抵のことができるのではないかと思ったりもします。 まあ、その考え自体が煩悩だとわかってはいるのですが…。 回答ありがとうございました。

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