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儒学者・武士の通称について。特に「太中」「太仲」
現代でも年配の方でたまにおられるようですが、 江戸時代の特に後期で、「太仲」あるいは「太中」という名前や通称の人を見かけます。 読みは「たちゅう、またはたいちゅう」のようです。 googleで検索したところ多数ヒットしました。下記の方などなど・・ 宮地太仲・・・土佐 儒学者・医学者 1769~1842 梶太仲・・・名古屋 柔術家 1721~1789 菅茶山・・・備後 儒学者 漢詩人 1748~1827 岡白駒・・・播磨 医者・儒学者 1692~1767 通称が太仲 木村太仲・・・詳細ヒットせず。1780年に鍼灸極秘抄を書いたらしい・・ 儒学者に関係がある人が多く名乗っているように感じられました。 そこで質問なのですが、 (1)「太中」「太仲」の名前の由来や意味について教えてください。 (2)儒学者の通称は、何を参考に考えたんでしょうか? (3)武士で、名字と名前の間に「豊後」とかの地名や「主水」や「主膳」とか「図書」等が入る 人がいますが、これはどのようなものでしょうか。 (4)「太中」「太仲」も(3)の類でしょうか? 長文の上に、雑多な質問になってしまい申し訳ありません。 どれか一つでもいいので、教えてくださいますようお願いします。
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(1)太伯と虞仲が由来ではないでしょうか? (3)豊後守や主水正・主膳正などの官職に由来する私称(官途)がもとになっています。 「百官名」で検索していただいたらより詳しく分かるかと。 (4))「太中」「太仲」が「通称」であるならば、「通称」という分類の中では「百官名」と同じとも言えます。 (1)は単なる推測によるもので、(4)は厳密な定義に基づいたものではありませんのでご注意ください。
お礼
早速の回答をありがとうございます。 (1)太伯と虞仲について、初めて聞いた名前です。 呉の祖で、中国や朝鮮では倭人の祖先とも考えられていた時代があるようで、興味深いですね。 また、さっき見つけたのですが 「黄宗羲(字が太仲) 1610~1695」というそのままずばりの陽明学者が中国にいたようです。 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E5%AE%97%E7%BE%B2) 陽明学は儒教の一派であるとのことで、日本の儒学者から注目されていた人だったんでしょうか。 また、「字」についてよく知らなかったのですが、日本では学者や文人が多く使用したのとのことで、 今回挙げた5名はほとんどが儒学者であることから「通称」のうち「字」にあてはまりそうです。 また、由来についても儒学の関係上、と同じあるいは似た「字」が中国で使用されていることから、 中国の有名人から拝借した可能性は高いように感じました。 (3)百官名について、これも初めて知りました!本来の公家百官と、東百官とがあるんですね。 時代劇などでよく見かけるなぁ、とずっと気になっていました。 7代前の祖先の戸籍上の名前がこの中に載っていたりして、とても興味深いです。 (4)通称という意味では確かにそうですね。通称のうち、「太仲」はおそらく「字」、 「主水」は「百官名」となるという様に想像しています。 貴重な回答をどうもありがとうございました!少し賢くなった気がします!