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穀物法と選挙制度
穀物法(ここでは1815年制定のものでお願いします。)における二大政党(ウィッグ党VSトーリ党)の対立で、何故トーリ党が敗北したのかがどうしても分かりません。 また、この背景には選挙制度が絡んでくると思うので、1800年代のイギリスの選挙制度を絡めながらトーリ党の敗北の理由を教えて頂ければ幸いです。 難しい質問かもしれませんが、宜しくお願いしますm(_ _)m
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- tanuki4u
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回答No.1
http://en.wikipedia.org/wiki/United_Kingdom_general_elections イギリスの選挙で トーリ党が敗れたのは 1830年の選挙 穀物法支持の地主層を支持基盤にするトーリ党に対し、産業資本家層を支持基盤にするホイッグ党は、選挙法改正(腐敗選挙区の廃止など、選挙区の変更により地主層有利な選挙区制度から産業資本家層が有利な選挙区制度へ)を主張したが、取りいられなかった。 ※ 現に議会ではトーリ党が優勢だから。このへんの構造は日本の選挙区割がなかなか変わらないのと一緒。選挙区割が変われば落選する可能性が上がる人間が選挙区割を変更する動機付けにならない) 1830年に七月革命が起こり、「このままほっておくと、まずいんじゃないの?」というので 11月の選挙でホイッグ党が勝利し 1932年に選挙制度が変更される < 今度はホイッグが多数派だから。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B97%E6%9C%88%E9%9D%A9%E5%91%BD 貴族(=地主) VS ブルジョワジー(=産業資本家)の対決で ブルジョワが暴力で勝利