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なんで「五時八教の教判」なんかを多くの人が信じているのか?
自民党は、相変らず公明党と連立政権を組んでいます。 この民主主義国家のはずの日本で、カルト宗教政党が日本の「与党」となって政治を動かしている現状に、実に寒々しいものを感じます。 さて、創価学会についてですが、彼等は自分達の宗教だけが唯一絶対の正しい教えで、他の宗教は、仏教系他宗派は「邪宗」,キリスト教などの他宗教は「外道」などと呼び、滅ぶべき宗教だと主張しています。 どこからそんな誇大妄想のような思想が出てくるかですが、大元を探ると、「五時八教の教判」という思想に行き着きます。仏教の開祖・釈尊(いわゆるお釈迦様)は、一生の間に5つの段階を経て教えを説いた、というものです。世の中に経典の数は多く、内容的に矛盾したものが多い。それは実はいきなり真実の教えを説いても人々が理解できないので、段階を追って説いたのだ、そして最後に説いた「法華経」こそ真実の経典である。その法華経の正しさを説いた“日蓮聖人(などと私は呼びたくないが)”こそ真実の仏だ。…というのが創価学会の主張であり、学会員はみんなこれを唯一絶対の事実として信じ込まされています。 しかし、自分達が何を信じようが勝手ですが、現在は「大乗非仏説」すなわち大乗仏教経典は、釈迦が説いた教えではなく、釈迦の死後数百年後にさまざまなグループによって各々創作された“フィクション”の産物だということが、学問上,歴史学上の定説になっています。作者がそれぞれ異なるのですから、内容に矛盾があって当然です。一方「五時八教の教判」が歴史的事実だなどという主張には、何の学問上の根拠もありません。まことに馬鹿馬鹿しい限りです。 何で、世の中の仏教学者・歴史学者はこのことをもっと世間に訴えないのでしょうか? 真実を知れば、現在の創価学会員の半分は脱会してしまうかも知れません。公明党だってなくなってしまうかもしれないのに…。
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> 狂気じみたことを主張するのでしょうか それが、論理ではない、『教義』、『信仰』というものだと思います 信じてしまえば、どんな無茶苦茶なことでも、肯定しうるし、どんな信仰も、それを信じない者から見れば、狂気と看做しうるのです 他の宗派がそれほど独善的でないとしたら、それは単に教義が独善的に振舞うことを要求しないというだけであって、信仰に確信が無いとか、自派の教義が他派のそれより劣っていると思っているわけではないでしょう > どうしてそんな馬鹿なことが許されるのでしょ > うか 日本国憲法では信仰の自由、表現の自由が保障されています また、政府は戦前の教訓から宗教の規制には非常に及び腰です 従って、許す許さないの問題にはなりえないのだと思います > どうして日本の「与党」になって政治を牛耳っ > ているのでしょうか キャスティング・ボートを握れるタイミングで、それだけの勢力を持っていたからでしょうね 仏教宗派の中では例外的に攻撃的な折伏活動を展開したのが功を奏したとは言えるかもしれません > 仏教学者,歴史学者は立ち上がって警鐘を鳴ら > さないのでしょうか 『信仰』の問題で論争を仕掛けても水掛け論にしかならないのがわかっているからでしょう 『学説』を駆使して論破しようとしても、その『学説』を信じないといわれれば、それまでです 同じレベルで非難し合っていると見られたくなければ、口をつぐんでいるのが一番です もし誰かの『信仰』を曲げることが出来るとしても、それはその誰かが折伏された時と同等以上のエネルギーを費やして、反対方向へ折伏し直すときでしょうから、折伏のプロが相手では分が悪いでしょう
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- nyozegamon
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日本においては古来から調和、和の精神が良しとされてきました。 他宗教や他宗派は「邪宗」とおっしゃる方は、おそらく四面楚歌が好きなのでしょう。
お礼
>他宗教や他宗派は「邪宗」とおっしゃる方は、おそらく四面楚歌が好き >なのでしょう。 ありがとうございます。 四面楚歌だけならいいのですが、日本全体を思想的に支配しようと考えている(これは創価学会が公言していることですよ)のですから始末が悪い。
- littlekiss
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nyannyanさん、こんばんは。 的外れな回答だったら読み飛ばしてくださいね。 えっ-とですねぇ、さっきまでお姉ちゃんの家に遊びに行っててもどったとこです。お姉ちゃんの家でふと目にした中学の歴史の教科書。暇だったもので教科書を手にとってパラパラっとめくって、おっ!懐かしいなぁ~とちょこっと読みふけっちゃいました。そそ、姪っ子受験生なもので、質問されたらどうしようって...なんて話は、こっちにおいておいてっと、 でね、でね、歴史の教科書のある時代のところでピピピピ~ンって目がとまっちゃったの。どこどこどこって?鎌倉から室町にかけてのあたり。頭の隅っこにあるおぼろげな記憶がほわほわほわっとボヨヨン~♪って蘇ってきたの。まてまてまて、これってなんか面白いぞぉ!どこがどう面白いのか?って、うん、確か明建国が1368年だったっけ?14世紀から15世紀にかけてこのあたり世紀が変わる節目ちょこっと現在(いま)とどこか似てるのよ。社会状況や政治状況がどことなくね。1401年に「勘合貿易」が明とのあいだで始まったでしょ。この勘合貿易っていうのは市場の自由化が行われたのよ。ねぇ、ITの導入でいろんなものが自由化の兆しがあるよね今の時代。 勘合貿易を行う際には「勘合」この合札が一種の証明書、これがないと貿易ができない。このころ、「倭寇」って海の海賊がいたからね、見分けるためにもこんな合札が用いられたんだろうね。「勘合」の合札はいまでいうところのパスポ-ト、ほらほらインタ-ネットだとユ-ザ-IDがこれにあたるかな。ありゃ?一人でわけわかんない話してるって?ごめん、ごめん、自民党とか公明党とか宗教が...云々。って質問文に書かれてあったからねぇ、この室町時代になにかヒントとして見て取れるものあるんじゃないかとね。このころとってもいろんな学問が盛んになって、というのも貿易船の行き来で外からいろんなものが入ってきたし日本のものも外にたくさん出て行った。文化交流が盛んだった。それにともない仏教系他宗派もけっこうあったはずだよ。受け入れやすい環境下にあったんじゃないのかなぁ~? >他の宗教は、仏教系他宗派は「邪宗」,キリスト教などの他宗教は「外道」などと呼び、滅ぶべき宗教だと主張しています。 主張してるって?だれが? どの宗教だって、どの社会だって、人が集まって団体になる。 団体の中の一人が口にした言葉であったとして外から見れば、そこに所属するものの総意とも受け取れるし単なる個人の発言とも取れる。一概にことの良し悪しはつけがたいが、公の場で語られた言葉であったとしたらその言葉を発した者にはその言葉の本意を釈明なり説明する責任が生じてくるかもしれないね。うん。おもうんだけど、一番手っ取り早いのは、創価学会へ直接きいてみたらいいんだ。言葉の解釈っていろいろだから、「主張」がほんとうにそのようなものであるかどうか聞くが一番かもしれない。 相手が認めないならこっちも認めてやるかぁ-!ってなっちゃうと宗教戦争花盛りになっちゃったら喜ばしい出来事ではないんじゃないかなぁ- あっちもこっちもお国自慢してるとおもえば、それはそれでいいんじゃないかなぁ-言葉に過敏に反応しちゃよくないよ。縄張り争いみたいなことすることもないんだ。いろんな考えの人がいるってとこがまたいいんだから。言葉で傷ついたなら人の振り見て我が振りなおせでいいじゃないかぁ-。人は反面教師だよ。気づかないうちに相手から何かを学んでいるんだ。いろんな感情があらわれるのもそこには他者の存在があるからだと思う。不必要な人っていないとおもうよ。言葉や思いに囚われちゃったら面白くないよ。怒り静めて、ほへ~っと身体投げ出してリラックス、リラックス。$(^-^)$v明日天気になぁ~れぇ~♪晴れのち曇り?ん?ふぅ-っ!nyannyanさんのうえにかかった重たい雲、吹き飛ばしちゃう-☆ふぅ-っ、ふっ-っ、ふう-っ。飛んでいったよ!いい天気になるといいねぇ-☆
- aina-haina
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難しくってよく解りませんが、創価学会という宗教団体が政党を持ち、その政党が連立という名のもと日本国の政治の中枢に深く関与する事は絶対憲法違反だと思います!!!でも学会の多くの人は、公明党と創価学会は別って訳の判らない事を言うんでしょうね。 でも今の政治は間違ってますよ!!公明党は絶対戦争反対なんじゃないんですか?? 小泉君は、戦争好きですよ!!
- Singollo
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『信じる』ということはそもそも理屈じゃないからでしょう これが、数学の証明などなら、信じる、信じないではなく、理解できるか、できないかの問題になるわけですが、学説、教義、思想などというものには、必ず証明抜きの信念が前提として存在しています 矛盾が無いかどうかは、その証明抜きの前提に共感できるかどうかと、並べてどちらを取るかという判断材料のひとつ、と自分を納得させることもできてしまいます そういう人は、論理と感情を並列に並べるという判断自体、感情的なわけですから、感情の方に軍配を上げる可能性が高いでしょう
補足
回答ありがとうございます。 >『信じる』ということはそもそも理屈じゃないからでしょう それはそうなんです。だけど、浄土真宗の人は「極楽浄土は存在するんだ。阿弥陀如来は絶対なんだ。だから阿弥陀如来を信じない禅宗や真言宗は邪宗だ。仏法を捻じ曲げる悪い教えだ」なんて主張しませんよね? なんで創価学会(及び日蓮正衆系の仏教宗派)ばかりが、「自分達だけが正しくて他は全部邪教。無間地獄に落ちる教えだ。天魔の教えだ。亡国の教えだ」なんていう狂気じみたことを主張するのでしょうか。どうしてそんな馬鹿なことが許されるのでしょうか。 そんな、狂気に取り付かれた連中が、どうして日本の「与党」になって政治を牛耳っているのでしょうか。そういう状態に、どうして仏教学者,歴史学者は立ち上がって警鐘を鳴らさないのでしょうか。 はっきり言うべきでしょう。創価学会はカルトだ、と。
お礼
ありがとうございます。 何もかも、おっしゃる通りでしょうね。 本当に日本は民主主義国家なのでしょうか……。