私見ですので、お読み捨てください。
俳句については、西行さんがらみで”奥の細道”を読んだことがあるだけですが、そのときの印象として、芭蕉の句に限って言えば、俳句は切り取った世界を再構築するものなのだろう、と印象を受けたことがあります。絵画の世界と引き比べてみるならば、抽象画の手法に良く似ています。わざと対象から自分の感情を引き離しておいて、西行が詠んだ和歌を背景に、自分の色を鮮やかにズバリと乗せたところにうまみがあるように思います。私には、理性的に割り切って作句しているようにおもわれます。
ここからは祖父からの受け売りです。
日本の詩賦である和歌は、もともと、ところにあたって、事に臨んで、神様の心を和らげるために、5757と続けていって、気持ちよくさせる呪術であったそうで、特にヤマトタケルノミコトや柿本人麻呂の歌には、まじないの力があるそうです。
その後、和歌に自らの感じたままの心を盛るようになり、在原業平、小野小町、和泉式部、西行法師と続いて与謝野晶子に到るまで、質問者さんの仰る、こころ余って言葉足らずの、後世の人にも愛される一連の和歌が詠まれるようになります。それが和歌の真髄だと私達が思うのは、時代を経て、現代人が鑑賞しても、心を揺さぶられるような魔術が言葉にこもっているからでしょう。
こうした”思いのたけをそのままに”詠んだ歌人達には、必ず、他の人には思いもよらない言葉の使い方や言い回しを発明する才能があったようです。”自分の手に入らなかった、どうしても忘れられない人”を思う心がキーワードになるかもしれません。その思いを、とにかく吐き出してしまわなければいられない、堰を切ってほとばしってくるような、未練や無念が時代を超えて私達の胸を打つのでしょう。
それとは全く別に、紀貫之から藤原定家にいたる、プロの歌人と呼ばれる人たちがいるわけですが、高級な本歌取りの手法などを取り入れて、忙しい現代人である私達にとって、しり込みせざるをえない煩雑さになります。本歌取りがなければどんなにいいだろう、と思ったことでした。
理性的な歌、と言うことですが、
万葉集では、大伴家持の相聞歌
”ツバナを食べたけれど、恋をしているらしくて、痩せちゃったよ、という歌です。”
古今集では、凡河内み恒(すみません。”み”漢字変換ができません。)
照る月を 弓張りとしも いふことは 山の端さして いればなりけり
白雲の このかたにしも おりい(旧字)るは あまつ風こそ 吹きてきぬらし
など、ウィットが効いていて、私には好ましいです。家持さんのほうは、手元に資料がないのですが、グーグルで検索できましたら、またお知らせできるかもしれません。
いずれにせよ、和歌の作り方は、具象画を描く手法に似ているように感じます。和歌を鑑賞した人の頭の中に、一服の絵を想起させることができれば、大成功、といわれたことがあります。