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「継続は力なり」という安易な発想
習い事の継続に飽きそうになった際に、意欲を取り戻させる為には、 目的の見直しが最も望ましいのでしょうか? 【無心の奥義】からは目的意識という雑念が払拭されているべきなのだろう、 と思われたものですから、教えて下さい。
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>「修・破・離」の展開の結果で・・・ とありますが、それは既に習う段階を過ぎた後の話ですね。 質問内容にある、 >習い事の継続にあきそうになった際に・・・ とは次元が違います。 もう一度質問内容をまとめられて補足されたほうがよろしいかと思います。 一応、補足への回答を・・・ 目標や目的といった目指すべき到達点がそもそも人によって違いますよね。 スポーツや商売の格闘技などでは、他者より秀でることが到達点になることがよくあります。 また、ヨガや日本の道等はゴールが無くたどり着ける限界を覗こうと努力する人も居ますね。 「修・破・離」などは用法の進化ですが、それが有用の用を求めた結果なのか無用の用を求めた結果なのかによっても変わってくると思います。 有用の用を求めたのであれば「修・破・離」のどの段階で到達したしてもそれは1つの結実です。さらなる必要を感じればさらに進むかもですし、既にゴールかもしれません。 無用の用を求めての結果ならそれは未だ至らぬ道の途中なのでしょう。しかし、道だけにかまけられる人間はそうそう多くありませんから、止まらず走り続けるも、休み休み走り続けるも人それぞれでしょう。 貴方の疑問はやはり唯一に収束していきませんね。
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- resistance450
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学費が足りないのでは。
補足
有り難う御座います。 繊細な御意見ですね。確かに道具の購入に予算を掛けさせると遣る気が増しやすくなるのでしょうから、それもが重要なポイントになり得る、と思われます。 でも、健康食品とか運動グッズとかの通信販売のCMでも「効果の個人差」の存在が指摘されています通りに、たとえ比較的に高い費用を費やしましても、望ましい結果の入手が保障され得る訳では御座いませんので、サンクコストに更なる費用を追加する遣り方には妥当性が認められ得るのでしょうか?
子供が無心に遊ぶのはそれが楽しく、面白いからです。目的意識などありません。 継続に飽きそうになるのは面白くないからで、そんな物を強要しても身につきません。 好きなことをやらせるのです。そうすれば継続できます。それが良かったか、悪かったかは社会に出てみないと解かりません。 結果、良くても、悪くても自分の選択であれば納得できるし、人の押し付けであれば、押し付けた人を恨むだけです。
補足
望ましい回答を下さり、有り難う御座います。 確かに、仰る通りに、「楽しむこと」は鑑賞と違って自己完結的な色彩が濃くなっていますので、それには「具体的な目的対象の設定」が必要になっていませんね。 でも、「3年習うよりも(何処の研修をも受けずに)3年良い師匠を探せ。」という伝統的な教えが御座いますので、妥当な切っ掛けとの御縁を導けるのか否かの責任は周囲の人間にも求められるのではないでしょうか?
門前の小僧というのは すばらしい 反面教師ですね! 質問の内容に賛成いたします。 門前の小僧の目的は、 おっさんになって そのご その発展刑として 立派なじいさんになることです! なにゆえに みなさまがたは じいさんになりたイ!のでしょうか? 「哲学はじじいがたむろする場所である」というのが間違っています! いますぐ じじさま=じじイのこごと をやめるべきです! 高齢者は、地位にへばりついてばかりないで 黙って廃墟の処理をしていればよい ということです・・・
補足
貴重な回答は有り難いのですが、仰っている内容には此の質問への批判の意図もが盛り込まれていますか? そもそも、此処では門前の小僧の話題に内容を限定しておりませんでして、「御年配の初心者の方々」の場合をも含めた状況を想定しております。
- pepe-4ever
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「継続は力なり」は大昔に代々木ゼミナールが言い出した受験生への尻叩きだと思っていたのはオレの間違いか…? 代ゼミ風に言うと、「意欲を取り戻させる為」ではなく、「意欲を無くさせない為」であり、 「目的の見直しが最も望ましい」のではなく、「目的は変えない」 そして、 当初の目的目標を目指して「日々是成長」 かと思っていたが…。 それと【無心】の状態とは違う。
補足
有り難う御座います。 確かに無心で研究に没頭する学者の方々の取り組みには「目的意識」の維持が役立っているのでしょうけれども、「燃え尽き症候群」の場合の様に袋小路への行き詰まりが感じられた場合には、(弟子達の側にも)「目的内容」の見直しが必要にならないでしょうか?
- mugi_to_ho
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タイトルと質問内容がさっぱり繋がりません。 子供にさせる習い事とある程度成長した大人な目標とは別物でしょう。 子供の習い事は大抵親の強要でしょう。 また移り気な子供にずっと同じ目標をもたせるのは難しいです。 いくら願っても仮面ライダーにはなれません。(子供の夢が役者ではないでしょう) 大人な目標なら目標の再認識はモチベーションの維持に繋がる場合が多いですね。 門前の小僧が無心で悟りに達するとでも思ってるのでしょうか? 無心の奥義なんて、身につけた実力を発揮させるための方策の1つでしょう。 身についてない状態で無心になったてもぼーっとしてるのと同じです。
補足
有り難う御座います。 そもそも、無駄な情緒的思考を休止させませんと、巧緻性の統御が難しくなる訳ですので、肥田春通氏の修行が諭してくれています通りに、欲望・雑念の払拭が学習時にも必要になる筈です。 でも、自己目的化された課題の反芻の効果にも個人差が認められますので、たとえ自己の成長が酷く遅かろうとも、他者の成長度合いとの比較を行なわずに別の分野へも応用し得る程に抽象化させた理解を目指せるのか否か、ということを此処では伺っております。
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補足
有り難う御座います。 自分の問題の複雑さに気付けていませんでした。