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織田信長の天正改元の経緯
織田信長の天正改元の経緯と「天正」という言葉の由来をご存知の方教えてください。
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元亀4年7月3日織田信長に擁立されていた足利将軍 義昭が信長打倒の再度の挙兵をしました。 信長の行動は早く、16日には大軍で義昭の籠もる槙島城 を包囲し落城させ、義昭を追放しました。 信長により再建された室町幕府(実権はなかったが)は 完全に消滅しました。 信長はこれが一時代の終わりとして、天下布武の旗の下 戦乱の世を糺(ただ)すため改元を考え、7月21日朝廷に 天正と改元年号を申請し、承認され7月28日には天正と 年号があらためられました。 災害が続くと改元が行われるしきたりがあり、これは打ち 続く戦乱によるものです。 天下の乱れを鎮め正しい世にするという意味です。 のちに戦乱がおさまり、つけた年号が元和(元の平和の 世に戻す)と同じ考えです。
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- 川原 文月(@bungetsu)
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回答No.1
こんばんわ。 まずは回答から・・・ 「天」に唯一の「正しい者」 からきています。 織田信長は、安土城内に「盆山(ぼんさん)の間」を設け、諸国の神社から神体を集めその上に盆山と称する石を置き、それを自分の神体として祀らせ、自らの誕生日を聖日として参詣することを命じた。 この世で唯一人偉いのは「私だけだ」と豪語しての意味です。
質問者
お礼
おくれましたが、丁寧なご回答どうもありがとうございました。それで「天正」の言葉の出典、どの漢籍からの出典なのか、もしご存知ならお教えください。
お礼
遅ればせながら、親切なご回答どうもありがとうございました。それでもしご存知なら、「永禄」から「元亀」改元の経緯も教えてください。