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先の戦争の大義について
先の戦争は欧米の植民地支配からアジアを解放する戦争だったのでしょうか。 (満州事変~ポツダム宣言受託)
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No.1です。 特定の回答を引き出したいという、悪質な質問が多いので、突き放した答えを書きました。 質問者さんの、 >あなた早トチリの方ですか(^○^)? という最後の絵文字を見ると、信用した訳ではありませんが、他の方が非常に良心的な回答をしておられるので、少し客観的と思われる回答をします。 およそ、殆どの、おそらくはすべての戦争は、 >欧米の植民地支配からアジアを解放する戦争 などというきれい事で行われたりはしません。 結果的に(偶然も重なって)、欧米の植民地支配からアジアを解放したという側面はあったでしょう。ただし、そのために起こされた戦争ではありません。 一番最近の例は、アフガン・イラク戦争です。 9.11惨劇の復讐という面はあった他に、そういうテロの予兆があったのに当時のブッシュ大統領が怠慢で対策を怠ったという指摘がありました。ブッシュ大統領はそういう批判を避けるためにアフガンに侵攻したという説もあります。 イラク戦争にいたっては、テロリストがイラクに逃げ込んだ、イラクに大量破壊兵器がある、という口実で始まりました。 前者は不明で、後者は間違いでした。ブッシュ大統領は最終的に、イラクを民主化する為に必要だった、と弁解しました。 ただし、アフガン・イラク戦争の前、ブッシュ氏は「米国は豊かさを享受する為に、すべての持てる資源を使い切ってしまった。これからは海外の資源を確保しなくてはならない。」と発言したと記憶しています。 うがった味方をすれば、米国は民主化の為などではなく、イラクの石油を確保したいから侵攻したともいえるでしょう。 太平洋戦争も >欧米の植民地支配からアジアを解放する為の戦争 といえるでしょうか。
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- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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ANo.2:そういう意図もあったかもしれないが、質問や今のターム表現での言い方ではないでしょう。 寧ろ、アジアの一国として欧米への対応の構えでしょう。 ちんさんが植民地解放というフレーズでイメージする思想がどういうものか内容的に把握することはたくさんの選択肢がありましょう。 貴方がお国(私たちから見れば東アジアの一国とか或いは数国)のためを考えての、欧米などへの対抗とはずれはあるのは仕方ないでしょう。 言語でどう示そうと、ちんさんの見解の中での展開となるように、更に問題を投げてこられるでしょう。 私たちとしてはそういう議論の中に入る意義性がありませんので、 仰せのように【「アジア解放のつもりではなかったが結果的に解放になった」と理解していいです】 なお、お気が済むようにご参考に: 私が中学、高校で習った敗戦直後の歴史:後発的な資本主義展開の大日本帝国は富国強兵を第一の国是とし、財閥と軍隊の利益を優先として、アジア諸国の植民地の再分割のために太平洋戦争に突入していった。 というプロセスが説明されました。 不幸にもそういう面もあったことは確かだと存じますが、一億総懺悔の中の歴史理論ですので、もっと総合的に見る必要はあると思います。 ですから、咽喉元に何かを突きつけられれば、 【「アジア解放のつもりではなかったが結果的に解放になった」と理解していいですか。】という問いにはそうです、とのみしかことばが詰ってしまいます。 あしからずご理解ください。 歴史とは一義的ではないとぞんじますし、多面的だと思います。 アジアの諸国に多大のつらい経験をさせた私たちの尊敬する私たちの先人の歴史の歩みを私たちは背負っていかざるをえないことを自覚しております。 植民地解放なんて、むろん結果である。というのは私たちの間の中での認識であり、他国に向かっていう場合には先人の歴史の困難さの説明が必要です。 土下座して、頭を地面に擦り付けながら涙を流すことをちんさんが要求しているとも思えないけれども。
- m41
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戦に大義名分は付き物です その時代に生きた人のそれぞれの思惑が 複雑に絡み合っているもので 一言で肯定したり否定したりは出来ないと思います 世界の警察として悪の枢軸国から 人々を救い真の平和を世界にもたらすと言って 爆弾を落し一般市民も殺している軍隊が今でもいます フセインの銅像を倒し踏みつけ喜んで居た人たちは 近くから掻き集められそうさせられたいわゆる やらせだった事は有名です 「イラク兵が、未熟児保育器から赤ん坊をとりだし、投げて殺した」と言っていた クエートから逃げて来た少女も政府に雇われた役者でアメリカから出た事すらなかったというのも有名な話です 日本もひどい事もしたかもしれませんがパラオのように日本の国旗そっくりの国旗を作たりインドやインドネシアの国々の中にも正式に日本に対して独立の母と言うコメントをしている国も有るので 完全に否定されるものではないと思います 石原莞爾が世界最終戦争論で掲げて居た思想は間違いだとは思いません ただ理想と現実は別で日本の国益や自分の利益を第一に考え行動した人が多かったのも事実だと思います 現在日本パッシングをしている中国や韓国北朝鮮も以前の方が日本に対して友好的だったと感じます 歪んだ教育は日本を敵にする事で国内世論を統一にする為とか外国資本が自国に入ってくることへの防衛の為とか外交上の問題等色々でしょうがそのような事が無くなれば少しは公平な見方が出来るのかもしれません 歴史の善悪は百年後の人が決めると言いますので後34年評価を待ちますか^^;; 最後にもし興味がお有りなら 最終戦争論読んでみてください 本当にこの人は凄いと私は驚きました 長いので気長に読んでね^^ http://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1154_23278.html
お礼
石原莞爾!「関東軍による満蒙領有計画を立案」した人! >現在日本パッシングをしている中国や韓国北朝鮮も以前の方が日本に対して友好的だったと感じます。 ・・・ちょっとおめでたいのではありませんか。 相手の立場になって考えればおわかりになります。 ご回答御苦労さま!
- tamanegi_johan
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大義という言葉については非常に解釈が難しいところです。 「先の戦争」当時には戦争に訴えることが違法であるという国際社会のコンセンサスはありません。 国際連盟規約前文には「戦争ニ訴ヘサルノ義務ヲ受諾」するとありますが、 15条7項では「正義公道ヲ維持スル為必要ト認ムル処置」として開戦の権利が認められていました。 (この「正義公道ヲ維持スル為必要ト認ムル処置」を「大義」と定義した上で論を進めます。) そうした状況下で満州事変は起こるわけですが、事変と名づけられていることからも分かるように、この紛争は宣戦布告が行われておらず、支那事変(日中戦争)でも宣戦布告は行われていません。紛争である以上関係国にとっては外交問題であり、大義がない(大義を示す必要がない)状態であるといえます。 一方、太平洋戦争に関しては『米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書』という詔勅により宣戦布告がなされており、ここに記された「東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與スル」という文言が太平洋戦争における大義であると言るでしょう。 大義が一方の当事国により一方的に提示されるものである以上、それ自体に価値判断の余地はありません。 もし質問者様が、日本は「欧米の植民地支配からアジアを解放する」ために戦争を行ったのかという意図で質問されたのであれば、結果的にそうした意義もあったかもしれないという曖昧な回答にならざるを得ません。
お礼
あなたの結論は「そうしたことがあったかも知れない」というあやふやあいまいなご意見と理解しました。 ありがとうございました。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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そういう結果にもなった面も否定はできないということでしょうか。 欧米列強とそれに対抗する勢力との間の国際紛争でしょう。無論、どんな理由であれ、どの国も他国に侵略する正当化理由はあるはずはない。 しかしそれだけで歴史の判断もでき得ない。 ということではないでしょうか。 近代以降、質問者のお国と民族が蒙ったつらい経験を否定したり、責任逃れすることはどこの国にもありません。 私たち日本人と質問者のお国の人とはそういう意味で越え難(がた)い、立場と心理が歴史的に抹消できないでおります。 私たちも深い反省とともに、お国の方々の理解をえる努力を継続する必要があります。 深く大きい懸隔をどうか拡大しないように、切にお願いするばかりです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >そういう結果にもなった面も否定はできない ハッキリしないご回答です。 「アジア解放のつもりではなかったが結果的に解放になった」と理解していいですか。
- sakedaisuki
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日本史の見直しの好きな、扶桑社の日本史の教科書なら、そう書いてあるかも知れません。 あるいは、日本には過ちはなかったと言いたい人達も同じ意見でしょう。 あなたもそういう意見を聞きたいだけなら、ここに書くまでもありません。
お礼
>あなたもそういう意見を聞きたいだけなら、ここに書くまでもありません。 そんなことありません。 あなた早トチリの方ですか(^○^)?
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お礼
質問者を疑いながらの回答御苦労さまです。 あなたの結論は「解放ではない」と理解しました。