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口語訳をお願いします。
文語をさっぱり読めない人です。現代語になおしてもらえませんか。 ★来る道は石踏む山の無くもがもわが待つ君が馬躓くに ★山高キガ故ニ貴カラズ 樹アルヲ以ッテ貴シト為ス ★今ハ昔、誰トハ不知ズ家高キ君達ノ年若クシテ形チ有様美麗ナル有ケリ。 ★仏造る真朱足らずは水たまる池田の朝巨が鼻の上を掘れ ★こんな店で身上はたくほどの人、人の好いばかり、取得とては皆無でござんす。
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- microburst
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すみません。ネットのトラブルかダブって返信する羽目になりました。 別に何度も主張をかざす意図は有りませんでした。
- microburst
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こんばんは 私なりの解釈です (1)別に遠くもなく、山が有るわけでもないのにのに、馬に乗っても来てくれない。 あるいは、彼女が「馬が躓く」ことを理由に、来る事をためらっているのかもしれません。 (2) 山は「高いばかりが」能じゃない。緑のある山の方がよっぽど山として美しいのではないか (たとえば、富士山より、樹の生えた裏山の方が美しい。 ふるさとの山の方が懐かしい様な感情を感じます。) (3)これは問題になりますよ。 と言うのも、私が教わった「今昔物語」の、「今は昔」という解釈、古文の先生は「今となっては昔の事で あるが」と教えましたが、「私の」主張として、「今昔物語」の「今は昔」は、次のように解釈します。 今昔物語の、「今は昔」の、「今」は、「この物語の舞台」であって、「昔である」と、読む人に対して「普遍的 に、その時代の事を知らしめようとする」、枕言葉として使われている。 と解釈しているのです。 主語が「物語」であって、「今」はその物語を示していると、私は考えます。 教わった時代が35年前ですから、今の解釈が変わっていて要るかもしれませんけど。 解釈としては上記はあまり関係ないでしょう。 誰だか知らない高貴な型が、若くもあり、かっこいい。(心の中に憧れを秘めている表現でしょう) (4)仏像を彫刻していて丹塗りが足らなかったら、池田の家臣の鼻を潰して、鼻血でも塗っておけ 皮肉なのか、余程の恨みが有ったのか、・・・ (5)言葉の順番を変えてみてはいかがでしょう? 取り柄の無いこんな店で 金を払ってまで何事かしようとするのは 余程のお人好しか、金持ちなんだな~ て感 じ? バブル時代の「くだらない事に金を払ってきたかな」という、経験上私のようなバカを蔑んだ、相当皮 肉じみたものですね。 以上、私が読んでみて、「私ならそういう解釈をするであろう」という感覚ですので、これが試験で出て、 この通りの答えを書いても「正解」にはならないと思いますので、あくまで参考までに願います。
- microburst
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こんばんは 私なりの解釈です (1)別に遠くもなく、山が有るわけでもないのにのに、馬に乗っても来てくれない。 (来てくれないあこがれのあなたは馬に乗っても来てくれない) (2) 山は高いばかりが」能じゃない。緑のある山の方がよっぽど山として美しいのではないか (たとえば、富士山より、樹の生えた裏山の方が美しい。 ふるさとの山の方が懐かしい様な感情を感じま す。) (3)これは問題になりますよ。 と言うのも、私が教わった「今昔物語」の、「今は昔」という解釈、古文の先生は「今となっては昔の事で あるが」と教えましたが、「私の」主張として、「今昔物語」の「今は昔」は、次のように解釈します。 今昔物語の、「今は昔」の、「今」は、「この物語の舞台」であって、「昔である」と、読む人に対して「普遍的 に、その時代の事を知らしめようとする、枕言葉として使われている。」と解釈しているのです。 主語が「物語」であって、「今」はその物語を示していると、私は考えます。 教わった時代が35年前ですから、今の解釈が変わっていて要るかもしれませんけど。 解釈としては上記はあまり関係ないでしょう。 誰だか知らない高貴な型が、若くもあり、かっこいい。(心の中に憧れを秘めている表現でしょう) (4)仏像を彫刻していて丹塗りが足らなかったら、池田の家臣の鼻を潰して、鼻血でも塗っておけ 皮肉なのか、余程の恨みが有ったのか、・・・ (5)言葉の順番を変えてみてはいかがでしょう? 取り柄の無いこんな店で 金を払ってまで何事かしようとするのは 余程のお人好しなんだな~ て感 じ? バブル時代の「くだらない事に金を払ってきたかな」という、経験上私のようなバカを蔑んだ、相当皮 肉じみたものですね。 以上、私が読んでみて、「私ならそういう解釈をするであろう」という感覚ですので、これが試験で出て、 この通りの答えを書いても「正解」にはならないと思いますので、あくまで参考までに願います。
- microburst
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こんばんは 私なりの解釈です (1)別に遠くもなく、山が有るわけでもないのにのに、馬に乗っても来てくれない。 (来てくれないあこがれのあなたは馬に乗っても来てくれない) (2) 山は高いばかりが」能じゃない。緑のある山の方がよっぽど山として美しいのではないか (たとえば、富士山より、樹の生えた裏山の方が美しい。 ふるさとの山の方が懐かしい様な感情を感じま す。) (3)これは問題になりますよ。 と言うのも、私が教わった「今昔物語」の、「今は昔」という解釈、古文の先生は「今となっては昔の事で あるが」と教えましたが、「私の」主張として、「今昔物語」の「今は昔」は、次のように解釈します。 今昔物語の、「今は昔」の、「今」は、「この物語の舞台」であって、「昔である」と、読む人に対して「普遍的 に、その時代の事を知らしめようとする、枕言葉として使われている。」と解釈しているのです。 主語が「物語」であって、「今」はその物語を示していると、私は考えます。 教わった時代が35年前ですから、今の解釈が変わっていて要るかもしれませんけど。 解釈としては上記はあまり関係ないでしょう。 誰だか知らない高貴な型が、若くもあり、かっこいい。(心の中に憧れを秘めている表現でしょう) (4)仏像を彫刻していて丹塗りが足らなかったら、池田の家臣の鼻を潰して、鼻血でも塗っておけ 皮肉なのか、余程の恨みが有ったのか、・・・ (5)言葉の順番を変えてみてはいかがでしょう? 取り柄の無いこんな店で 金を払ってまで何事かしようとするのは 余程のお人好しなんだな~ て感 じ? バブル時代の「くだらない事に金を払ってきたかな」という、経験上私のようなバカを蔑んだ、相当皮 肉じみたものですね。 以上、私が読んでみて、「私ならそういう解釈をするであろう」という感覚ですので、これが試験で出て、 この通りの答えを書いても「正解」にはならないと思いますので、あくまで参考までに願います。
お礼
回答ありがとうございました。