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明治4年当時の高額郵便料金と切手
- 明治4年当時の貨幣制度は両・円の混在期で、21貫600文は約5.5両になります。
- 切手の額面は「銭」で、料金は「文」で表されていました。
- 当時の丁稚の給金は年間で3両ほどであり、高額郵便の料金と比べると非常に高い給与でした。
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1.ではその切手としてどんなものを貼付したのでしょうか =明治4年に日本で初めての「切手」が発行されています。俗に「竜文切手」と呼ばれるもので、4種類発行されました。「銭四十八文」「銭百文」「銭二百文」「銭五百文」の4種です。裏には糊もついてませんし、目打ちもありませんでした。切手は米粒で貼っていた様です。 2.切手の額面は”銭”で料金は”文”で誠に判りにくいのですがこの点も如何でしょうか =日本では「円」が導入される以前まで、貨幣単位としての「文」が続いていました。新通貨単位が導入されてからは、円・銭・厘が使用される様になり、現在は円と銭が使われています。竜文切手の場合、読み方なんですが「ぜに~もん」と言う言い方になります。確かに現在では判読はややこしいですね。 3.また当時の丁稚の給金は年間で3両ほどと聞いた事がありますが別立てとはいえこれでは高すぎるのではないかと思いますがどうでしょうか =当時の3両は新貨幣制度導入時の3円に相当します。当時の1円は現在の通貨に換算すると5000円になると思われます。明治27年の公務員の初任給は50円です。明治も20年を過ぎると大体1円=4000円ぐらいになります。ざっと計算すれば公務員は現在のお金で20万円を貰っていた事になります。話は元に戻りますが、丁稚の年間給金3両という事は、年間で現在で15000円になります。まさしく丁稚奉公とはよく言ったもので、こんな安い給金で雑用をあれこれさせられていたのです。決して高くはありません。むしろ、安すぎるくらいです。 4.更にはこうした別立てなどによる高額郵便の現品の保存はどこかにありますでしょうか =所謂「切手博物館」という所に行けば現物は見られます。
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- takeko85
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>1.ではその切手としてどんなものを貼付したのでしょうか 竜切手(竜文切手)といわれ48文、100文、200文、500文の計4種の切手があります。 >2.切手の額面は”銭”で料金は”文”で誠に判りにくいのですがこの点も如何でしょうか 額面は通貨改革が行われていなかったため、江戸時代の通貨単位のままです。 1871年(明治4年)旧暦5月10日の新貨条例制定により新通貨『圓(円)』が導入されたため、翌年の1872年(明治5年)2月に「銭」の単位に変更した竜銭切手が発行。額面は100文を1銭、48文を5厘と改訂 >3.また当時の丁稚の給金は年間で3両ほどと聞いた事がありますが別立てとはいえこれでは高すぎるのではないかと思いますがどうでしょうか 一般的には1両が6万円~10万円程度らしいので高いとは思いません。 >4.更にはこうした別立てなどによる高額郵便の現品の保存はどこかにありますでしょうか ちょっと意味がわかりかねます。
お礼
ありがとうございました 私が興味を持ちましたのは 横浜-高崎間特別便が 21貫600文 横浜-上田間が 34貫200文 とされ 郷土(上田)の先人は通信にどれ程の費用をかけたのだろうか という事でした。 幕末に開港された時から別立ての飛脚は利用されていたことでしょうがそれを伝えるものはありませんことから 明治4年の情報を手がかりに類推したいと考えました
補足
お返事いただきありがとうございます 4.について説明が不足していましたので追加します 21貫600文に相当する切手を500文切手によって貼り付けようとすると43枚必要となります 43枚もの切手が貼られた封筒は圧巻でしょうが宛名書きや差出人名を書くと切手は貼りきれるだろうかと思いました もしかすると高額料金には切手に替わる何かを一枚だけを貼っているのではないかと考えました お返事いただいた後この補足を一度投稿したつもりでしたがパソコン画面で表示がされませんでしたので もしかすると正しく投稿できなかったかもしれません 改めて補足の投稿をしました よろしくお願いします
お礼
ありがとうございます 博物館は中央にあるのでしょうね 機会を見て出かけてみたいと思っています