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君主論20章の城塞に関する見解について
君主論(池田廉,1995中公文庫版)20章 「君主たちが日夜築く城塞や、その類のものは有益か、無益か」において、マキャヴェッリは、 「国外の勢力を恐れるより、自国の領民を恐れる君主は、城を築くべきだ。ただし自国の領民よりも外敵を恐れる君主は、築城を断念すべきだ。」 と述べていますが、なぜそう言えるのか、具体性がなくてよく分かりません。 城塞とは、外敵から身を守るために築くものなのではないでしょうか? それなら、外敵を恐れる君主は、築城すべきなのではないかと思うのです。 この件について、ご解説をよろしくお願いします。
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大砲の発達がその理由、じゃなかったか? 領民の反乱の場合は、反乱者はたいした武器を持っていないから城塞に篭ればそう簡単には落城しませんが、 外敵の場合、野戦で負けた後に退却し城塞に篭るわけだから、大砲の発達後は落城しやすくなり、篭城の意味が薄れ、 野戦で撃退しないとダメ、に近くなったため。 更に後の時代のパリなどは「無防備都市」宣言しており、野戦で負けたらそのまま占領されています(第2次大戦の初期。) が、無防備都市のおかげで、都市が廃墟にならずに済んでいます。
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- tyr134
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この章の結論は、 城塞を築くというのは、時に有効であり時に弊害がある。 君主は城塞を築くことよりも、民心を安寧に保つことに注力したほうがはるかに安全だ。 ということです。 その上で >城塞とは、外敵から身を守るために築くものなのではないでしょうか? >それなら、外敵を恐れる君主は、築城すべきなのではないかと思うのです という質問者さんの疑問に答えてみたいと思います。 敵から身を守るために城塞を築くということは昔から行われてきたことであり、その効果をマキアヴェッリも否定していません。 城塞は、外敵に襲われた時の守りとなるとともに、内部で反乱が起こりにくいようになる。 何故なら、敵が攻めて来たり、反乱が起こったら城塞に立てこもって嵐が過ぎ去るのを待てばいいから。(一般的に城塞を落とすには敵は3倍以上の兵力が必要と言われているし、マキアヴェッリも似たようなことを述べてます。) 今で言えば抑止力となるからってことですね。 しかし、堅牢な城塞というのは一度敵の手に落ちてしまうと、逆に自分の首を締めることになってしまう。 それを味わったのがウルビーノ公グイード・ウバルドで、一度チェーザレ・ボルジアに奪われた城を回復したあとにことごとく破壊しています。 また、別の例として当時女傑として知られたカテリーナ・スフォルツァをあげていますね。 彼女は夫(フォルリ公ジローラモ・リアリオ・デッラ・ローヴェレ)が謀略で殺されたあと、城塞に立てこもって時を稼ぎ、実家のスフォルツァ家(ミラノ公家)の援軍を経て追ってから逃れ、後に復権を果たします。 ところが、二度目にチェーザ・ボルジアの戦略によって自国民衆の反乱が起こると、またしても城塞に立てこもりましたが、結局力尽き捉えられ修道院送り(当時の修道院送りって女性にとっては刑務所送りみたいなもの)になりました。 とまぁ、これらの例を引き合いに出して、「城塞は時と場合によっては有益でもあり、百害でもある」と結論を導き出します。 また、カテリーナの例では、どちらの場合も民衆に恨まれないようにしていれば、災難は避けられたはずであると語ります。 一番言いたかったのはココなんですよ。 「城塞」という目に見えるモノに目を奪われ、「民心」という目に見えないモノを蔑ろにするなってことですね。 君主論に限らずディスコルシ(『ローマ史論』)など、他の作品に一貫しているのは、「民衆に好意を持ってもらうこと、そこまでいかずとも最低でも恨まれないようにすること」の大切さを何度も語っています。(もちろん、文言は違いますが) また、13章の「援軍・混成軍及び自軍について」という章で、「外国からの支援軍や傭兵」がいかに役に立たないかをといています。 それと合わせて読み解くと、マキアヴェッリが「国民軍」の創設の必要性を訴えている章であることも浮かび上がってきます。 当時、特にいくつもの勢力に別れていたイタリアでは、自軍よりも傭兵を雇うのが通例となっていました。 (傭兵といっても、自分の領土を持っている一国一城の主でもありました。) 傭兵(外国軍)というのは金や条件で簡単に寝返るもので信用できない。 なので、国民軍を創設するためにも民衆に武器をもたせるのがよい。 しかし、その地を征服した状況によっては、武器を持たせるのは得策でない場合に注意が必要とも述べてますけどね。 一方で、国民軍というのは、民衆を支配者(あるいは国)に縛る楔となります。 国が奪われれば、民衆自身にとっても不利益を被ることになります。 だから、必死になって戦います。 そうすると、支配者(君主)とも一体となるので、反乱も起きにくくなるし、外敵に侵入された時も外国からの援軍や傭兵なんかよりも余程必死になって戦ってくれるので負けにくくなる。 この後の歴史が、こぞって国民軍創設に動いていくことを考えると、改めてマキアヴェッリの先見の明には驚かされますね。 余計なことを書いてしまい、少し長くなりましたが、参考になれば幸いです。 ではでは、長文・乱文で失礼しました。
お礼
マキャヴェッリ的には、(城塞の)外敵から身を守る利点<外敵に占領された場合の欠点 なんですね。よく分かりました。 ありがとうございました。
- jkpawapuro
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すいません、君主論は知らないのですが一般論でよろしければ。 日本の戦国時代のようなただ非常時篭るだけの城(小田原城などは城下町丸ごと囲んでるので例外ですが)と違い、ヨーロッパの場合ある程度の都城制(城下町を囲んだ巨大なもの)なので、領主の収入の何年分もをつぎ込むことになります。 これだけの財政をつぎ込んで外敵との戦いが有利になるかといえば、決してそうではありません。 城は追い詰められて最後に篭るだけ、篭城戦に至るまでの勢力争い・途中経過では一切役に立ちません。 むしろ築城に金など費やしてる暇があったら、軍事・あるいは内政に金を費やし、そもそも篭城戦に追い詰められない状況を作るべきです。 ただし急な奇襲を受けるような場合、動員がかかって兵力が整えるまで時間稼ぎになります。 そういった意味で国内での急な反乱や裏切りの場合、いきなり本拠が制圧されたり君主が殺されるリスクを回避し体制を立て直す時間が稼げるでしょう。 結局城は時間稼ぎにしかならない、その割には莫大な費用がかかる、その点をどう考えるかだと思います。
お礼
メリットの割にはコストがかかりすぎるのですね……。 ご回答ありがとうございました。
- eroero1919
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「守る一方では国は守れないよ」ということだと思います。 当時の軍隊は傭兵が中心(マキアベリは国民兵制度を導入せよと主張していましたが)でした。基本的に当時の戦争はどちらかというと守備有利です。補給制度というのが実質的にはありませんでしたから、敵国に長期間攻め込むことは大変だったのです。 では立派な城を作っておけば大丈夫じゃないかと思うでしょうが、さにあらず。城に篭れば、城の外は敵国の軍隊に囲まれます。この場合の敵軍は、傭兵隊なわけです。 すると当然のことながら、城の外は敵軍は食っていくために略奪し放題ということなります。何度も国が攻め込まれることが続けば、国内は荒れていくことになります。立派な城を建設するには金もかかり、維持費もかかります。しかも、城は守備には役立っていても、攻撃に使うことはできません。 また攻撃側が充分な兵力と補給品を準備したら、いくら立派な城があっても守りきることはできません。これは戦争の鉄則です。例えば有名なのは日本の戦国時代の豊臣秀吉の小田原城攻めです。小田原城というのは、あの武田信玄や上杉謙信が攻めても落ちなかった城でした。しかし、城攻めの天才豊臣秀吉が11万という想像を絶する大軍を集めて完全包囲した上、その包囲が一年続いても二年続いても大丈夫なような体勢を整えました。こうなると、もう篭城側は日々やつれていくのを待つばかりとなります。 ヨーロッパの戦いでも、コンスタンティノープル(今のイスタンブール)はものすごいスケールのデカい大城塞で、オスマントルコの侵攻を何度も防ぎましたが、結局最後は落城しました。城の力で守りきることはできないのです。 城で守りきることができるのは、救援の援軍(これを後詰といいます)がくることが前提条件となります。 ではなぜ国内勢力なら城を築けとなるかですが、国内の叛乱ならそんなに長期間の作戦ともならないし、もし長期間になるならこちらからの巻き返しもできます。つまり、最初の一撃を耐えれば叛乱が失敗に終わるケースが多いのですね。だから、城で守れるというわけです。なんとなれば、国外の親自分派からの救援だって期待できるわけですからね。
お礼
>最初の一撃を耐えれば叛乱が失敗に終わるケースが多い 内戦の場合は城塞のメリットが際立つようですね。「自国の領民を恐れる君主は、城を築くべきだ。」の意味がよくわかりました。 ありがとうございました。
- DieMeute
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中公文庫版は読んでないので、人物名の発音について、ちょっと違いがあるかもしれませんが・・・ 君主論には、その「国外の・・・」の文章の直前に、ニッコロ・ビテルリと、ウルビーノ公グィード・ウバルド・ダ・モンテフェルトロと、ジョバンニ・ペンティポリオらの例として、彼らが城を壊した事が記されています。 これらの人々は外敵などにより一度は国を失った人達で、後に国を取り戻しました。 そのため、城が決して外敵からの絶対的な安全を保障するものではないと身をもって体験したり、敵方が城を頼みに圧制を敷き民衆の反乱を招いた場合もあり、過度に城へ信頼を置く危険性を悟ったりもしました。だからこの人達は国を取り戻した時、国内の城を破壊しました。 城があっても君主に不満を持ち敵対する民衆と外敵が手を結べば、城も絶対的に安全というわけではありませんし、簡単に落ちる場合もあります。そして城が敵の手に落ちれば敵に利用されてしまいます。しかし、城が最初から無ければ利用される事もありません。 上記の人達は城の利点より、城に依存する事への危険性を回避したと言えます。そして戦いの時は、城が無いのにどうしたかと言えば、外敵には当然というか常に野戦で立ち向かいました。 だからマキャべりは、こうした例を踏まえた上で「国外の・・・」と書いています。 そして「国外の・・・」の文章の後の方に、カテリーナ・スフォルツァ伯爵夫人が民衆の反乱に対して城に立て篭もり、援軍を得て勝利した事が述べられていますが、これは外敵が民衆の反乱に手を貸さなかったため、城が役立ったとマキャベリは説明しています。 まあ、マキャベリは、「城が役に立つか立たないかは状況しだい」とも言っていますので、そこは留意するべきでしょう。
お礼
前後の文脈が良く分かりました。 ご回答ありがとうございました。
お礼
なるほど、大砲の発達ですか。 そこから考えると、確かにしっくりきます。 ご回答ありがとうございました。