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日中戦争の引き金

日中戦争の原因って満州事変と盧溝橋事件どちらですか? むしろこれらは、 満州事変→盧溝橋事件→日中戦争 と繋がってるんですかね?

みんなの回答

  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.5

満州事変で勢力を付け始めた関東軍。 南方の部隊を増強して壁を作りました。 これ以上関東軍が南下出来ねーようにしたんです。 これ以上中国を侵略されてはたまりません。 そしたら今度は増強した南方軍が盧溝橋事件を起こしたんです。 「いけない!いけな過ぎる!!」こう思った内閣は話し合いで解決しようとしましたが、 蒋介石は最後の関頭と言う演説で徹底抗戦を主張して戦争を継続したんです。 プライドだけは人一倍の独裁者蒋介石。 イケイケ陸軍+蒋介石=日中戦争。 戦争を選択すれば国は滅び、国民の家財産が無くなります。 そんな事より演説でした。

  • nacht246
  • ベストアンサー率62% (42/67)
回答No.4

戦争への道をレールにたとえると、 「ここまで!」のつもりで 満州事変の標識をおいた。 なぜかそれが青信号になり、 列車は進んでいった。 後はその繰り返し。 だから結果的にあんな間抜けな拡大を 広い中国でずるずる続けることになった らしい。

回答No.3

満州事変も盧溝橋事件も日中戦争とは直接繋がっていません。  満州事変は朝鮮族と漢族の部族衝突が相次ぎ、部族衝突に油を注ぐ張学良を排除する必要を感じた関東軍が柳条湖事件を理由に軍事行動を起こした事変です。  盧溝橋事件は、盧溝橋で訓練していた支那駐屯連隊(この部隊は義和団事件で中国の治安能力に信用をおけなくなった各国が清国政府に対して認めさせた治安対策駐留部隊)に発砲があり、日本側が応戦した事件です。事件は翌日に解決しています。その後、日本軍駐留部隊に幾度となく発砲事件が起こり、在中邦人や日系企業に対して襲撃(紡績機だけで100万器が破壊されています)が続いたため、日系人保護のため出兵した事変が日中戦争です。  日中戦争は、反日デモや反日暴動で日系企業や日本人が襲われ死者まで出る事態になったから出兵し戦争になったのです。  ここ数年、中国で反日デモが起こっていますが、あのデモでもしも日本人100人が殺されたらあなたはどう思いますか?泣き寝入りしますか?

noname#140269
noname#140269
回答No.2

日中戦争が始まったのは、1937年(昭和12年)からです。終結は1945年。 日中戦争の引き金となった事件は「1937年7月7日」に発生した「盧溝橋事件」(北京郊外の盧溝橋で日本軍と中国国民党軍が軍事衝突し日中戦争(支那事変)が勃発)です。 盧溝橋事件は、日本陸軍省の発表によれば1937年7月7日夜日本軍支那駐屯軍所属の豊台駐屯部隊の一部が北平の西南約12kmにある蘆溝橋の北側で夜間演習を実施中、午後11時40分頃 蘆溝橋の中国兵から突如数十発の射撃を受けたため同部隊はすぐに演習を中止して部隊を集結させて状況を監視すると共に上司に急報しました。この事態を重視した日本軍北平部隊は森田中佐を派遣し、宛平県長王冷斉及び冀察外交委員会専員林耕雨等も中佐と同行した。これに先立って豊台部隊長は直 ちに蘆溝橋の中国兵に対しその不法を難詰し、かつ同所の中国兵の撤退を要求しましたが、その交渉中の8日午前4時過ぎ、龍王廟付近及び永定河西側の長辛店付近 の高地から集結中の日本軍に対し、迫撃砲及び小銃射撃を以って攻撃してきたため、日本軍も自衛上止むを得ずこれに応戦して龍王廟を占拠し、蘆溝橋の中国軍 に対し武装解除を要求したというものです。

  • trajaa
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回答No.1

それよりも、『軍部大臣現役武官制』のあたりに根源を求めるべきではないかと。 現役に限定してしまうことで、時の内閣の命運を軍部の意向が左右してしまう。 それまでは政府の一員として機能していた軍部が、行政府と肩を並べそのうち天皇という存在を盾に行政府さえも超越してしまう。 実質的な権力を掌握すると今度は、軍の高等幹部の派閥抗争を激しいモノにしてしまった。 その結果、理性的な判断や国家や軍全体の行く先よりも、自派閥や極端には自分個人の主義主張の為には何をやっても構わない。 何か問題を起こしても結局有耶無耶に処理されるし、上手く行けば国家の功労者に祭りあげられてしまう。 最終的に、日本という国家には戦略というモノが無く、あるのは戦術や作戦しかなかった。 作戦レベルでは、勝利しても戦略が無いので行き当たりばったり、現地軍任せでは到底長期的な戦略面で立ち往生するのは当然の結果。 先の二つの事件がもし発生しなかったとしても、何かの切っ掛けで泥沼に陥るのは必然でしかなかった。 そう言う意味ではどちらも原因である。 全てはひとつの大きな流れの中の事件や事変。