- ベストアンサー
【永禄】から【元亀】改元の経緯
【天正】の年号の前が【元亀】でそのまた前が【永禄】ですが【永禄】から【元亀】に改元した経緯をもしご存知のお方がおりましたら、教えてください。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
足利義満以来改元には足利幕府が主導権をもって いました。 永禄から元亀への改元は足利義昭の意向によるものと 思います。 義昭が織田信長の助けにより、将軍に就任してから 一年後、三好、松永等が京を追われ、畿内安定し 屋敷も幕府も出来た永録12年に、将軍の就任を公知 させるため、戦乱による改元として計画をしたと推定 されます。 翌13年4月朝廷の承認で元亀と改元しました。 「元亀」命名の典拠はNo.2の答え通りです。 ところで信長は「元亀」が気に入らなかったといいます。 その理由は判っていませんが、忖度するところでは、 1.元の字を改革派の信長は嫌い 2.手足を縮める亀が嫌い 3.典拠の中の一文に龍が雨を呼ぶとあり、義昭が 自分を龍になぞらえ、天下を取るつもりだと、勘ぐった もの など考えられます。 とにかく義昭を追放するとすぐ天正と改元しました。
その他の回答 (2)
- izuhara
- ベストアンサー率31% (97/310)
兵革(戦乱)が理由だと考えられています。 選者は式部大輔菅原長雅で、「毛詩」「文選」が出典です。(『国史大辞典』による) 改元時期は、信長と朝倉義景の戦闘が始まる頃ですね。
お礼
親切でとても丁寧なご回答どうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
- 川原 文月(@bungetsu)
- ベストアンサー率51% (834/1628)
こんにちは。 私は、自称「歴史作家」です。 >>【永禄】から【元亀】に改元した経緯 回答から先に述べますと、永禄12年頃より、 6月 - 越相同盟、締結。越後国の上杉謙信と相模国の北条氏政が、甲斐国の武田信玄への対抗姿勢を固める。 8月 - 武田高信、織田・尼子勢に通じた但馬国芦屋城の塩冶高清を攻撃し大敗(芦屋城の戦い、別名・庭中合戦、阿勢井城合戦) などの世を乱す事件が多発したために、正親町天皇は「永禄」に嫌気がさして「改元」することを決意しました。 和暦の変遷ですが、 (1)帝王(天皇)の交代による・・・代始改元。 (2)吉事を理由にする・・・・・・・祥瑞(しょうずい)改元。 (3)凶事に際してその影響を断ち切るための・・災異改元。 (4)三革を区切りと見なして行われる・・・革年改元。 大別して以上の4つが主なものです。 もう少し詳しく説明すると、 (1)代始改元は、分かりやすいですよね。 嵯峨天皇の即位「弘仁(810)」、清和天皇「貞観(859)」、令泉天皇「安和(968)」、後三条天皇「延久(1069)」、後白河天皇「保元(1156)」、二条天皇「平治(1159)」などがあります。なお、先の天皇が崩御されたた時などは、その年は「喪に服す」考え方で翌年から「新元号」としたり、隠居をし上皇などとなった時は、先の天皇(上皇)に敬意を表して、やはり、翌年から「新元号」とした場合もあります。 (2)祥瑞改元(しょうずい) 大化6年(650)2月に穴門国(あなとのくに=長門国=現:山口県)から白い雉(きじ)が献上されたことを「吉事」として、「白雉(はくち)元年に改元しました。そして、白雉5年(654)まで数えられましたが、その後80年間は、元号の無い時代が続きました。天武天皇15年(686)7月20日に大倭国(やまとのくに=大和国=現:奈良県)から、今度は赤い雉が献上されたため、朱鳥(しゅちょう、すちょう、あかみとり)元年として「元号」が復活しました。しかし、これは「伝説」であって、実際は、天武天皇の病気平癒のための祈願を込めたものだ、とも言われています。事実、天武天皇がその年に崩御されると、朱鳥元年のみで、再び、15年間元号は断絶しました。文武天皇5年(701)に対馬(対馬ではないとの説もある)で産出された「金」が貢進されたため大宝元年が復活しました。 (3)災異改元 京都での地震発生や平将門の乱が起きたため、「承慶」から「天慶元年(938)」に変更。彗星(この星は災いを招くと考えられていた)が多く見られたので「永延」から「永祚元年(989)」・・・陰陽師の「安倍晴明」が活躍していた。平治の乱勃発で「平治」から「永暦元年(1160)」。全国的な飢饉が発生「寛喜」から「貞永(1232)」、関東での大地震発生と全国的な旱魃(かんばつ)で「正応」から「永仁(1293)」。江戸で大火発生「明暦」から「万治(1658)」。江戸で大火と全国的に大風(台風)による水害多発「明和9年(迷惑年)」と呼ばれ「安永(1772)」に。ペリーの来航で「「天明」から「安政(1789)」などがあります。 (4)三革とは 「辛酉(かのととり)革命」・・・昔は、干支(えと)の年号もあり、「甲子(きのえね)」から始まり、60番目の「癸亥(みずのとい)」までを繰り返す第58番目の年の呼び方。 「甲子(きのえね、こうし、かっし)革令」・・・干支の第1番目の年。 「戊辰(ぼしん)革運」・・・干支の第5番目の年。 いずれも、これらの年には、大きな「革命」や「大事件」が起きる、と陰陽道からの考えで、改元をして「運」を呼び戻そうとした考え方。 永禄から元亀に改元されたのは、この(3)の災異改元によるものです。
お礼
親切でとても丁寧なご回答どうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
お礼
親切でとても丁寧なご回答どうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします。