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残酷(?)な江戸幕府倒幕、主な原因人物(藩)は?

日本史のテストで先生が「明治維新において、最も責任を負うべきは誰だと思うか。根拠をあげて自由に論ぜよ。」と言う問題を出すと言われたました。 この文自体、私もよくわからないのですが(汗) 先生は、戊辰戦争など倒幕までの間に色々と残酷(?)な経緯があって明治維新となったが、この残酷な幕府の倒幕にしてしまった、原因(責任がある)があると思う人物を理由もありで述べなさい。 とのことです>< 人物は個人名でなく○○藩でもいいようです。 出来れば理由の後、「○○するのではなく、○○すれば良かった」なども書いて頂けたら嬉しいです。 文脈、あやふやな質問かもしれませんが お優しい方、回答お願いします。

みんなの回答

  • sanjakubo
  • ベストアンサー率44% (44/99)
回答No.2

 「テストもしくはレポートの解答を要求する」質問は、「教えてgoo」の規定に反していると思います。  徳川慶喜は大政奉還しました。それでも、旗本御家人という多くの家来を擁し、全国に何百万石の天領を有していました。そういう権限を奪い去ろうとして発せられたのが、「王政復古の令」です。  また、これを実現するために、「鳥羽伏見の戦い」があり、「甲州鎮撫隊の戦い」があり、「長岡戦争」があり、「会津戦争」があり、「函館戦争」がありました。また、官軍であることを象徴し、幕府方を族軍と位置付けるために「錦の御旗」というものが用意されました。  まずこれらを調べてみれば、あなたの先生がどういう答えを求めているか、見えてくると思います。 答えの一つになるかもしれませんが、次の論文を読んでみるとある程度参考になると思います。 『幕末江戸期における御用盗の横行と御札降り』 http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/frame.html

  • mekuriya
  • ベストアンサー率27% (1118/4052)
回答No.1

日本史のテストは先生が正しいと信じている答えを当てるゲームです。すなわち先生の歴史観に迎合すれば点になるし、そうでないなら点にならない。そういうゲームなわけ。でも私たちは先生の授業を受けていないので、先生の歴史観は分かりません。 そもそも明治維新という用語は、後世の歴史家が一連の出来事によってなされたことを便宜的にそう呼んでいるだけの話です。歴史にシナリオはありません。当時の人は誰一人として終着点を知らずに、おのれの信じる道を進んだ。その結果がたまたま明治維新と呼ばれる大変革になったわけです。誰が、これから明治維新をしますよと宣言したわけではないのです。それぞれの立場の人がおのれの責任を果たした。それだけの話だ。 そもそも倒幕は時の将軍である徳川慶喜が大政奉還を為したことで終わっています。幕府が預かっていた統治権を朝廷に返上しますと。朝廷は大政奉還を認可して、王政復古の大号令で明治新政府の樹立を宣言します。これで政権交代は終わっている。 とはいいながら、それで終わりでもない。将軍直結の旗本の身分はどうなる?諸大名の領地経営はどうなる?江戸時代は幕藩体制であって幕府が直接統治していたのは幕府直轄領だけです。将軍だけが任を降りても、それじゃ自分たちの身分・立場・職務・特権はどうなるの?そういう問題が未解決で残されたわけです。それがスムーズに政権交代とならずに戊辰戦争に至った理由でもある。 しかしそれはしかたがないことだったのではないでしょうか。幕末は大名も旗本も将軍の命令に、ははーと従う時代じゃないのです。だからこそ慶喜も幕府の終わりを悟ったわけです。世の中の急激な変化を理解できず、ついてこれなかった人がいたのも仕方ありません。テレビやラジオで退陣演説をできる時代でもありません。260年間続いた幕府の天下が終わりましたといわれても、はいそうですかと受け入れられなかった大名や藩士や旗本がいても、それはむしろ当然なのではないでしょうか。果たして、彼らは戊辰戦争で賊軍になってしまった。血を流すことになったのも仕方が無い。仮にも武士たる者が輪投げの三番勝負で決着をつけましょうなんて話にはなりません。徳川慶喜にもどうすることもできない。なるようになるしかない。それが徳川慶喜の考えだった。幕藩体制の完全な解体までには、戊辰戦争、版籍奉還、廃藩置県というプロセスがなお必要だった。そこで血を流した人がいたとしても、シナリオが無い歴史の中で随分うまくソフト・ランディングできたと評価できるのではないでしょうか。もし朝廷が幕府支持と新政府支持の2つに分裂していたら、南北朝時代のように明治維新は50年も60年もかかっていたかも知れません。何が残酷なのでしょうか。天保の大飢饉では秋田藩だけで10万人の餓死者が出たという説があります。これは残酷でないとでもいうのでしょうか。 以上が私の歴史観です。回答になってない。その通り。私は先生の歴史観も知らないし、先生の歴史観に迎合するつもりもありませんから。

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