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人はそれぞれ、知識と思想を持っている訳ですが
人はそれぞれ、知識と思想を持っている訳ですが 大きな権力を持つ人間ほど、社会に影響(よい影響悪い影響ともに)を及ぼします 社会に現れたさまざまな現象から、個人を特定し歴史の認識に役立てるといったような検証をされている人はいますか
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- 畑山 隆志(@deltalon)
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人がそれぞれ持つ知識や思想は完全に身に付くことはありません。いつも不完全なまま、試行錯誤の末、身に付いていきます。ですから知識、思想を身につけたから影響力があったという前提がすでに変です。さらにその知識や思想は生まれ育った風土の影響をたくさん受けます。 この個人中心の考えが、結局マスコミなどが吊るし仕上げる政治家個人の責任のような言い方になっています。これぐらいいい加減なことはないと考えます。例えば第二次世界大戦のドイツの行動を、ヒトラー個人の狂気に帰しているのをよく見ますが、狂人が権力を作り上げ、支えられたことに対する疑問へまったく目がいっていません。さらに当時の政権を産業界が支え、ユダヤ人への弾圧も、一般の人々の暗黙の承認や、時には密告があったことにまったく考えが及んでいません。 日本でも、吊るし上げた政治家を辞めさせれば、一夜にして世の中がよくなるような考えが蔓延しているように思います。 大きな権力を持つほど影響が強いのは確かですが、その権力はどこからきたのでしょうか。 ちなみに、英国に民間放送ができた経緯には権力者は一人も出てきません。
- izuhara
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歴史は現代に残された文献をもとに過去の出来事を復元していく学問です。 サル研究は、現在の状況を検証して得られたものですので、実際に見ることのできない過去を扱う歴史と比較できるものではないかと。 現代史における個人の影響に関する研究結果を、歴史における個人の影響研究に活用する手法はありかと思いますが、実証性の問題でしょうか、そのような取り組みはあまり聞きません。 どちらかというと、近年は、個人の個性から距離をおいて組織を構成する様々な人々を含めた研究にシフトしている感があります。
お礼
ある人間が、望みを持って積極的に自然に働きをかけ世界を変えようとするとき かならずその形跡は残ると思います 同じベクトルを向き続け、結果に矛盾が有っても行いを決定つける思想に矛盾が無ければ その後の世界への働きかけも同じになりその個人の個性が明確になると思います また自分の得た知識を二度三度と繰り返すのは人の常ですから 個人の特定、歴史の再認識の材料になると自分は思いますが・・・・ その足跡が汚いか綺麗か別として
? 歴史学者の方々はそのような研究の積み重ねを行っていると思いますけど。
お礼
歴史の本を読んでも嘘っぽく、発見された文献を基に書かれているだけだと思うので学問的にはぁゃlぃと思います 国語の教科書に載っていた、日本サルのイモ洗い文化の伝播と、地域性に付いての考察は すんごく為になりました
お礼
日本の場合、新聞は参謀本部の情報課が作ったもので、権力者の意思が反映されたものでした 注意深く観察すれば、その個性と、中心的な役割をしている人間の人数までなんとなく分るような気がしますが 気のせいかなw 最近の人間の傾向は、自分が非難されると即座に否定し、言った人間を強靭と呼ぶことですが ドイツのヒトラー総統に何か恨みでもあるんですかw