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信長公記
信長公記の桶狭間の戦いの部分を読んでいますが知識に乏しくわからない所があるので教えて下さい。 信長御覧じて、中嶋へ御移り候はんと候つるを、脇は深田の足入れ、一騎打ちの道なり。 この深田とは何でしょうか? 深い田? 水田という事でしょうか? どうぞお教え下さい。お願いします。
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http://homepage3.nifty.com/sizenrankato/minpou/minpou2002/minpou2002.3.24/newpage5.htm こういう感じ。 私の出身地も元々は深田で、祖母は「船に乗って稲刈り」という場所でした。 http://www.kamedagou.jp/kmd/gaiyou.html http://www.kamedagou.jp/kmd/rekishi.html こういうところ。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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回答No.2
豊葦原瑞穂の国というように、昔、稲は葦などの生い茂るような、水もいつもあり、泥の深いところに栽培されたようです。 つまり蓮をご存じですか。私の住むところは子どもの頃はたくさんの蓮池がありました。蓮根の栽培です。 広くて水もいつもありますが、泥が小学2年生の胸まであります。 蓮の作業は田舟というのに乗って、収穫します。収穫の時は泥が大人の腰まで、水がその上で腹の上あたりになって、根を収穫します。 ここらは江戸びとが、大川(隅田川)を渡って(荒川や綾瀬川はなかった)、花を見に来て帰りに野菜を曽ってかえる、郊外の地域でした。 相当の昔でしょうが田舟で昔の稲は作業したのでしょうね。田舟は底が浅く、あまり舳先も突き出ていません。
質問者
お礼
参考になりました。 舟を使うほどだったとは予想外でした。 回答ありがとうございました。
お礼
とてもよくわかりました。 疑問が解決しました。 回答ありがとうございました。