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源氏は「白」、平家は「赤」の由来
- 源氏の「白」は、源氏が「新羅系」であり、「白旗」の国であったため。
- 平家が「赤」旗を掲げたのは、赤が官軍を意味するから。
- 当時、「白旗」は「降参」を意味しており、赤旗の使用に関する具体的な事実は不明。
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壬申の乱で勝利した大海人皇子(後の天武天皇)が、戦いの時に赤旗を使用していました。 これは、五行思想の火徳を自称した中国の漢の高祖、劉邦にならって、自らが創業帝王である正義の軍である事を主張したのだろうと言われています。 「Netでは」というのが、どのようなサイトの事かがわからないので確認できませんが、官軍とは天皇の軍という事ですから、「赤は官軍を意味する」というのは、その事ではないかと思います。 ちなみに、壬申の乱の時、相手の大友皇子(弘文天皇)側は、金の旗を使用してました。 おそらくは、この赤に対抗するための、源氏の白だったと思いますが、白にも、清廉潔白の意味があり、軍神である八幡菩薩の色という事だったので、赤に対抗する色としては、ベストな色だったと思います。 ちなみに、「白旗が降参を意味する」という観念は、その頃(源平の頃)の日本にはありません。 幕末にペリーが黒船でやって来た時(2回目の時)、もし交渉が決裂すれば、攻撃も辞さないという意味の手紙に白旗が添えてあり、「降伏するなら、この旗を掲げよ」みたいな説明があって、日本人は初めて、「白旗が降参を意味する」事を知りました。
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- dayone
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実は当初、『日本書紀』『常陸国風土記』などでお茶を濁そうと準備していましたところ、 岩下哲典氏の『江戸時代における白旗認識と「ペリーの白旗」』を御提示なさいましたことで、 goo-par1732 様が何れも御把握済みでの御質問であられることが明らかになりましたので、 一旦白紙に戻し、改めて下記のような宝の山^^を漁っていたところ、 『本朝軍器考』に出くわした次第でございます。 ◇『古今要覧稿[第2冊]/屋代弘賢(1758-1841)著/国書刊行会/明治39.1』 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897547/243 器財部 「巻第百三十九 はた」(475~494頁)<243~253/385> 「巻第百四十 のぼり旗 縫くるみ まねき/旗差」(495~501頁)<253~256/385> 「巻第百四十一 旗紋/旗竿 手附竿/旗袋」(502~510頁)<257~261/385> 「巻第百四十二 錦旗/白旗 赤旗 黒旗 青旗 黄旗」(511~519頁)<261~265/385> ◇『古事類苑[第172冊]兵事部12/神宮司庁古事類苑出版事務所編/神宮司庁/明治39.11』 http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/897735/67 「兵事部 四十七 旗」(2097~2121頁)<67~79/104> それにしても、何より一番驚きましたのは「源氏の白旗」と「降伏の白旗」とに着目されて 疑問を提示されてらっしゃる goo-par1732 様の発想は、 正に新井白石の再来?ではないかとすら思った次第でございます^^ 『本朝軍器考』では「…將軍ノ出征ス時ニ。白旗賜ル叓アリナドイフ事。心得ヌ事也。…」 などとサラッと一言で終わっているのが残念でなりません(><) 時代は違えど、今でも国語辞典などを紐解けば「白旗」には降伏・休戦・戦意なし などの意味が受け継がれていることを思えば、…もっとも日本書紀から幕末に至る間に どの程度の共通認識があったかは定かではありませんが…、 また「赤旗」には危険・失敗・無効などの意味もあることを思えば、 色に対する人間の本源的な感覚が時代を超えて存在するに違いありません。 その一方で、当時、限られた中で目立つ色を私家旌旗等に使うとなれば、 「赤、白、青、黒、黄」(とはいっても色領域には幅があったのでしょうが)など 選択肢はそれほど多くはなかったでしょうから、それぞれの色旗に対する理由付けは 後から生じたと考える余地もあるように思います。(悪く言えば、とってつけたと…^^) とりとめもなくカキコミさせていただきましたが、今回二番目に驚きましたのは、 goo-par1732 様が如何にして『江戸時代における白旗認識と「ペリーの白旗」』論文に 辿り着かれたかということでございます。 仮に、CiNii論文情報ナビゲータにてキーワード「白旗」検索しても 449件ヒットの8頁19番目に登場するだけでなく、 <機関リポジトリ><CiNii-PDFオープンアクセス>などにも該当しないため、 ここからでは論文にアクセス出来ませんから… 何か秘密のスゴ腕ノウハウでもおありなのでしょうか? ではまた^^
お礼
再度のご教示ありがとうございます。 またまた、参考となる書物を教えてくださったこと、感謝します。 『古今要覧稿[第2冊]』「巻第百四十二 錦旗/白旗 赤旗 黒旗 青旗 黄旗」に源平の旗の色について下記のように記述されていますが、やはり「不明」ですね。 (前略)後に源氏の白旗平家の赤旗といふ事は、保元平治の頃よりや始なりけん。扨旗にも限らずしるしとなすべき物は、皆其色を用ゆ故に赤しるし白しるしの称あり。然るに其赤白を用ゆる所以は正しき書に徴とすべきことなし。(中略)清和天皇ノ御世ニ六孫王経基初テ源ノ姓ヲ給リ白布ノ旗ヲ下シ給、桓武天皇ノ御世ニハ一品葛原ノ親王ニ初テ平ノ姓ヲ給リ赤布ノ旗ヲ下シ給、是源平両家赤白ノ起也とあれども是又正文にあらざれば證するに足らず。 平氏が先に「赤」を選んだのか、源氏が先に「白」を取ったのか、そのとき、たとえ思いつきにせよ、何らかの理由があったはずです。 実際には、天皇が平氏には「赤旗」を与え、源氏には「白旗」を与えたわけですから、平氏か源氏か、どちらが先に「旗」を給わったのか、これを調べてみようと思います。 天皇が主体で「色」を選んだわけですから、権力闘争に明け暮れた天皇家にとっては、672年の「壬申の乱」の「赤色」は、まだ記憶に新しかったのではないかと想像しています。 この点において、#2の方のご回答は参考になります。 平氏が先に「赤」を選んでいた場合、源氏は対抗する色としては「白」を取らざるを得ない、と思います。 源氏は消極的に「白」を選んだが、理由は後からなんとでも付けられるのではないか、と思います。 「赤」は、古墳時代の頃から辟邪の色として知られています。また、冠位十二階では、「白」より上位になります。 源氏が先に聖なる色「白」を選んだとすれば…、 こんなことを考え始めると、深みにはまってしまいました。 何しろ、日本史は、ざっと60年ほど前、中学時代に習っただけですから、なかなか思考が進みません。 さて、論文「ペリーの白旗」ですが、ご参考までに。 CiNii論文情報ナビゲータにてキーワード「ペリーの白旗」で検索しました。 すると「青山史学 21, 67-84, 2003」 が元になっていること知りました。 そこでGoogle「青山史学 ペリーの白旗」で普通にググルと 「JAIRO」にも論文がありました。 http://jairo.nii.ac.jp/0132/00009700 そして、次のサイトにたどり着きました。偶然かも知れません。 http://www.agulin.aoyama.ac.jp/meta-bin/mt-pdetail.cgi?cd=00009700 「フルテキストへのリンク」で「論文」が出ました。
- dayone
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結論に至るか否かは別ですが… 『本朝軍器考/源君美(=新井白石)』のうち[冊2:巻1]が面白いかもしれません^^ 既に既読でしたら笑って許して下さいm(_"_)m ◇駒澤大学図書館>貴重図書>「本朝軍器考12巻.本朝軍器考集古圖説2巻14冊」 http://wwwelib.komazawa-u.ac.jp/retrieve/kityou/YA00020329/02-frame.html ◆[冊2:巻1] 『本朝軍器考[冊2:巻1]/源君美(=新井白石)』<4~25/27> 「本朝軍器考卷一 旗幟類 筑後守從五位下源君美 彙輯」の文中、 <10/27>六葉左頁8行目~ …源平两家ノ白旗赤幟ナドイフ叓ノミ見エテ。… …或ハ。(天文ノ此ヲ云フ)昔將軍ニ命ジテ出征サシメラルヽ時。御旗ヲ賜フ叓アリ。 其中ニ手長白旗トイフアルヲ。源氏ノ祖ニ賜ヒシヨリ。 子孫其色ヲ用ヒラレシトモ(※原本はトモの合略仮名)イフ也。 (清和天皇皇子)貞純親王大將軍ニ任ジ給ヒシトイフ事其ノ徴トスヘキ叓所見アラズ。 …源氏ノ祖先ヲ將軍トナサレテ出征サシメラレシトイフ事ハ。 彼將門純友ガ乱ニ(天慶三年)經基王ヲ副將軍(古事談神皇正統紀ニ見ユ)トナサレシゾ始ナルベキ。 サレド御旗給リシヨシハ。聞エズ。 按ズルニ。モロコシノ禮ニ。或ハ軍敗レ。或ハ國亡ビテ。降リ服ヒヌル時ハ。 必ズ素キ幡<※白旗>ヲ建ツ。我朝ノ昔モカクゾアリケル。… …サレバ。昔ハ旗幟ノ類ニ。素色<シロキイロ>ヲバ用ヒラレザリシト見エン。 ヽカルニ。將軍ノ出征ス時ニ。白旗賜ル叓アリナドイフ事。心得ヌ事也。… … <13/27>八葉右頁1行目には …又源氏ノ旌旗。其ノ皆色白カリシニモアラズ。カクサダカナラヌ叓ナレド。 源氏白旗ヲ用ヒラレシ叓ノ由ハ。猶世ニ傳フル所モアリキ。 平家ノ赤旗。イカナルイハレアリトモ。其叓ノ由シルセルモ。イマダ所見アラズ。… などなど余り抜粋してしまいますと、興味が半減してはいけませんので、 後は原本にてお楽しみ下さい^^
お礼
ご教示感謝します。 『本朝軍器考』、このような書物があることなど、全く知りませんでした。 それにしても、源平の旗の色の由来を調べるには、この書物が適切であるということをよくご存知ですね。 駒澤大学図書館所蔵の貴重図書を我が家にいながら見られるとは、夢のようです。 とても面白い内容です。 いつものことですが、素晴らしいサイトを教えてくださって、ありがとうございます。 結局、この書の結論は、「源氏の白、平家の赤」には、諸説あるということですね。 白石の出した結論が解ったということだけで十分満足です。 私の推測ですが、650年、穴戸(長門)国より献上された白雉により年号を「白雉」と改元したように、「白」は瑞兆だから、という理由もあったのかも知れません。
- PENPENMAKKY
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「白旗」が「降参」を意味する どこのルールですか? 欧米で「白旗」は「軍使だから攻撃しないように」という意味です
補足
「白旗が降参を意味する」と私が思ったのは、下記論文によるものです。 江戸時代における白旗認識と「ペリーの白旗」 http://www.agulin.aoyama.ac.jp/metadb/up/library01/BD80010442/Body/ab00010442.html 3/18ページ下段の一部を抜粋します。 しかし、上述の日本古代の編纂書では白旗すべてが降伏の意味で使われている。したがって、古代日本では白旗に降伏の意味をかなり認めていたと考えることは不当なことではないだろう。
お礼
ご教示ありがとうございます。 「赤旗」使用については、そのようないきさつがあったのですね。 よく解りました。 「白」が八幡菩薩の色であることは、もちろん知りませんでした。 それなら源氏にぴったりですから、源氏は「白」を選んだと思います。 「源氏は白、平家は赤」で検索すると、何件かヒットしたのですが、どれもすっきりしないので、質問しました。 「Netでは」というのは、ヒットしたうちのどれかという程度の話です。